第2話 たぶん――落ちた

「!!」


 ちょんぼりとしたポニーテールが揺れる。小石の視線が俺を捉えた――かと思うと


(えっ!?)


 唐突に自分の視界が、『ものすごく下手!!!』な絵のアップになった。


 小石が俺の目の前に、ノートを突き付けているのだ。


 予想外の事態に面食らったが、俺はもう一度、その絵をまじまじと見た。

 おそらく羽織袴姿であろう、ポニーテールの人が、木の下にいる。その周りは、小さな雫型で埋め尽くされていた。


『卒業式の女子が、木の下で雨宿りをしているところ』といった感じか。


 たぶん・・・正面を向いている女子の、ゆがんだ鼻、いびつな両手……特に、ずれた両目の四白眼はもはや、ちょっとしたホラーだ。これまたかっこうな木は、葉の数が貧弱で、雨をしのげそうにもない。

 はっきり言って、画力は小学校低学年。いや、幼稚園児と言っても過言ではないだろう。


 よく見ても、やはり『ものすごく下手!!!』だった。


 でも、この絵――


「どう? これ。まだ髪の毛が途中なんだけど」


 なぜか自信ありげな声で、小石が尋ねる。ノートを持つ手は、絵を描く際にこすれたのであろう、黒く汚れていた。


(たとえ浮いてるヤツでも、クラスメートと険悪になるのは面倒だ。ここは波風立てないように、『個性的な絵だな』とでも言おう)


 ふと、小石の表情をうかがった瞬間、思考が停止した。

 俺の目に映ったのは――


 汗で濡れた、顔周りの髪。

 ほんのり上気したほお

 口角の上がった、血色のいいつややかな唇。

 そして、ノートの奥から真っすぐ自分を見つめる、澄んだ瞳。


「っ……!」


 思わず、目を奪われた――そのとき、


 ぴかっ!


まぶし――)


 ドーーーーン!!!


 体中にとどろく音に、衝撃を受けた。

 小石が慌てて窓を見ながら、固まる俺に聞く。 


「落ちたっ!?」 


「………………………………た、ぶん……」



(たぶん――落ちた・・・

 


 眩しかったのは、雷光じゃない。

 轟いたのは、雷鳴じゃない。

 

「大丈夫? けん……っじゃなくて、れん君!」


 小石の呼びかけに、われに返る。


「…………あっ、ああ! てか、俺の名前、知ってんだ?」


 小石は他人に無関心そうだし、俺はクラスで目立つほうじゃないから、なおさら知られていないものだと思っていた。 


「フルネームで知ってる。で、この絵どう? むくれん君」


「ものすごく下手!!!」


 さらりと本音が出る。なぜか、嘘をつきたくない気持ちが芽生えたのだ。しかし、その言葉の残酷さに、即座に罪悪感も芽生えてきた。


「うん。原作とかアニメとか、神絵師さんの絵に比べたら、ね?」


 小石は平然としている。その発言から、半端ない自己評価の高さがうかがえる。


「でも、消し跡がたくさんあって……何度も何度も、納得いくまで描き直したってことがわかる。それに、この雨粒。雨の表現としては、どうかと思うけど……こんなにたくさん、しかも一個一個丁寧に描かれてて――」


 これも本音。決して、先ほどの残酷な本音を薄めるつもりではない。それ以前に小石は、『蛙のつらになんとやら』みたいなので、そんな必要もない。


「ものすごく情熱を感じた!!!」


 無意識にこぶしを握りながら言いきった。直後、たちまち顔が火照ってきた。

 小石が驚いた顔をしている。いや、引いているのか。


(うっわ! 何言ってんだ俺、何キャラ!? イタい、かなり恥ずかしい!!)


 もし時間を戻せるならば、土砂降りの中、自転車をこいでいるところからやり直しても構わない。そんな非現実的なことを考えながら、片手で顔を覆う。触れた顔も、髪も濡れている。体に張り付くTシャツとジーンズ、湿った靴下の不快さも、今思い出した。


(あぁ……そうだ、俺、ズブ濡れだったな。なんかもう帰りてぇ……)


 教室に、少し遠くなった雷鳴が響く。


「……わかってくれるんだ!」


 小石が、束の間の沈黙を破った。


 おそるおそる、顔を覆った指の、隙間を覗く。小石がうれしそうに目を細め、こちらを見ている。

 それが、とても眩しい。

 ドクンドクン。

 胸が轟く。熱い。ますます顔が火照る。この感じは、やはりアレに違いない。中学時代、友達が証言していた症状と一致する――



「やっぱり……『好き』なんだな……」

 不意に、ぼそりとつぶやいた。



「えっ!? 蓮君鋭い……! そうなの、好きなの、この人が!」


 小石が、ノートの『卒業式女子』を指差す。


「は?」


「わかるでしょ? この人。『寺子屋名探偵』の『太巻おおまきたすけ先生』!」

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