第9話 オレ、その件でムクと話したかったんだ

 東の空から照りつける日射しは、すでに強い。そんな中、自転車を飛ばして登校した俺は、朝から汗だくになっていた。

 自転車を駐輪場に止めて、昇降口に向かう。


 今日は火曜日。あっという間に三連休が終わった。

 明日の放課後は、八尾やおの案内で小石と漫研を訪ねることになっている。

 きっと小石は太巻おおまき先生と感動の再会を果たし、告白し、二人はそのまま付き合うこととなるだろう。

 そうなってしまう前に、小石と少しでも親睦しんぼくを深め、少しでもその笑顔が見たい。そのために俺はこの三連休、『勉強』をしてきた。


 昇降口でいそいそと上履きを履き、はやる気持ちで教室に向かう。しかし、自分の左手にげた紙袋を見たとたん、心も足も減速しだした。


(親睦を深める前に、これ、いつ返そう……)


 その中には、厚手で不透明のビニールに入れた体操着が入っている。ちなみに紙袋は、よく知らないアパレルブランドのものだ。おと椿つばきがシンプルな線で描かれている。少しでもオシャレな袋がいいと思い、妹に譲ってもらった。

 妹は『なんでこれが欲しいの?』とげんな様子だったが、『椿高つばこうっぽいから』で納得してくれたので助かった。


(今日一日、人がいないタイミングを見計らうか)


 小石は俺にちゅうちょなく体操着を貸したヤツだ。俺が『これ、ありがとう』と言って紙袋を渡したら、『ああ、体操着ね』と普通に言うだろう。それがもし、周りに聞かれたら……。

 男女兼用にしても、女子から体操着を借りたなんて、絶対に誰にもバレたくない。最悪、『変態』というあだ名がつくかもしれない。それでは、俺のな高校生活に支障が出る。それは避けたい。

 今日は幸い体育がない日だ。じっくりチャンスを待とう。

 

 教室に着くなり、小石の席を確認すると――彼女は『朝読書』をしていた。

 いつもより早めに登校したはずだったが、クラスの半数以上はすでに教室にいる。今はとても、体操着を返せるタイミングではない。


 小石を見ながら、リュックと紙袋を机のフックに掛ける。

 席に着くと、前の席のヤツが振り向きざまに話しかけてきた。


「おはよ、ムク。今日早くない?

 ……って、あれ? 今日は第一ボタンまで留めちゃって、どうした?」


 この席になってからというもの、なれなれしく俺を『ムク』呼ばわりするのは、尾瀬おせというツーブロックの男だ。髪色は明るく、自分で『ミルクティーベージュ』だかなんだか言っていた。今日も半袖シャツの第一ボタンを外し、ネクタイもゆるく、だらしない。


「その、どこぞやの犬みたいな呼び方、やめろ」


「えぇ〜? オレは気に入ってるんだけど?」


 このヘラヘラした感じ、俺の苦手なタイプだ。


「今日の放課後、ちょっと付き合わない?」


「断る」


 学校での絡みだけでもウンザリしているのに、なぜそれを延長せねばならない。


「今日も冷たいな~」

 尾瀬が苦笑する。


「……ところで、それ……いつ返すの?」


 そう言ったこいつの目線の先は、いつの間にか――机の横の紙袋だ。


「!?」


 一気に、が引いた気がした。


「なんで――」


「オレ、金曜、駅で定期ないの気付いてさ。教室に探しに戻ったんだ。ま、ムクたちが教室出るまで待ってたけど」


 俺は言葉を失った。

 こいつは、何をどこまで知っているのか。今は聞く勇気が出ない。

 先週金曜日の出来事が、走馬灯のように頭を駆け巡る。


「……わかった、尾瀬。今日の放課後、付き合う」


「よかった〜、オレ、その件でムクと話したかったんだ」


 にこりと尾瀬が笑う。なんだか、だんだん腹が立ってきた。


「んで、定期なんだけど結局さ~、たっつんの所に届いてたんだ。昇降口の自販機の所にに落ちてたって。

 ズボンのポケットから、財布取るときに落ちたんだわ」


 尾瀬の言う『たっつん』とは担任のいく先生だ。筋骨きんこつ隆々りゅうりゅう、三十代後半の体育教師である。


「見つかってよかったな」


 いつもなら興味なく『へ〜』と答えるところだが、今は無下な対応はできない。そして努力はしたが、きっと俺は今、引きつった笑顔をしている。


「尾瀬……」


「わかってるって。のことは、誰にも言わないから」


 尾瀬の『にこり』が『にやり』に変わった。

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