第10話 生まれてきてくれてありがとう

 彼の家に突撃した私は夕ご飯を作っていた彼のお母さん、幸子さんに真っ向からぶつかっていった。もちろん面識の無い私の突撃で、幸子さんは状況が掴めず目を白黒させていた。



 ちなみに、この時の話は何年経っても伝説の鉄板ネタとして語り継がれることになる。ニヤニヤする幸子さんによって。


 若気の至り、あぁ恐ろしや。



 私は直接幸子さんと対面し、端的に七宮君が女性の格好をすることは好きではない事を伝えた。その事を伝えることに脳を100%使用していた私は、自身の自己紹介をするような気配りなんてものは無かった。


 幸子さんは、突然訪ねてきた初対面の私への疑問なども多くあっただろうが、まずは七宮君に尋ねた。


「朝姫は、その、本当に女の子の格好をするのは好きではないの?」


 七宮君は喉をゴクリと鳴らし、少し震えているがはっきりと言った。


「うん、私は女子の格好をすることが好きではないよ」


 幸子さんは声には出さなかったが、目を見開いて驚いていた。


 私は、驚いた時の目の動きが本当に似ていてやっぱり親子なんだなと別の事に一瞬意識を持っていかれた。


 少しの無言。


 幸子さんがゆっくりと切り出す。


「……そう、だったのね。私まったく気づいていなかったわ。ごめんなさい」


 少しくぐもった声で、涙を堪えているような表情で続けた。


「そうなのね、私、私とお父さんは勘違いしていたのね。覚えてる? 朝姫が段々部屋から出なくなった時に、あなた、その、髪型とか色々変えていたじゃない」


 何かを打ち明けるように、心の中にしまっていたものを徐々に吐露していく幸子さん。


「実はあの時のことなんだけ、最初はあなたがグレてしまったか、心が疲れているんだと思って、お父さんと相談して、まずはあなたの自由にしてもらおうって決めていたの。でも、髪型以外にもあなたが変わってきたから、もう何度もずっと二人で考えて、それだけじゃ分からなくて精神科の先生にも相談してみたの。そうしたら先生に、『子供にちゃんと向き合って、受け入れてあげることも大切』と言われたの。すごく、その時ハッとしたの。私たちが歩みよるのをやめるなんて親として失格だった。私たちの自慢の子供なんだから、まずは信じてみなきゃいけなかったの。本当にごめんなさい」


 その時の幸子さんの目は、奇しくも私に本音を吐露した七宮君とそっくりだった。


「だからその日に、お父さんと話をして、次に朝姫がどんなことをしても、あなたが表現したものであれば絶対に受け入れようって。そう、それで、その時にあなたが表現したものが、丁度"女の子の格好"だったの。内心、だいぶほっとしたわ。もし表現したいものがあなたの心と体を直接的に傷つけるものだったらどうしようと思ってたの。そんなこともあって、女の子の格好だった時は本当に安心したし、あとは素直に受け入れようと思ったの」


 それが噓偽りのない幸子さんの気持ちというのは、初対面であった私ですら感じ取れた。人の本気の本心は伝わる。


「その時に、心の性や服装の考え方を一生懸命勉強してみたの。私たちってそういう事とかあまり分からない世代じゃない、だからまずは色々と調べてみたの。自分たちとは違う考え方もたくさんあるんだったびっくりしたわ。そういう風にあなたのことだけを考えて気が付いたの。どんなことがあってもどんな違いがあっても、私たちの大切なあなたであることでは変わらないってことに改めて気が付いたの」


 幸子さんから涙が溢れている。その純粋な気持ちを映したかのような綺麗な涙が。


「それで最後に、あとは直接的には言わずにあなたをあなたが選んだ道を応援しようって決めたの。ほら、お父さんって結構頑固じゃない。だからやっぱり最初は結構悩んでいたみたいだけど、朝姫のためならって」


 七宮君は震える口からかすれるような声で、何かを探るようにこぼした。


「じゃ、じゃあ、編入手続きの時に、先生に言ったのは?」


 幸子さんは本当に申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんなさいね。あなたの本当の気持ちに気が付いていなかったから、苦しい思いをさせてしまったわよね。勝手にあなたは女の子の制服がいいのかなと思っちゃってたの。それで、学校にあなたから言うのは辛いからというのもあるだろうと思ったし、私たち両親がきちんと決めていることだと伝えたかったから私から言ったの」


 そこで幸子さんは頭ゆっくり深々と下げた。


「本当にごめんなさい。あなたの気持ちをちゃんと確認していなくて。ううん、今までちゃんとあなたと話をしていなくて。あなたのことをちゃんと理解してあげていなくて。本当にごめんなさい」


 幸子さんは深く深く謝った。


 その言葉を聞いて七宮君はまだ混乱しているように見えて、動揺している。


「それじゃ、私がこんな格好をするのを止めなかったり、応援してくれていたのは、私の見た目が女の子みたいだからじゃなくて、私のしたい事だと思ったから何も言わずに認めていてくれていたの? 息子じゃなくて娘が欲しかったとかじゃなくて? 私の取り柄がこの見た目ぐらいだけだからじゃなくて?」


 早次の質問。何かに縋るように自分の母親を見ていた。


「当たり前じゃない。もしあなたが女の子みたいな容姿じゃなくても、あなたの性別が男女どちらであろうとも、あなたが本当にしたいなら私たちは応援したわよ。そうやって色々な経験をしていって、ちゃんと大人になっていくあなたの成長を見守ることが私たちのたった一つの願いなんだから」


 その力強い本気の目は噓偽りのない本物であり、本心のように見えた。


「他と違おうが、周りに何か言われようが、他人や学校の先生なんかに負けたりしないわ。私たちの自慢と誇りを馬鹿にしないでちょうだいって。つまりね、世界に一人だけなのよ。朝姫、あなただけなの。私たちにとって大切なのは。……って、あなたの本当の気持ちに気がつかなかった私たちにそんなことを言う資格はないのかもしれないわね」


 七宮君の全身はもうわなわなと震えている。もう我慢ができないのだろう。彼はもう涙を、気持ちを我慢せずに自分の心からの叫びを母親にぶつけた。


「なんで、そんな風に思っていてくれてたんだよ! 私は、私は、そんなにお母さんたちに誇ってもらうような子供じゃない! だって、私の入院のせいでお父さんとお母さんはあんなに大好きだった仕事変えなければいけなくなったじゃん! 小さい頃からずっと聞かされてたから、わかるよ」


 悲痛な叫び。


「しかも私はお母さんとお父さんがそんな事思っているなんて、全然知らなかった! 私の勝手なワガママで辛い思いをしていたのに、ちゃんと私のことを理解しようと頑張っていてくれて。……私が女の子の格好をして褒めてくれたりしたのは、勝手に、娘が欲しかったのかなとか、私の見た目が女の子っぽくて可愛かっただけなのかなって思ってたのに」


 自分に自信が無く、不安に押しつぶされていた。


「だから、その期待に応えられないと捨てられちゃうと思ってた。それに私が始めちゃったことなのに、途中で辞めちゃったらまた迷惑をかけちゃうかと思って」


 思いのたけをぶつける七宮君のことをずっと見つめていた幸子さん。その目はすごく優しく。その表情はすごく柔らかく、そして頼もしそうに。


「本当に馬鹿ね。そんなの全部関係ないわよ、私たちはあなたがただいてくれるだけでいいの。それが最高に幸せなのよ。それに、子どもが親に迷惑をかけるなんてのは当たり前なのよ。あなたが生まれてきた時から、ううん、その前の私のおなかの中にいた時からずっとワンパクだったんだから」


 そばにいる私にも届くその温かみ。


「予定日通りになんて生まれてこないし、出産時のなかなか出てこないから、助産師さんもみんなでヘトヘトになりながらあなたが生まれてくるのを待っていたんだから。生まれた後も夜泣きもひどかったし、アトピーも酷くてよく病院にも行ってたし。おねしょ癖も治らなかったし、イヤイヤ期なんて手もつけられなかったのよ。だから、今更その程度の迷惑なんて気にしないわよ。むしろ親としての楽しみを奪わないでちょうだい。あなたはきっといつの日かこの家を出ていくんだから、それまでは私に楽しみと思い出をたくさん作らせてよ。子どもなんてそれでいいんだから。あなたはあなたの正直な気持ちでまずは人生を生きてみなさい」


 大きく息をした幸子さん。


「それで私たちは満足なのよ。だから生まれてきてくれてありがとう」


 幸子さんはゆっくりと七宮君に近寄り、強く抱きしめた。七宮君も抱きしめ返し、「ありがとう」を繰り返している。

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