第19話 早まるな、小石!!

 すぐに追いかけたはずなのに――見渡す廊下には、誰もいない。

 吹奏楽部の演奏が、ただぼんやりと耳に入ってくる。


(どこ行った? もしかして、帰ったのか?)


 ここは三階の北校舎。すぐ近くの東階段を駆け下りて、一階の昇降口へ向かう。




 昇降口に着くなり、小石の靴箱を確認する。

 まだ靴があった。


(教室か?)


 そのまま一年七組の教室に向かう。もう、汗だくだ。



 一年七組に――いない。

 いたのは窓際の後ろの席で喋っている女子、比嘉ひかはやの二人だった。


「誰か来なかったか?」


「来てないけど?」


「何? 尾瀬おせとか?」


「いや、ありがとう」

 

 とりあえず、そのまま一階を走って探し回る。

 途中、曲がり角でひやりとした。

 出会い頭に面識のない太めなおばちゃん先生と、ぶつかりそうになってしまった。


「走るんじゃないの、危ないでしょ! あと、右側通行よ!」


「すみません!」


「さっきも走ってた女子がいてねぇ〜。ま、なんかわけありっぽいから、とがめなかったけど」


「えっ? そいつ、どこで見ました?」


「何、痴話ちわげん? 相談室を出るときに、ぶつかりそうになったのよ」


 相談室は、北校舎三階の中央寄りの部屋だ。今朝の調査で知っている。


(小石は特別教室を飛び出してすぐ、東階段を下りたんじゃないんだ)


「ありがとうございます!」


「青春ねぇ〜……」


 つぶやき、頷きながら、おばちゃん先生が立ち去っていく。

 俺はその場で停止して考えながら、彼女が見えなくなるのを待った。


(廊下を真っすぐ走ったってことは、もしかしてあのまま――屋上に行ったとか……?)


 とたんに胸騒ぎがしてきた。『屋上』という単語に、嫌な想像ががる。


(早まるな、小石!!)


 俺はその場をロケットスタートし、北校舎の西階段を目指した。

 

 口が乾く。どうも汗も止まらない。


 西階段を駆け上がる。

 また、吹奏楽部の演奏が、ぼんやりと聞こえてきた。

 階段を上がるにつれ、音が鮮明になっていく。


 ダダダ・ダン・ダン・ダダ・ダン――


 程なくあらわになったのは、鬼気迫るようなリズム。それが繰り返される中、金管が分厚く旋律を奏で始めた。

 不穏な曲想が、不安と焦りをてる。


(これ、ホルストの『惑星』の『火星』じゃないか。やめてくれ、こんなときに!)


 三階を過ぎ、屋上階段を駆け上がる。


 急いで屋上扉のノブに手をかけたとき、人の気配に気が付いた。

 階段を上りきった所の隅に――小石が蹲っている。

 抱えた膝に、顔をうずめて。

 あのリズムのBGMは続いているが、自分の中の最悪な想像が消え、幾分ほっとした。


「小石……」


「…………」


 小石の座るポジションの薄暗さが、彼女の彩度を下げている。

 まるでその心情を、物語るかのような灰色感。

 床に置かれたリュックのアクキーのキャラたちが、心なしか悲しげに見える。

 俺はおもむろに、小石の横に座った。

 どうしていいか、わからない。その場で、ただBGMを聞き続けるしかなかった。

 


 火星も終盤になったころ、小石が少し顔を上げた。


 俺を見る彼女の目は――錆びた金属のように、すっかり輝きを失っている。

 前髪やおくれが顔に張り付き、顔をうずめていた部分のスカートの色が、所々濃くなっていた。


「もう……会えなくなった」

 絶望に打ちひしがれた、かすれた声。


「……諦めるのかよ」


「だってもう、いないんだよ!?」


 急に怒気を帯びた声と眼差しが、鋭く俺を突き刺す。

 直後、打楽器の激しい連打音が聞こえた。

 小石に引っ張られるように、俺も声を荒らげる。


「おまえ、そんなふうになるくらい、好きなんだろ!?」


「……っ」


「絵を描いたりキャラ弁作ったり……毎日毎日、太巻先生のこと考えてんだろ!?」


「……うんっ!!」


 俺をにらむ小石の目。

 ドラの音とともに、そこから大粒の涙があふれる。


 クッソ腹が立つ。

 ダダダ・ダン――


 はなから小石に会う気のなかった、太巻先生に。

 ダダ・ダン、ダダ・ダン・ダダダ・ダン――


 そんな彼を好きな、小石に。

 ダン、ダン――


「そんなに好きなら、簡単に諦めんな!!」

 ダン、ダン、ダン――


 こんなことを言う、自分に。

 ダーーーーーーーーン。

 同時に打楽器の連打音。そして曲が終わりを迎えた。


「『もういない』ってなんだよ? 卒業しただけだろ!? 故人みたいな言い方すんな!」


「じゃあ、どうしたら会えるの!?」


 静まり返った空間に、二人の荒々しい声だけが響く。


「……考える」


 俺は下を向いた。

 しばし自分の上履きを見ながら、考えをまとめる。

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