第20話 『頑張れ』って、言ってほしい
小石に向き直って口を開いたとき、また演奏が始まった。
きらきら湧き上がるような木管と、
この出だしは――『木星』だ。
「まずは、
事情を話して、去年演劇部の顧問だった先生を教えてもらうんだ」
「…………」
「元顧問に、太巻先生役だった先輩の名前、元担任が誰だったかを教えてもらう。
で、元担任に、先輩の連絡先を教えてもらうんだ」
「……!」
小石が目を見開き、ようやく睨みを解除した。
「個人情報なんて……教えてもらえる?」
涙もやんでいる。よかった、クールダウンしてくれて。
「『お金を返したい』って事情を話せば、教えてくれそうじゃないか?
なんなら今みたいに泣いて、情に訴えろ。ダメなら、学校を通して連絡を取ってもらえばいいし」
「そもそも、卒業生の個人情報って、破棄されてないかな?」
「そのときは、また考えよう。
俺、最後まで付き合うからさ。諦めんなよ!」
言った直後、みるみる小石が先ほどの顔に戻り、再び大粒の涙をこぼしだした。
「なんでまた、睨むんだよ」
「……なんで?」
「え?」
「なんで、そんなに助けてくれるの?
昼休みも私を励ますために、わざわざ誘ってくれたんでしょ?
タオルと体操着のお礼なんて、とっくに超えてる。私、蓮君に借りっぱなしじゃない?」
ホルンが第三主題を奏で始めた。
「いや、昼休みはそんなんじゃねーぞ」
『思い出作り』という、俺の私利私欲のためだ。
「えっ? でも、『頑張れ』って言ってくれたよね?」
「あぁ、まぁ……言ったけど、あれは……。
いや、でも、貸しとかないし。むしろ、小石に過払いされたというか」
「どういうこと?」
俺は何も言えず、再び下を向いた。
「ねぇ、蓮君? 今日はなんだか、ちょっと変。
切なそうっていうか……何か悩んでない? 聞くよ?」
(まさか……俺の心配もしてくれてた?
今日は小石にとって、とても大事な日だったのに?)
小石に視線を戻す。
俺を直視するその目は、いつの間にか輝きが戻り、表情は『睨み』から『奮起』に変わっていた。第二波の涙もやんでいる。
「――ああ、切ないよ」
シンバルが鳴り響く。
「うん」
「はっきり言って、つらい」
「うん」
「でも、言えないんだ……」
激しく入ったティンパニーの音。それが全体の楽器とともに、徐々に弱まっていく。
「私も何か蓮君の力になりたいの。私にできることがあれば、なんでも言って!」
そして、静かになった。
「なら――」
こんなことしか思いつかない。
「『頑張れ』って、言ってほしい」
「わかった!」
木星の最も有名な、第四主題のメロディーが始まる。
小石が立ち上がり、俺の腕を
小石が手を離し、俺から距離を取るように走る。
回れ右でくるりと、こちらに体を向けた。
そして両手を口元に当て、
「頑張れ!」
凛々しい表情で放たれた、大きな声。
「って、おい、屋上でそんな大声っ! 先生とか聞いてたら、飛んで来るだろ!?」
「あははっ! 大丈夫。木星がカバーしてくれるよ」
「頑張れ!」もう一発。
「…………」
「頑張れ!」もう一発。
「…………あぁ」
しだいに楽器が増え、クレッシェンドする。
「蓮君!! 頑張れーーー!!!」
最後は、思いっきり腹の底から出した、堂々とした大声。
(なんだこれ、涙出そう)
喉の奥が詰まる。視界が
(ダメだ。小石のことが、ものすごく好き!!!)
「頑張る……」
呟いた声が微かに震える中、第四主題が終わった。
小石がこちらに駆けてくる。
静かな中、木管が鳴る。
彼女の頬は髪が張り付き、上気し、涙の跡などわからないほど汗にまみれている。
その顔が、まだ高い西日を受け――瞳も汗もきらきらと輝いて、ものすごく
「はぁ、はぁ……どう、かな?」
「はははっ! 切なさ増し増しの『特盛』だ!」
「えぇ〜? なんで!?」
「でも、響いた。
響いたから……俺、頑張るよ!! ありがとう」
言いながら俺は笑った。今度は、ちゃんと笑えた、と思う。
「本当? よかった!」小石も笑ってくれた。
「一つ、確認してもいいか?」
「何?」
「おまえ、太巻先生のこと、さらに好きになっただろ?」
「えっ!?」
「最初から返金してもらう気なしの『入学したら、返しにおいで』、かっこよすぎだよな」
「んっ……!」
図星のようだ。元々上気していた頬がさらに、りんごのように真っ赤に染まる。
「蓮君、鋭すぎ……!」
(太巻先生の株、爆上がりじゃねーか。クッソ腹立つな〜!)
木星は、まだ続いている。
俺の初恋も、もう少しだけ続くようだ。
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