第18話 すまん。 その、言いづらいんだが……
「私、知らなかった! 去年の文化祭……一般公開日に体調不良で……行けなかったのっ!」
「………………」
かける言葉が見つからない。
太巻先生に、あれだけ情熱を燃やす小石だ。もしその演劇の存在を知っていたら、体調不良だろうが、地を
震える声と苦い表情。彼女の無念さが、痛いほど伝わってくる。
ちなみに、志望校を自宅最寄りという理由で、志望学科を消去法とあみだくじで決めるような俺は、もちろん文化祭など行っていない。
「へぇ〜! そうなんだ。あたし、行ったのに、寺子屋の演劇なんて全然気付かなかった。
行ったタイミングが悪かったのかな? 見たかったな〜!」
八尾も残念そうだ。
いきなり小石が、ぱっと八尾の手を取った。そして先日と違い、八尾を真っすぐに見つめている。
「小石……さん?」
「ムフ!? もしかして八尾君、寺子屋ファンでした!? 小石君のリュックのアクキーに至っては、もう完全にそうですよね!? 二人とも、ちょっと私の席で語り合いましょう!?」
(アクキーっていうんだ、あれ)
さらに興奮しだした椎名先輩が、返答を待つことなく、二人の腕を引いて自席に連れていく。俺がその光景を見ていると、
「
今度は自分のすぐ背後から、声が聞こえた。
振り返ると、それは先ほどまで後方の席にいた『河合』――同学年だがクラスも違うし、昼休みの一件もあるので『君』を付けておこう。
(椎名先輩といい河合君といい、気配なく近づくよな)
「あの、河合君。今日は、屋上階段……譲ってくれてありがとう」
「借りなら、体で返してもらえるとうれしいな」
無表情で、際どい表現。
「は?」
「ちょっと写真撮らせてくれない? 男子高校生を描きたいんだけど、自分は小さいし、渕会長じゃガタイがよすぎて。君、ちょうどいい体格じゃん」
「おい、河合まで……まだ話の途中なんだが」
渕先輩が河合君を制止しようとしたが、
「――まあ、後でな」
すぐに、それを諦めた。
俺も先ほどの女子たち同様、河合君に引っ張られ、彼の席に連れていかれる。
(まあ、少し付き合うか……小石もなんか、真剣に寺子屋トーク聞いてるっぽいし……)
河合君の席に来ると、彼はズボンのポケットからスマホを取り出した。
「じゃあ、まずは普通に立って」
「こう?」
「いや、気をつけじゃなくて。わかった、じゃあ右手をズボンのポケットに入れて、左手はだらんと。顔はやや下向き、だけど目はこっち見て、微笑んで」
「……こう?」
「もっと、ニヒルな感じ。闇魔法が使えて、俺最強なんですけど的な、高慢な感じで」
(ニヒル、闇魔法、俺最強、高慢……)
自分なりに、河合君の要求を体現してみる。
「そう! 君いいね、的確!」
スマホのシャッター音が無数に鳴る。くるくると俺の周りを回る彼は、いろんな角度から撮影しているらしい。
「次、右手で闇魔法『
(『黒蝶乱舞』ってなんだよ!? てか、俺の漢字変換合ってる? もう面倒だから適当にやるぞ!)
右手のひらを上に向けながら河合君を睨み、口はニヒル笑いでとどまった。
再び無数のシャッター音が鳴る。
「あ……」
黒蝶を出したままの手で、ふと我に返る。辺りを見回すと、女子三人がこちらを凝視していることに気付いた。
目が合い、にこりと微笑みながら頷く小石。
あとの二人は口元に手を当て、ほくそ笑んでいる。
「っ……!!」
瞬時に心が羞恥で占拠された。俺はいたたまれずに顔面を両手で覆い、その場に
「君、せっかくよかったのに! なんで崩れるかな!?」
(あの二人に黒蝶乱舞撃ちてぇ!!)
***
かれこれ一時間。河合君に体で借りを返し――教室の時計は、もう五時を回っていた。
「ありがとう! いい資料がたくさん手に入った。
僕、漫画の投稿したいんだけど、君がモデルの主人公にしたい。いいかな?」
「ああ……好きにして。じゃあ俺は、あっち行くから……」
人の要求に合わせてポーズを取るのって、頭使うし体力も使うし、精神力も使う。
なんだかどっと疲れた体で、小石の元へ向かう。
いつの間にか小石は、椅子に座って鉛筆を持ち、机上の紙と向き合っていた。
「体は置いといて、顔を描く練習をしてみましょうか」
「小石さん、まずは楕円を描いて――」
椎名先輩と八尾が、小石に何やら絵を描くアドバイスをしているようだ。
「小石、遅くなってごめん。そろそろ本題に戻ろう」
「うん」
「そうですか。では小石君、またいつでも遊びに来てください!」
「はい、ぜひ!」
(なんか打ち解けてる? やっぱり、オタク気質な人と気が合うんだろうな)
「八尾さんも、ありがとう」
小石はうれしそうだが、もじもじして伏目がちに言った。
(目はそこまで合わせられないか。でも、こんな感じも可愛いな)
俺は小石を連れて、再び渕先輩の席へ行った。
「渕先輩、情報ありがとうございました。それで俺たち、演劇部を訪ねたいんですが、演劇部は――」
渕先輩が再びペンを置き、こちらを見る。そして、一拍置いて口を開いた。
「すまん。
その、言いづらいんだが……演劇部は、昨年度をもって廃部になったんだ」
「え!?」
「去年、部員が全員三年生だったらしい」
――沈黙が流れる。
渕先輩から視線が動かせない。
それは隣にいる小石を、見ることができないからだ。
しかし彼女を見ずとも、それを取り巻く空気が、一気に重くなったのを感じた。
重苦しさに押しつぶされそうな中、言いづらいセリフが喉の奥から
「……じゃあ、太巻先生は……すでに卒業して――」
俺が言い終わる前に、小さな弧を描いた小石のポニーテールが視界に入った。
「おい! 小石っ!」
突然走りだした小石が、勢いよく扉を開け放ち、教室を飛び出す。
そんなあいつを放っておけるわけもなく、俺も
「すみません! 漫研の皆さん、お世話になりました!」
振り向きざまに見た、何事かと
それをよそに、俺も教室を飛び出した。
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