第16話 減価償却費の計算も――告白も

 今日私は、あの太巻おおまき先生に告白する。


 彼とは学校説明会で出会ったきり、約一年間も会っていない。なんだか実感がかなくて、今朝もいつもどおり太巻先生のキャラ弁を作って、いつもどおり登校した。


 もう、すっかり見慣れた昇降口。


 ――『入学したら、返しにおいで』


 持ち合わせがない私に向けた、優しい声と笑顔。

 なりふり構わず、コスプレ姿でドラッグストアに走ってくれた、背中。

 ふと、一年前のここでの光景が、色鮮やかによみがえった。

 すると急に実感が湧いて、気持ちが次々に込み上がってきた。


 ついに会えるんだという、うれしさ。

 お金を返さなきゃという、責務感。

 そして――それらをりょうしてしまいそうなほどの、告白への不安。


(私……うまく話せるかな……)


 去年、彼とは目を見てちゃんと話せた。私にとって、太巻先生をはじめ、寺子屋キャラにそっくりな人は特別。人見知りが発動しない。

 でも、告白するとなると、それはそれで、人見知りとは別の緊張が発生してしまう。

 もしかしたら言葉を発するのさえ、ままならないかもしれない。


 たちまち心が、『黒い霧』に覆われてしまったような気がした。 

 夏なのに、指先が冷えていく。

 椿高つばこうに入学して、とっくに決心はついていたのに。

 


 昼休み。

 せっかく誘ってくれたんだから、今は、とりあえず楽しもうと思った。

 実際、れん君と話して、楽しかった。いっぱい笑った。

 そして、寺子屋の話に夢中になった。共感したり、自分とは違う考察や感想も聞けて、新鮮だった。

 そしたら不思議と、だんだん不安が和らいでいって……


『小石――告白頑張れよ!』


 気付けば、『黒い霧』がすっかり晴れていた。

 きっと、お昼に誘ってくれたのは、私を激励してくれるためだったんだ。

 でも、蓮君のあの顔が引っかかる。


『俺こそ……いろいろ話せて、楽しかった。ありがとう』


 苦いような、悲しいようなほほみ。それまで楽しそうだった様子から一転、まるで私から、『黒い霧』を全部引き取ってしまったかのようだった。


 もしかして……蓮君も、何か悩み事があるのかな?



「――石。……小石?」


「……はいっ?」


「問一の答えは?」


「………………すっ!」


(すみません、佐藤先生! 問題、やってませんでした!)


 今は五時間目。簿記の授業中。

 気付けば、みんなの視線が私に集まっている。

 私が固まっていると、遠くの席から声がした。


「先生、質問なんですが」


 振り返ると、私から一番遠い席の――蓮君が手を挙げている。


むく、どうした?」


「この問題、パソコンのげんしょうきゃくですけど、パソコンって備品ってことですか? 前にやったわけの問題では、消耗品費だったんですけど」


「そこな。消耗品費の説明で言ったぞ。忘れたか? この問題、『取得原価三十万円』って書いてあるよな?」


「はい」


(今のうちに、やらなきゃ!)

 急いで問題集に目を移す。


「椋輪が言ってる、消耗品費にした仕訳は、十万円未満だったはずだ。だから――」


(……ってこれ、もしかして、時間稼ぎ?)


「ちなみに『定額法で』って、定額法の他に何法があるんですか?」


「椋輪〜、今日はずいぶん熱心だな。

 まだ勉強するのは先だけど、定率法と、自動車とか航空機とかだと、生産高比例法もあるぞ。予習しとく?」


「はい! とりあえず定率法だけ、お願いします」


「ははっ、そうだな。じゃあ――」


 今、時間を稼いでくれていること。

 昼休みに、元気づけてくれたこと。

 昨日、教室の移動を教えてくれたこと。

 太巻先生探しを、手伝ってくれたこと。

 私は、蓮君に助けてもらってばっかりだ。


 ちゃんと、やらなきゃ。


 減価償却費の計算も――告白も。


(えっと……残存ざんぞんかくゼロね。簡単だ)




「――はい、というわけだ。二級で出るやつだけどな。

 ……ところで小石、さっきの答え」


 うまく話せなくてもいい。彼の目を見て、ただシンプルに、四文字の言葉を言うんだ。

 蓮君のおかげで、吹っ切れたよ。

 ありがとう。

 私、頑張るね! 


「はい! 借方、減価償却費、七万五千円。貸方、備品、七万五千円です!」


 いつもより大きな声で、佐藤先生の目を見て言えた答え。

 そんな私に、少し驚いた顔の佐藤先生が、ワンテンポ遅れて言った。


「正解。じゃあ小石の次は、熱心な椋輪な? 問二はちょっと複雑だから、仕訳と計算の流れを黒板に書いてくれ」


「うわ〜。マジか……」蓮君が、苦笑いしている。


 その前の席で、尾瀬おせ君が口を抑えてブフッと、笑いをこらえている。

 私の周りからも、失笑の声が聞こえた。


 そう、次は蓮君。


 あなたがもし、何か悩んでいるなら――今度は、蓮君を私が助ける!

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