第23話 女子の二の腕の柔らかさ=胸の柔らかさ

「尾瀬って去年の文化祭、参加してるよな?」


「まぁ……」


 尾瀬の目が泳ぐ。その様子が、まるで火起こしの火きり棒のように、高速で俺の心を摩擦し始めた。


「じゃあ、太巻おおまき先生が演劇部って、知ってたよな?」


 見えない煙が上がりだす。


「まぁ……」


 火種を包むくちに息が吹き込まれたように、怒りの炎が生まれた。


「俺、漫研訪ねるって言ったよな? なんでそこで、情報提供しなかった……?」


 声が震える。炎の勢いが、どんどん増していく。


「や、だって、なんか楽しいことが起こる予感がして……」


 このセリフを聞くのは二回目だ。

 もはや烈火と化した怒りに、こぶしを固く握り、奥歯を噛み締めた。


「いいじゃん。ほら……結果彼女、友達できたし?」


「……ムク、よくわからないけど抑えて!」

 シロもといシロ先輩が、震える俺の背中をぽんぽん叩く。


「オッセー、こんなだけど根はいいヤツなんだ」

 クロ先輩が、尾瀬の背中をバシバシ叩く。


「痛い痛い!!」


 そんな騒々しい席に、片手に一つずつお盆を載せたおばあちゃんが、にこやかにやって来た。


「はい。麻婆豆腐とレバニラ、おまたせ」


(そうだ……ここはお店だ。落ち着こう)


 しわが刻まれた穏やかな笑顔に、烈火がたちまち鎮火された。


「――ありがとうございます」


「あ、ムク! こいつら彼女持ちだから、恋愛相談してみれば? 守秘義務は守るヤツらだし」


「オッセーもいるだろ……」


「は? 尾瀬が?」


「オレの話は、また今度な〜」


「ムク、敬語とかいいからね? あと、シロとクロでいいよ。オッセーの友達は、僕らの友達だし。ね、クロ?」


「そうだな、シロ」


 よくわからない理論で、俺に二年生の友達が二人できた。とはいえ小心者の俺は敬語を使い、小石の氏名やまずそうなところは伏せて、自分の現状を話した。




 尾瀬がレバニラをおとなしく食べる中、シロクロ先輩と俺の討論が飛び交う。


「はぁ……。なんでそこで、太巻先生を探し続けるかなぁ」


「だって、ものすごく絶望してたから……。彼女には、笑っていてほしいんです!」


「そこは『俺じゃダメ?』だろ?」


「ダメです!」


「ムク、決め付け激しいよ。そこもだけど、なんで彼女が太巻先生に告ったら『付き合う確定』なの?」


「あんなに眩しく輝く女子を、誰が振るんですか!? それに『好意の返報性へんぽせい』ってのもあるし」


「知らねーし。つーか、俺も劇観たけどさ、あんなイケメンなら彼女いそうじゃね?」


「いたとしても、きっと付き合います!」

 俺は身を乗り出して、クロ先輩に断言した。


「ぶはっ! 太巻先生クズ説!?」

 両先輩が爆笑する。


「ぶっ……そっ、それに、助けてくれた人を好きになるのはよくあるよ? けど、助けてあげた人を好きになるって、そんなあるかな?」


「それは『認知的不協和理論』――」


「ムクは最近、休み時間に教科書読んでるふりして、図書室で借りた恋愛心理学の本をこっそり読んでたんだ」

 尾瀬がいらない口を挟んだ。


「ぶはっ! ムク、面白すぎ!!」

 再び両先輩が爆笑する。


「ぶっ……おっ、俺は、太巻先生が見つからないルートに期待する!

 太巻先生探しで一緒にいるうちに、彼女がいつの間にかムクを好きになってるパターン、アリだと思う。全然会えない男より、近くの手頃な男がいいだろ」


「僕は、彼女が太巻先生に振られるルート。

 そのときは、そばで優しく慰めてあげるんだよ? 弱ってるところが狙いめだからね」


「ムク。もう一つアドバイスだ。

 女子の二の腕の柔らかさ=胸の柔らかさ、らしい。覚えておけ!」

 クロ先輩が、自身の上腕三頭筋を触りながら言った。結構なドヤ顔で。


「何がアドバイスなんだか……。中学生なの?」

 シロ先輩は呆れ顔だ。


「ムク〜。結構いい時間だから、そろそろ行ったほうがよくない?」


 すっかり完食した尾瀬が、頬杖ほおづえをつきながらお冷を飲みつつ、壁掛け時計を顎で指した。


「あっ、ホントだ。俺、先出るな!」


 食べかけのご飯に食べかけの麻婆豆腐をざっとかけて、レンゲでむ。おいしいだけに、もっと味わって食べたかった。しゃくぶつをごくりと飲み込んで、先輩方に一礼する。


「シロ先輩、クロ先輩。ありがとうございました」


 レジに向かい、おばあちゃんに代金を支払う。


「ごちそうさまでした。おいしかったです」


「どうもありがとね。また来てね」


 引き戸を開け、れんをくぐる。

 店内と外の輝度の差に、思わず目をすぼめた。


(――太巻先生が見つからないルート、小石が太巻先生に振られるルート……)


 そんなルートになったとして、果たしてうまくいくだろうか。

 しかし、彼女持ちの先輩方が言うことだ。ありえなくはないのかもしれない。


 なんとなく、空を仰ぎ見る。


 なんだか少しだけ、この眩しい夏の日差しが『希望の光』のように思えた。

 

(――女子の二の腕の柔らかさ=胸の柔らかさ)


 いやいやいや! 頭を振りながら、『アドバイス』というよりもはや『ただの邪念』を振り払いながら、俺は学校へと戻った。

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