大人の女性?いいえ、まだ肉じゃががいいです!
森里ほたる
大人の女性?いいえ、まだ肉じゃががいいです!
『はいはい、分かったわよ。 まぁ、元気そうなら良かったわ。 何かあったらすぐ連絡しないさいね。 あと年末は一旦帰ってきなさいよ、あんたの好きなの作って待っているから。 じゃあ暖かくして寝なさいね。 おやすみ』
いつもすぐ切るからと言って話し始める母だけど、結局いつものように三十分以上電話してしまった。
最近行ったお菓子屋さんのカカオ七十パーセントのチョコが美味しかった話、ちょっと高級なパン屋さんで買ったもちもちのパンの話、最近体調崩しがちなおばあちゃんの話、最近話題のイケメン俳優が出てくるドラマの話、そうしてまた違うパン屋さんの話。
母の話はいつも自由気ままな風のように好き勝手に流れていく。私は適当に相槌を打っているだけなのに、そんなことは全く気にならないのかずっと喋っている。昔から本当に話をするのが好きな人である。
わざわざ私に電話しなくてもと思い、父に話せばいいのにと伝えた。だけど、それではだめらしい。
「あの人は全然話なんて聞いてないし、なんか返事をしたらしたで小難しい事を言ってくるからいやなの」
とのことだった。
なるほどね、ただ私にうんうんと頷いてもらうだけで丁度良いのだろう。
なかなか実家には帰られないので、こういった親孝行をちょくちょくすることは大して苦にならない。それに母の声を聞くとリラックスできる私もいる。
そうしてやっと寝る準備が整い布団の中に入り、いつものようにSNSを流し見ていると眠たくなってきた。その眠気に合わせ自然と目を閉じるとさっきの最後の会話が浮かんでくる。
……私の好きなものを作って待っていてくれると言ってくれていたな。母はきっと肉じゃがを作って待っていてくれるのだろうと私は確信している。というか、私が実家に帰る度に母は必ず肉じゃがを作ってくれる。
私は小さい頃、肉じゃがが大好きだった。しらたきのつるつるとした食感が好きだし、じゃがいもの程よいほろほろとした柔らかさも良い、あと良く味の染みている玉ねぎもとても美味しかった。あと甘くしょっぱい味付けが子供の私にとても合っていた。
だから良く母におねだりしたし、作ってくれないとすぐに不機嫌になって困らせた。誰かに一番好きな料理は何かと聞かれると、間髪入れずに肉じゃがと言っていた。
そんな記憶と懐かしさを感じるとともに、今の自分の好みがその頃とは結構変わったことに寂しさというよりも歳をとったなと感じる。
おそらく母はそんな子供の頃のイメージを引きずっているのだろう。私が帰ると鍋いっぱいの大量の肉じゃがが私を出迎えてくれる。子離れできていないわけじゃないんだろうけど、私が成長しているのを気づいていないんじゃないかと疑ってしまう。背丈だけではなく見た目もかなり変わったのに。
そんな私への扱いが昔から変わらない母のことを考えていて、今度は私自身のことに意識が自然と移った。
実家を出て、大学を出て、社会人になって数年が経った。一人暮らしじゃないと違和感を感じるくらいにはもうこの生活スタイルが板についてしまった。
最近、仕事が大変で平日はご飯を作れていない。土日も自炊したりする時もあれば、外食に行ったり買ってきたりとまちまちである。
それと一人暮らしをきっかけに料理を自分で作るようなって分かってきたのだけど、毎日料理を作り続けることは本当に大変である。
メニュー決めも食材選びも安いスーパー探しもポイントが安い日を覚えるのも。健康的な薄味とただ味がしなさ過ぎてマズいという境界線もいまだに難しい。
そう思うと、母は私が小さい頃から父と私と母自身の弁当を毎日朝早く起きて作っていた。今からわかる。本当に大変だ。まるでストイックなアスリートみたいと心から思う。しかも誰からも大して感謝されずに、黙々とこなしているなんて実は海外で活躍するスポーツ選手よりもすごいのではと思ってしまうこともある。
前までの私は親が、いや、母が料理を作るのが普通だと思っていたけど、それは普通の事ではなくてひとえに母のたゆまぬ努力と愛情のかたまりだったのだと気が付けたのは社会人になってからだった。
母は普通に会社員で働きながら私をここまで育ててくれた。そこには私の想像できないくらい色々な大変なことがあったのだろう。
それに対して私はどうなのだろうか。
社会人になった私は、今でも自分のことで精一杯だし、朝も時間がなくてヨーグルトだけの日もある。好きなことにお金を使って、漠然とした良く分からない将来のために一応貯金はしている。
ただ、大学入学とか卒業とかのような明確なゴールとかが無いと、自分がどこにいてどこへ向かっているのか分からなくなり不安になる。
だから将来のことを考えるのが苦手で憂鬱になる。将来誰かと一緒に暮らすこと、自分のことをしながら相手のことも気に掛けること、そして子供ができたら育てるということ。
そんな未来の事は全く想像もできないし、自分にできるわけないと思ってしまう。でも結婚はしたいし、子供も将来的には欲しいと思っている。
こんな風に現実という名の切っても切れない影は私の視界にいつもちらちらと映りこんできて、私を不安にさせる。そしてコンプレックスだらけの私をぎゅうぎゅう押してきて、動けなくなった私は新しいことや変化することへ恐怖を感じ足踏みしてしまう。
この感覚は、緊急でピンチというわけではないけれど、首をゆっくりゆっくりと気づかないペースで締められているような感じ。不快感と焦りだけがいつも付きまとい私の心を暗くさせる。
この日はあまり上手く寝つけなかった。
そんなある日、久しぶりに小学校からの幼なじみ、真由とご飯を食べることになった。小学校から大学までずっと一緒だった。就職先まで一緒だったらどうすると笑い合っていたのが懐かしい。
ご飯当日、その日の目的地はちょっと高級な個室のある焼肉屋さん。私は予定より早く着いたので先に中で待っていると、少し遅れて真由が来た。
高校の頃から真由はクールビューティーでかなりモテていた。私は側にいて賑やかしをしていた。さらには運動もできる真由。でも、勉強は私の方ができた。
私達はいつも一緒に遊んで、ふざけ合って、カッコイイ先輩達の点数付けをして、恋バナをして、美味しいものを食べて、また恋バナをして。特別な事はないけれど、毎日が忙しくて楽しくて充実していた。
大学では学部が違ったから、会う機会がだいぶ減ったけれど、会えば盛り上がるし、今日の久しぶりの再会でも楽しくなることは間違いなしなはず。そんな真由とご飯。わくわく一杯で何から話そうかなとちょっと昔の事と最近あったことを考えていた。
再会の挨拶は軽めにして、話始めると止まらなくなることを見越して最初にサラダとお肉とビールをそこそこ頼んで乾杯した。ビールのグラスをぶつける音で、ここ最近の鬱々とした気分が多少は晴れた気がした。
案の定、最近どうから始まって、お互いの近況話あった後に、最近のストレスや愚痴を言い合ってをストレス発散した。
やっぱり楽しい。こんなに素直に楽しいのは本当に久しぶりだ。
そうしてどれくらい時間が経っただろうか。話も色々して、お酒もそこそこ進んだ所で、少し真剣そうに真由はこちらを見た。
「実は私、結婚することに決めたの」
そう、おもむろに切り出した。
カシスオレンジを飲んでいる態勢のまま動きを止めた私。
真由が結婚?
私は真由の彼氏を知っている。真由と学科が同じで同学年だった人。少しぽっちゃりで優しそうな人。二、三回真由と一緒に遊んだ事もあるけど、やっぱり優しい人だった。だけど、印象は正直薄い。
ともあれ幼なじみのめでたい話を聞けて良かった。入籍予定日や新婚旅行とか、住む家とかを聞いてすごく盛り上がった。苗字も変わってしまうと聞くとより現実感を感じる。
ただ不思議な事に、その楽しい話の中で、私の心がチクリと痛んだ。なぜこんなにも嬉しいことを聞けたのに痛みのようなものを感じるのだろうか。
そんなことを感じた後にふと見た真由の顔は、さっきまでとは別人の“大人の女性”に見えてしまった。誰だっけ、この人。というか、何しているんだっけ、私。
良く分からない胸の痛みと勝手に大人になっていく幼なじみ。別に私の許可なんかいらないのだけれども、私を置いて行ってしまったという逆恨みに近いもやもやも芽生えてきた。
わからない。わからない。本当に良く分からないから、少し度数の高いお酒を飲んだ。
太陽日差しが私の顔を照らす。……頭が痛い。これはあれだ、完全に二日酔いだ。
昨日喜ばしいことや色々な思いもあって、自分が思っている以上に飲んでしまったようだ。家に着くまでの記憶はあるし、手や足に擦り傷や打ち身が無いから恐らくちゃんとお布団で眠れたみたい。
朝食の時間帯だけど何か作る気がしない。が、意外にもお腹が空腹を訴えている。私もまだまだ若いじゃんと、ポジティブな気持ちで布団を出ることができた。
出来るだけ手間はかけたくないし、残っていたご飯にお茶漬けのもとをかけて簡単にお茶漬けを作る。ヨーグルトとミニサラダと牛乳も用意して少し遅めの朝ごはんをスタートした。
日曜日の午前中はゆっくり過ごしたい派の私にとって、この頭痛以外はとても良い朝だった。
そこから体調もわずかに回復してきたので、ご飯を食べて洗い物をした。いつもなら掃除機をかけ始めるが二日酔いが抜けないのでカーペットの上でぐでっとだらける。特に見たいものはないけれど、テレビをつける。日曜日午前の贅沢な使い方である。
ぼけっとテレビを見ていた。どうも家族に関する特集をしているみたい。家族に関わる感動のショートエピソードを紹介する感じのテレビのようだ。
その中で、気になるものあった。
それは、『あなたが家族と今までのように過ごせる残り時間はどのくらいでしょう』というテーマで、年齢毎に自分が両親と過ごせる時間を計算したものを紹介していた。
その番組では丁度例として私の年齢と同じ歳で家族との残り時間が計算されていた。
もちろんこの計算通りになんてなるか分からないし、条件はもちろん色々異なるだろうけど、思った以上に一緒に過ごせる時間は短かった。もしこれが本当だったら、なんで今まで家族との時間を無駄にしてきたのだろうと思い、胸がチクリと痛む。まただ。
どうも最近はこの胸の痛みを感じる。しかし今日はその痛みと同時に母の電話を思い出した。
『あんたの好きなの作って待っている』
私の好きなもの。母が作ってくれる私の好きなもの。
母と過ごせる時間がこんなにも少ないのなら、母が作ってくれる肉じゃがはあと何回食べることができるだろうか。
肉じゃがだけじゃない、からしキュウリも、煮物も、のっぺも、焼き塩引き鮭も、自家製のちょっとしょっぱめのはらこも、お雑煮も、すべて食べられるものにはタイムリミットがある。私はなぜこんな当然のことも忘れていたのだろうか。
途端に、涙が出てきた。胸がきゅーっと締め付けられる。一人暮らしを始めた時の感覚、ホームシックに近いような気持ち。母に、お母さんに会いたい。
仕事で忙しくて時間がなかったから、電話を早く切ってしまった時もあった。イライラしていたから、母に文句を言って電話を一方的に切りしてしまった時もあった。でも、困った時や辛い時はあんなにしゃべりたがりのくせに、何も言わずに私の話を全部聞いてくれて励ましてくれた。
どんなことがあっても私の味方でいてくれて、いつも応援してくれた。
私はそんな母がいつまでも変わらずずっといてくれると思っていた。
いなくならないで欲しい。一生そばにいて欲しい。
どんどん涙は溢れてきて、鼻水も出てきた。いい歳になったのに、全然成長していない自分に少し笑えてきた。こんなに甘えていて親離れできていない私は、親から見てみれば肉じゃがが好きだった頃の私と大して変わらないのであろう。
それじゃあずっと肉じゃがが私をお出迎えしてくれる訳だ。
そんな自分に対して小さく笑っていると、段々とその笑いはお腹の底からどんどん溢れてきて、良く分からないけど晴れ晴れとした気分になった。
……うん、そうだ! いずれ親と会えなくなり、美味しいご飯も食べられなくなってしまうのだ。だったら割り切って今のうちに親に甘えよう。いずれは真由みたいに誰かと結婚して恐らく苗字が変わるのかもしれないのだから、それまでは大人にならなくていいや。
ゆっくりと呼吸をするごとに心が落ち着いてきた。洗面所に行って顔を洗いに行く。酔いはすっきり醒めた。気分がいいので部屋の掃除を開始した。
決めた来週の週末に実家に帰ろう! 月曜から金曜は仕事頑張って、土曜日の朝一から車で実家に帰ろう! それで土曜日は一泊して甘える!
わくわくしてきた。携帯を取って、母に電話した。
次の土曜日は肉じゃがを食べよう!
大人の女性?いいえ、まだ肉じゃががいいです! 森里ほたる @hotaru_morisato
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