第17話 小石、渕先輩じゃないのか?

 時は来た。

 体が重い。しかしこれは、背負っているリュックのせいではない。

 七月二十日。間もなく今日という日が、小石と太巻おおまき先生の『交際記念日』になり、俺の『初恋命日』になろうとしている。

 そして一年後の今日は、こんなかもしれない。


 太巻先生の部屋――ローテブルのそばに、ベッドがある。

 ベッドにもたれながら床に座る小石。『今日で……付き合って一年だね』と、はにかみ笑顔で、ローテブルの卓上カレンダーを指差す。

 そんな彼女に、ほほみながら寄り添う太巻先生。

 小石が太巻先生に顔を向け、目をつぶる。

 それに応じるように、太巻先生が彼女の唇に――


「――君? むく君!!」


「あっ!?」


「なんか、とっっても切なそうだけど、大丈夫?」


 俺を妄想から引きずり出した八尾やおが、げんな顔をし、振り返る体勢でこちらを見ている。


「あっ……ああ!」


われながら、たくましい妄想力だ……)


 自分の隣にいる小石に視線をずらすと――バチッ。

 眉間にしわを寄せ、俺を凝視している彼女の視線とぶつかった。


「……!」


 まるで、自分の心の中をあばこうとするようなまなし。

 小石の瞳の中に閉じ込められたように、そこに映る自分が見える。


(え? 何、この感じ……)


 なんだかとても居心地が悪い。俺はごまかすように、作り笑顔を返した。

 そして視線を前に向けるように、彼女かららす。


 ――今、俺たちの目の前にある扉。その上には『特別教室』と書かれた教室札がある。隣接する部屋には『生徒会室』の教室札が見える。ここは入学してから、まったく縁のなかったエリアだ。まあ、『今朝の調査』でチラ見はしたが。


「おはようございます」

 八尾が扉を開けて入っていった。


「おはよう!」


「おはようございます」


「おはよう」


 室内から聞こえる部員たちの声。放課後での、その挨拶には違和感があるが、漫研ではこうらしい。

 俺は職員室に入るときのルールと同様に、リュックを肩から下ろし、手に持った。小石がそれを見てならう。


「失礼します」


「……失礼……します」


 八尾に続いて、俺たちも入室した。


(こんな教室、あったんだな)


 普通教室の二倍はあるだろう、広々とした室内は、南北両側に窓があり明るい。長机一台につき椅子が三脚。横に五台あるそのセットが縦にずらりと並び、三名の部員たちが点々と座って作業している。なんとも贅沢な部屋の使い方だ。


 隣で、小石がきょろきょろと辺りを見回している。太巻先生を探しているのだろう。

 中央最前列の席の男子に、八尾が近寄る。そして、こちらに手招きをしたので、俺たちは急ぎ足で彼女の元へ向かった。


「会長、クラスメートが漫研に用があるそうなので、連れてきました」


 会長と呼ばれる男子が、描きかけの漫画原稿の横にペンを置き、八尾を一目してから俺と小石を見た。そして椅子から立ち上がった彼は――俺よりだいぶ背が高く、ガタイもいい。それに加えて彼の坊主頭は、漫研より『どう見ても運動部』といった印象を与えている。 

 彼が漫研に入った経緯が、ものすごく気になるところだが……今は話を進めなければならない。


「どうも、活動中すみません。一年七組の椋輪と、小石です」


 緊張しつつも意を決したような表情で、小石が俺の横に並ぶ。


「会長のぶちだ」


 まず俺は、つい先ほどから感じていた『部長』ではなく『会長』という言葉への違和感を口にした。


「『会長』って――漫研って、部じゃないんですか?」


「うちは漫画研究だ。発足以来ずっと人が集まらなくてな」


「もしかして……メンバーは今、ここにいる人たちで全員ですか?」


 渕先輩と八尾以外に今いるメンバーは……お団子ヘアの眼鏡女子と、小柄な色白男子の二人だ。


(てか、今日屋上にいた男子じゃないか!)


 二人ともそれぞれ離れた場所で、黙々もくもくと作業を続けている。


「そうだ。二年生が俺と、あそこの女子『しい』。一年生が八尾と、そっちの男子『あい』。この四人で全員だ。あと一人入れば、部に昇格できるんだがな〜」


「そうなんですね……ありがとうございます」


 この中で太巻先生の可能性があるのは――渕先輩しかいない。


「小石、渕先輩じゃないのか?」


「違う……骨格が」


「……そうか」


「ちょっと、骨格って何!? なんかよくわかんないけど、会長に失礼じゃない? いったい、どういう人を探してんのよ?」

 八尾が立腹気味だ。


「……しっ……失礼いたしましたっ……」

 小石がほおに汗を浮かべながら、頭を下げる。


「別に失礼でもなんでもない、謝るな」

 小石に手のひらを向け、渕先輩が制止した。


「小石が去年の学校説明会で、『寺子屋名探偵』の、太巻先生のコスプレをした先輩にお世話になったんです。その先輩を探してて……」


「コスプレ=漫研ってわけ?」


「――それは、演劇部だな」

 渕先輩が、腕を組みながら言った。


「えっ!? 演劇部? そうか、そっちだったか〜!」


「去年の文化祭で、寺子屋名探偵を上演したんだ。その練習に来ていた演劇部員だろう。

 すごくハマリ役だったな、太巻先生……」

 渕先輩が遠い目をしている。


「そうそう! 演劇部全体がレベル高かったですけど、特に太巻先生ですよね! 演技も完璧で、クッソイケメンで〜! 大盛況でしたよねっ!」


 渕先輩のすぐ背後から、興奮気味の女子の声が聞こえた。渕先輩が一歩横にずれると、いつの間にか……『椎名先輩』が、眼鏡を光らせて立っていた。


(この人、いつの間にいたんだよ。てか太巻先生、クッソイケメンなのかよ!)


「ちなみに、著作権者の許可はちゃんと取って上演したらしいですよ? そういうところもちゃんとして――」


 ぺらぺらと喋りだす椎名先輩をよそに、俺は小石の様子をうかがう。

 そして、その異変に戸惑った。


「ど、どうした? 小石」


 がっくりとうつむき、固く握り締めた彼女のこぶしが、かすかに震えている。

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