第25話 ――輝

「はい、これ。椿高つばこうの演劇部の部室に置いといてくれる? 今は廃部中かもしれないけど」


 ここは、あお高校の職員室。いろいろな先生が、それぞれの机で作業をしている。生徒たちが夏休み中も先生方は、お休みじゃないんだよね。


 三十代前半くらいの、さらさらショートカットのれいな妊婦さん。それが幕内まくうち先生だった。

 彼女からDVDを受け取ると、ぶわり。えも言われぬ感慨深さが、体の内側から滲み出てきた。


(ああぁ〜!  太巻おおまき先生が見られるんだ!!!)


 私は、初対面でとても目を合わせられなかったけれど


「ありがとうございますっ!」

 幕内先生に心からお礼を言った。


「幕内先生。太巻先生役の『彼』は、すけとお聞きしましたが、どういう経緯なんですか?」

 隣でれん君が質問をする。


「元々太巻先生役だった子――『こと君』っていうんだけど……英語のスピーチコンテストの全国大会に出ることになっちゃって。文化祭と被ってたから、役を降りることになったの」


「……なるほど」


 椿高の文化祭は、三年に一回しかないのに。しかも太巻先生役を降板だなんて、琴野さんもきっとすごく残念だったよね……。


「琴野君が『彼』を連れてきたのよ。そのとき、すでに太巻先生の姿でね。

 名前やクラスは聞かないっていう条件で、引き受けてくれたわ」


 そっか……秘密で活動してたから、先生方に聞いてもわからなかったんだ。


「ということは、『彼』は今の二、三年生っていう可能性もあるんですね?」


 そっか、そうだよね!?


「……そうね。ちなみに私、『彼』の素顔、一度も見たことないのよ。常に太巻先生の姿なんだもの。琴野君以外の部員も、見たことないと思う。

 何かよっぽど、素性を知られたくなかったみたい」


「琴野さんに聞けば、全てわかるってことですよね?」


「そういうこと。私去年、琴野君の担任だったんだけど、もう個人情報は手元にないから、昨日彼の大学に電話してみたのよ」


「わざわざ、ありがとうございます」


「そしたら今、アメリカに短期留学中らしくて……十月中旬に日本に戻るらしいの」


「そうですか……。すみません、琴野さんが帰国したら、また連絡を取っていただいてもよろしいですか?」


「もちろんそのつもり。何かわかったら、いく先生を通して連絡するわね」


「ありがとうございます! お体、お大事になさってください」


 そう言って、笑顔で蓮君が会話を締めた。私がしばらく言葉を発さないまま、全て彼が流れるように幕内先生とやり取りしてくれた。初対面の人とも普通に喋れるなんて、すごい。同じ高校一年生なのに、なんだか大人で尊敬する。

 でも、私もこれだけは言わなくちゃ。


「げ、元気な赤ちゃんを、産んでください!」


「うふふ。二人ともありがとう。私は十一月から産休だから、安心してね」


 

 帰り。蓮君がトイレに寄ると言うので、私は来客・職員兼用の玄関で待っていた。

 不意に、奥の廊下を歩く碧海高の男子と目が合った。彼が足を止めた――かと思うと、こちらに近づいてきた。


「君、可愛いね。何年何組?」


 想像以上に近くに来て、いきなり話しかけられたので、頭の中が真っ白になる。


「……………………」


「オレ、これから補習なんだけど、終わったら遊ばない? RINEリネ交換しようよ?」


「わ、私……」


 なんとか出てきたのは上ずった声。でも、その続きは出てこない。


「――彼女はこれから、大事な用事があるんで」


 碧海高男子が私から少し離れると、すぐそこに立っている蓮君が見えた。眉間に深いしわを寄せ、私の見たことのない、とても怖い形相をしている。

 まるで『寺子屋名探偵』シーズン二十九、第十三話の、賊と対峙したときのけん君のような。


「なんだ。彼氏持ちかぁ……」


 碧海高男子は、きまり悪そうにそそくさと立ち去っていった。


「彼氏じゃねーよ」

 吐き捨てるように言った蓮君は、まだ不機嫌そうな顔をしている。


「ありがとう、蓮君。私、よくわからないけど、あの人と遊びに行かなきゃいけないところだった」


「行くなよ!? たとえ暇だったとしても!」


 蓮君が真剣なおもちで、私の目を凝視する。今日彼が私の目を見たのは――これが初めてだった。

 

***


 帰り道。街路樹からは、アブラゼミとミンミンゼミの混声合唱。それをBGMに、私は朝からずっと引っかかっていることを、蓮君に切り出した。


「――どうして、今日は全然目を合わせてくれないの?」


 彼の顔をじっと見る。


「えっ……!」

 ほら、目が泳いでる。


「私、何かやらかした?」


「違うんだ! 今日の小石、私服とか髪型とか見慣れなくて、その……か、か……」


「蚊? どこどこっ?」


 辺りを見回したけれど、蚊はどこにもいない。もう逃げたのかな?


(……あれ?)


 気付けば蓮君の顔が赤くなっている。汗の量もさっきより増している。

 朝からすごく暑いもんね。


「はい、冷凍水!」

 私は、家で凍らせてきたペッボトルをバッグから取り出し、蓮君に差し出した。


「今日は俺も冷凍水持ってきたから、大丈夫!!」


 蓮君が慌てて自分のボディバッグからペットボトルを取り出し、飲みだした。

 飲み終えると、今度はほおを冷やし始めた。


「……ねぇ蓮君、これからうちで、DVD鑑賞会しない?」


「ああ。俺も、太巻先生探すのに顔見ておかなきゃな。なんか手掛かりも見つかるかもしれないし」


 そのとき急に、蓮君の足がぴたりと止まった。その目は丸い。


「……『うち』って、小石のうち?」


「蓮君の駅のほうが手前だから、もし迷惑じゃなければ、蓮君のおうちでも」


「ダメ! 今日は青春おばさんと青春中二がいるから、絶対ダメ!」


「? じゃあ、私のうちね!」


***


 帰りの電車。適度な空調と揺れがなんとも心地いい。今朝はお母さんに早く起こされて、髪のセットや服を取っ替え引っ替えされた。強い眠気がすぐに、私を襲う。

 

 体がぐらりと傾く感覚。

 誰かが私の腕をつかんで支えてくれた。

 はっと見上げると、そこには藤色の羽織に、真紅の瞳。そして、結われた栗色の長い髪が風に揺れている。

 

 それは、あの太巻先生だった。

 

「――てる


 知らないはずの私の名前を口にし、私にほほみかけてくれる。

 でも、これは夢。わかってる。

 

 だから、ちょっとだけ甘えさせてください。

 

 私は太巻先生の肩にもたれて、そっと目を閉じる。


 夢の中の彼はほんのりと、夏の太陽の匂いがした。

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