第6話 俺は初恋も、今好きなのもお前だ……

 八尾がデッサンに戻った。


「――俺も帰る。雨もやんだし。小石は?」


 廊下の窓から見える空は、濃いオレンジになっている。


「私も、このまま帰る」



 階段を一段一段下りるたびに、小石のリュックのキーホルダーが揺れる。


「蓮君は、どこに住んでるの?」


椿つばきだい


「そっか、近くていいね。私はほんまつ


「じゃあ電車か、結構遠いよな。……なんで椿高つばこう選んだんだ?」


「学校説明会、何校か行ったんだけど、ここの先輩方がすごく生き生きしてたから。

 太巻先生も『いい学校だよ』って言ってたし」


「『入学したら、返しにおいで』って言われたしな」


 小石がほおを赤らめながら続ける。


「どの学科紹介も楽しかったけど、私、パソコン使えたらいいなっていうのと、先輩方が資格をいっぱい取っててかっこいいなって思って、商業科を選んだの。

 蓮君は?」


「――最寄りだから……」


「そういう決め方もあるんだね」

 小石がふふっと笑う。


 学校説明会にも参加せず、自宅から最寄りというだけで、ここ一択だった。もちろん入試の面接時には、あらかじめ考えた当たり障りない志望動機を述べた。学科は消去法で普通科か商業科、最終進路希望調査票のプリントの裏に、あみだくじを作って決めた。提出時には消したが。


 なんとも体裁ていさいの悪い過去を振り返っている間に、昇降口に着いた。

 もう少し話したい。話題を変えよう。


「小石って、いつも放課後に教室で絵を描いてるのか?」


「たまにね。いつもは家で描いてる。

 今日はSHRショートホームルームのときに、突然いいイメージが浮かんで『今描かなきゃ!』って」


「……そうか。あとさ、休み時間によく読んでるのって、なんの本?」


「寺子屋名探偵の小説! ついつい没頭しちゃって、気付くといつの間にか授業が始まってたりするんだよね」


(ホント……寺子屋オタクだな。てかこいつ、最前列の席なのに大丈夫なのか?)


「俺、今まで小石って『孤高の優等生』って思ってたけど……実は『人見知りな優等生』だったんだな」


 小石が目を丸くする。まるで赤茶の、れいなビー玉みたいだ。


「『孤高の優等生』って私、そんなかっこいいイメージだった!? ……くっ、あはははっ!」


 とたん、豊かなまつ毛でビー玉が隠れた。小石が口を大きく開けて笑いながら、靴箱からローファーを取り出した。こんなふうにも笑うのか。


「『寺子屋オタク』ってことも、今日よくわかった。あ……」


 俺はとっに自分の口を抑えた。


(しまった……『寺子屋オタク』とか、思ったことをまた、そのまま言った)


 八尾のように怒りだすかもしれない、どう謝罪しようかと考え始めたとき


「オタク=『その道を極めし者』ってことでしょ? 誇らしい称号をありがとう!」

 発言同様、誇らしげに小石が言った。


 けなすつもりでも、褒めるつもりでもなかった。が、プラスにとらえてくれたようでほっとした。


「でもね、『優等生』は違うかな。

 ――じゃっ! 今日はありがとね、蓮君」


「いや、こっちこそ。体操着、ちゃんと洗って返すから。服入れる袋までありがとうな」


 先に外に出ていく小石が俺に手を振る。その姿は夕日の逆光を受け、輪郭線が細く光っている。

 しばし見惚みとれてしまった後、俺は傘立てに脱ぎ捨てたレインコートを回収し、自転車にまたがった。



***



 その夜。

 俺はベッドに仰向けで、真っ暗な自室の天井を凝視していた。

 今日はなかなか眠れない。

 脳裏に浮かぶのは、自分にノートを突き付けたときの小石の汗・髪・頬・唇・瞳はじめ、本日見惚れたシーンのハイライトだ。目に焼き付いた全てが、エンドレスリピートされる。


「はぁ……」


 目を閉じ、そこに手の甲を乗せる。

 ダメだ。目を閉じると余計、ハイライトが鮮明になる。


 まぶしくて、綺麗だった。


 ――『アニメの太巻先生が、私の初恋の人』

 ――『去年椿高で会った太巻先生が、今……私の…………好きな人なの』


「俺は初恋も、今好きなのもおまえだ……」


 ボソリとした呟きが、口からこぼれ落ちる。


(早く学校に行きたい)


 こんなことを思ったのはせいぜい、小学校の、好きな給食のメニューのときくらいだ。


(早く三連休終わらねーかな)


 こんなことを思ったのは、生まれて初めてだ。異常だ。これは本当に俺か?


(つまり、小石に早く会いたい!!)


 胸がパチパチする。


 なんだか、いつか家族で行ったキャンプを思い出す。バーベキューの炭起こしで、パチパチと火花を散らしながらぜた炭に、玲菜れなと悲鳴をあげながら逃げたっけ。

 俺って実は……ばくちょうするような、湿気たダメな炭だったのか――


(あ〜〜〜〜もう疲れた! 寝よう!)


 ふと時間が気になり、スマホをつける。

 ただ今の時刻――午前一時五十九分。

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