第11話 い、今のは、おまえへの感謝じゃない!

(今だ!!)


 俺は体操着の入った紙袋をつかみ、小石の席に駆け寄った。

 小石は昼休み終了のチャイムも、クラスメートが皆教室から出ていったことにも気付いていないらしい。

 そして今俺は、小石のすぐ正面に立ったところだが……何事もない様子で、いまだに読書を続けている。この状況に先日、絵を描いていたときの小石を思い出した。


(ただ声をかけるだけじゃ、ダメだ)


 俺は、小説に向ける視線を遮るよう、彼女の目の前に紙袋を突き付けた。


「小石、遅くなってごめんな。これ、ありがとう」


 急に変わった視界に、状況がなかなか理解できなかったようだ。ワンテンポ遅れて、小石が俺を見上げた。


れん君! ――あぁ、体操着ね?」


 疑問形だったが、予想どおりの『体操着ね』。


(よかった、本っっ当によかった。今、教室に誰もいなくて)


 小石は小説を閉じて机に置き、目の前の物を受け取った。


「ふふっ、乙女椿? ステキな紙袋だね。ありがとう」


 ほほむ彼女に、いろいろと話したくなったが、今は時間がない。


「おまえ、また読書に没頭してただろ。昼休み終わってるぞ? 次、プログだからな」


「えっ……」

 時計を見たとたん、小石が固まった。


「急げ! こし先生、怒ると怖いだろ!」


「わ〜、またやっちゃった! 教えてくれてありがとう!」


 小石が慌てて紙袋をフックに掛け、机の中をあさりだす。

 机の上に、プログラミングの教科書と課題集、ノート、ペンケースに下敷き、最後にファイルを出したところで――バサリ。先ほどまで読んでいた小説が、次々と出された物に押される形で、床に落ちた。


「ふっ……」


 俺は思わず吹き出しながら、小説を拾った。そして床についた面――『寺子屋名探偵』のタイトルに、太巻先生が描かれた表紙を手で払い、小石に差し出す。


「あ、ありがとう……」

 彼女が小説を受け取る。


「はははっ。小石って……なんか、『りんろう』みたいだな」


『凛太郎』とは寺子屋名探偵の、太巻先生の元にそうろうしている、彼の生徒兼助手だ。昆虫関連のこととなると、周りが見えなくなるほど集中してしまう『虫オタク』である。虫の知識は豊富だが、学問はさっぱり。おっちょこちょいであわものの十五歳だ。


「なんか、こんなシーンあったよな?」


「……! それってもしかして、去年の第五話で、けん君がりん君に本を――」

 さすが小石。理解が早い。


「そう。でもほら、もう行くぞ!」

 俺は走って自分の席に向かった。


 教室の時計は、五時間目開始まですでに二分を切っている。プログラミング実習室は特別教室棟の二階、走れば間に合う。

 小石も走りだす。

 俺は机の上に放置した授業セットを引っ摑んだ。

 そして教室の前方と後方から、二人同時に教室を飛び出した。


「い、今のは、おまえへの感謝じゃない!」


 背後から、突然聞こえた声。

 まるで別人のような小石の口調に驚き、俺は足を止めて振り返った。


「おまえの行動に、感謝したんだ!」


 小石が、授業セットを持つ左手の甲を腰に当て、右手で俺を指差しながら言った。ツンとしつつも照れたような表情をしている。


 凛太郎だ。


 声や顔立ちが似ているわけではない。しかし今の口調や表情、しぐさはまるで、本人のようだ。そしてこれは、先ほど俺が言ったシーンのセリフだと思われる。


(えっと……)


 俺は前髪を右に流し、鼻で笑ってから無愛想に返した。


「俺も、おまえのためじゃない。本のために拾ったんだ」


「――って、こんな場合か!? 早く行くぞ!!」


 俺たちは廊下を走りだした。


「ふっ、あはははは! 蓮君、剣君すぎ!」

 小石が吹き出して笑った。


「ばっ……! はは! おまえもだ!」

 俺もつられて笑った。


 二人で笑いながら走る。


 今日も小石のこんな顔が見られて、声が聞けてうれしい。

 無事、返却物を返せた安堵感も後押しし、俺の走る足取りはとても軽かった。

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