第15話 さよなら――俺の初恋

「あ〜〜、もう……無理!」


 続いて響いた、男子の声。

 まさかの出来事に度肝を抜かれ、俺は恐れていた事態に陥った。


「ッ! ゲホッ! ゴホゴホッ!!」


「蓮君! 大丈夫!?」

 盛大にむせる俺の背中を、小石が慌ててさする。


 涙目で後ろを振り返ると、屋上扉の前に、見知らぬ小柄な色白の男子生徒が立っていた。弁当と水筒、なぜかノートを持ち、汗だくの顔で、こちらを見下ろしている。


「君ら。階段下りるから、どいてくれる?」


(もしかして――俺が来たから、屋上に出たのか?)


 屋上は一面、直射日光にさらされたコンクリートだ。さすがに暑くて、耐えられなかったのだろう。


「ゴホッ、すみません……」


 俺たちは、小柄色白男子の行く手を空けるよう、左右の端に寄った。


「僕こそ。タイミングが悪かったみたいで」


 手の甲で汗を拭いながら、俺と小石の間を通り、彼は階下へと消えていった。


(何年生かわからないけど……今度会ったら、お礼を言おう)


「……食べようか。水、ありがとう……」


 俺は小石にペットボトルを返し、自分の弁当を開けた。

 小石も弁当を開け、中身を一目する。すると、目にきらめきを宿し、口角を上げながら、俺の前にそれを差し出してきた。


 それは、おいしそうなおかずが――かすんでしまいそうなほど、ご飯の部分が目立った弁当だった。


「これ、太巻おおまき先生……なんだよな?」


 平らなご飯の上に載った、ハムとチーズを重ねた土台に、太巻先生(予想)の海苔の切り絵が貼り付けられている。

 絵自体はもちろん、ものすごく下手だ。しかし、それを構成している海苔の細さが、尋常じゃない。紙の切り絵のように、デザインナイフを使ったのだろうか……一心不乱に海苔を切る小石の姿が、目に浮かぶ。


 なんにせよ、これは、精魂せいこんが込められた『作品』だ。


「やっぱり、おまえの情熱はものすごいな!」


「でしょ? 実は、昨日も会心の出来だったの!」


「あぁ、なるほど。そうか」


 だから、あんないい顔で弁当を食べてたのか。


「見たかったな」 

 昨日の光景を思い出し、笑みがこぼれた。


「よし。じゃあ大作に、ちゃんと『いただきます』するか」


「え?」


「手を、合わせてください」

 小学校低学年のような調子で、俺が言う。


「はい!」小石が手を合わせる。


「いた、だき、ます!」まだその調子は続く。


「いた、だき、ます!」小石も小学生になった。


「あはははっ! 給食の挨拶? やったやった、懐かし〜。

 あっ、蓮君は生姜焼き?」


「ああ、俺の好物。

 ――おまえの卵焼き、プレーンでいいな。うち、いっつも小松菜とか、しらすとか混ぜられててさ……」


「それは、食べる人の健康を考えてくれてるんだよ。

 うん。でも確かに、うちのお母さんの卵焼きはおいしい。交換する? 蓮君の半熟卵と」


 小石の目が、じっと俺の半熟卵を狙っている。


「いいのか? じゃあ――」


「あっ、口、そのまま!」


『あ』の形のまま待機させられた口に、小石が自身の箸で、卵焼きを入れた。


「ぐっ!?」


「はい、じゃあここに置いて」

 小石が卵焼きの跡地に、半熟卵を誘導する。


 俺は火照ほてりだした顔を隠すように、しゃくする口元を左手で覆った。味わう余裕もなく、感想も言えないまま、半熟卵を誘導場所に置く。それはすぐに、小石の口へと運ばれた。


「ん〜、おいしい。私、ゆで卵も目玉焼きも半熟派なんだけど、お母さんが固茹で固目玉焼き派でね。小さいころ、苦手で。黄身だけお父さんにあげてた。

 で、試しに半熟にしてもらったら、え……黄身おいしいじゃんって」


「くっ……」


 勝手な想像だが、幼い彼女が、せっせと目玉焼きの黄身をくり抜いているさまを思い浮かべ、吹き出してしまった。


「そういや昔、うちの妹は天ぷらの衣取って、中身だけ食べてたな」


「あははっ、それ、天ぷらにする必要ないよね? 妹かぁ、可愛い〜。何歳?」


「十四の中二。今や可愛げゼロだぞ。小石は、きょうだいいる?」


「弟が一人いるよ。まだ小学生でね。泣き虫で困る」


(なんて姉ガチャ運のいい弟だ)


 小石が太巻先生の切り絵を食べ始めたところで、今朝見返した『寺子屋名探偵感想ノート』の内容を切り出した。


「俺さ、最近観たんだけど、寺子屋のシーズン二十九、第十三話について、小石と話したかったんだ」


 その回は、欧米系の容姿を持つりんろうが、その珍しさ故、賊たちに誘拐されてしまうという内容だ。


「うん、ぜひ!」


「太巻先生と凛太郎の出会いの回想シーン、圧倒的な映像美じゃなかったか? 夕日に照らされた、赤ちゃんの凛太郎の目とか髪とか、見下ろした田んぼの景色とか」


 俺は映像を思い出しながら、くうあおいだ。


「うんうん、すごくれいだった。そこがまた、先生の『亡き両親との思い出の場所』っていうのが、くるよね」


「運命感じるよな。いや、赤ちゃん、あんな所に捨てるなって話だけど。

 でも、絶望の中で見つけた、小さな希望って感じでさ。涙腺ヤバかったよな、幼い先生がボロ泣きで、凛太郎を抱っこしたシーン!」


「わかる! ……あ〜、ダメダメ! あのときのBGMが頭の中で……」


 小石が箸を止め、涙目になっている。


「凛君、『こんな外見だから狙われるんだ、先生が負傷したのは僕のせいだ』って、泣きながら髪を切ったよね」


 瞬きした小石の目から、一筋の涙が流れる。俺は動揺を抑えながら、会話を続けた。


「『僕なんて、拾わなきゃよかったんだ!』って、家出したときは……切なかったな。

 で、太巻先生が髪を脱色させて迎えに来たやつ。『長い分、おまえより目立つな!』って笑ってたあれ、男前だよな〜」


「えっ!? 蓮君もそう思う? 私、あの太巻先生を一時停止して、目に焼き付けた!!

 そうそう、けん君も、髪伸ばしてたはずなのに切っちゃったよね!」


涙を拭いながら、頬を上気させ、なんだか興奮気味だ。


「『これからの時代は短髪だ』とか、素直じゃないよな〜、あいつも」


 一拍置いて、俺と小石の声が重なった。


「……神回だよな」

「……神回だよね」


「てか、それ以降の回、太巻先生ずっとあの髪色だし、剣蔵もずっと短髪なんだけど」


「凛君だけ、徐々に元に戻ってるよね?」


「そう、そこ謎っ!! 教えてくれ」


「あはははっ!」


***


 食後も寺子屋話に花が咲き、あっという間に時間が過ぎ去った。スマホを確認すると、昼休み終了の時間が迫っている。


(あ〜~〜〜、もう止まれよ! 時間!)


 こんなに近くで、小石のいろんな表情が見られた五十分間。昼休みが終わるのを、今日ほど名残惜しく感じたことはない。でも、時間なんて止まるわけもなく……あらかじめ用意したセリフを言わなければならなかった。


「そろそろ帰るか。俺、トイレ寄るから先帰ってて」


「うん。久しぶりに喋りながら食べられて、楽しかった。ありがとうね!」

 小石が目を細める。


「俺こそ……いろいろ話せて、楽しかった。ありがとう」


 心からそう言えたのは、間違いない。

 なのに――

 顔がこわばる。うまく笑えない。

 見られたくなくて、うつむいた。


(……でもまだ、これだけは言うんだ)


 やっぱり、どんな顔であろうと上げよう。小石の顔が見たいから。



「小石――告白頑張れよ!」



 彼女は一瞬、目を見張ったが


「――うん!」


 うなずきながら、晴れ晴れとしたまぶしい笑顔を返してくれた。


「じゃあね」


 小石が荷物を持って立ち上がり、階段を下り始める。

 しだいに距離が開いていく背中。俺はそれを見送りながら、心の中でつぶやいた。



(さよなら――俺の初恋)

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