05 レイン交換大作戦3

05 レイン交換大作戦3


 『恋愛マスター』こと羅舞桂子が取りだしたのは、なんとガラケーであった。

 しかも二つ折りですらなく、消しゴムくらいの面積のちっちゃなディスプレイが付いているだけのもの。


 彼ら若者、いや彼らの親世代が見ても「懐かしいなぁ」と言ってしまうほどのシロモノ。

 憧れの少女からそんな骨董品が飛び出したものだから、智達はそのガラケーでぶん殴られたようなショックを受け、しばらく放心していた。


 しかしやがて、その意図を察する。



 ――そうか……。けいちゃんは、なにもかもお見通しだったんだ……。

 俺が姑息な手段を使ってまで、レイン交換を目論んでいることくらい……。


 いや、彼女は男にレイン交換を申し込まれたときは、このガラケーで撃退してるんだ……。

 お前みたいな三流以下のゴミ男に教えられるのは、ゴミ同然のガラケーの番号くらいだっていう、嘲りのメッセージ……。



†いえ、そうではありませぬ。

 桂子が持っているケータイは、本当にこのガラケーだけなのでございます。


 桂子はとんでもない機械音痴で、こと機械に関しては平安人ばりの免疫しかございません。

 家のリモコンすらまともに使えず、このガラケーも祖母のお下がりなのでございます。


 桂子が人前でケータイを見ないのは、単純に見る必要がないからなのでございます。

 時計は腕時計をしておりますし、ただの電話である以上、電話として使う時以外は取り出す必要がございませんから。


 桂子のレインがトップシークレットであるというのも、根も葉もないただの噂でございます。

 どんなイケメンからアプローチされても見向きもしない彼女だからこそ生まれた、都市伝説クラスの噂といえるでしょう。



 しかし恋愛神の声は、人間には届かない。

 智達の意欲はすっかり剥がれ落ちていて、足元から石膏で塗り固められていくように、心を閉ざしていく。


 うつむくその顔は、昨日に戻っていた。

 殻に閉じこもり、リアルをクソゲーだと断じてやまない、無気力でふてくされた顔に。


「話しかけたりして、悪かったな」


 屈託ない笑顔でガラケーを差し出す桂子に、智達は別れの言葉を吐き捨てる。

 そのまま桂子に背を向け、早足に教室から出ていった。


「えっ、ちょ、どうしたの?」


 桂子がわけがわからない。



 ――え、なに? なんでともくんキレてんの? あたし、なにか変なこと言っちゃった?

 せっかくともくんと久しぶりに会話らしい会話ができて、しかもいい感じだと思ってたのに……。

 なんで、どうしてっ!?



 しかし考えているヒマはないと、桂子は尻に火が付いたように立ち上がる。



 ――なんだかよくわかんないけど、謝らなきゃ!

 これ以上、ともくんに嫌われるだなんて、あたしもう耐えられない!



「ま……まって、八張!」


 桂子はまわりの机にぶつかり、教室の後ろの壁に激突してしまうほどにいて、教室を飛び出す。

 小さくなっていく智達の背中を、全力で追いかけようとしたその瞬間。


 こんな会話が耳に入ってきた。


「昨日ケータイ壊れちゃってさぁ、レインの友達登録がぜんぶ飛んじゃったんだよねぇ」


「うわぁ、サイアクじゃん。じゃあまたレイン交換しないとだね。それが新しいケータイ?」


「ううん、これ借りてるやつ。明日、新しいの買いに行くから付き合ってよ」


 ……しゅばっ! 


 桂子は髪を振り乱すほどの勢いで、声のほうを睨む。

 視線の先では、ふたりの女生徒が窓際によりかかり、スマートフォンをいじっていた。


「ちょっと!」


 憧れの桂子に声をかけられた女生徒たちは、一瞬顔を明るくしたものの、鬼気迫るその表情に「ヒッ」と震えあがった。


「らっ……ラブさんっ!?」


「なっ……なんでしょうか!?」


「レインってなに!?」


「え……ええっ!?」


「いいから教えて! レインってなんのこと!?」


 女生徒たちは思いもしていなかった。


 まさか雑誌の表紙を飾るようなギャルが、レインを知らないとは。

 自分たちにとって憧れのギャルが、レインのことで鬼のような表情で凄んでくるとは。


 女生徒たちは戸惑い、怯えながら、桂子にスマホの画面を見せる。

 瞬間、桂子はそのスマホで往復ビンタされたかのようなショックを受けていた。



 ――あ、雨じゃなかった……!!



「な……なんだかよくわかなんやつだったぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 心の叫びが声となって漏れていることすら気づかず、桂子は疾走していた。

 ぽかーんとする女生徒たちを残して。



 ――れ……レインがなんなのかよくわかんないけど、なんか交換するやつみたい!

 そ……そうか! ともくんは雨の話題を振ったわけじゃなくて、その交換がしたかったんだ!


 それなのにあたしったら、濡れるとかビショビショになるとか、挙句の果てにはゴムとか言ったりして……!



 桂子の顔が、火が噴いたようにボンッと赤熱する。

 このまま、壁にめり込んで死んでしまいたいとすら思った。


 すでに桂子は命懸けだった。

 この身を捧げても、智達の誤解を解きたいと願っていた。


 移動教室へと向かう智達の背中に向かって、声をかぎりに叫ぶ。


「や……八張ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 智達はどれだけ呼び止められても、無視を決め込むつもりであった。

 しかし、爆風のような絶叫を背中に受けてぎょっとなり、思わず振り返ってしまう。


「なっ……なんだよ、羅舞……?」


 桂子は智達の目の前で、滑り込むようにして止まると、乱れる息のまま一気にまくしたてようとした。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……! 聞いて、八張! あたし、レイン……!」


 桂子は「あたし、レインがなんなのか知らなくって……!」と言いかけ、ハッと息を呑む。



 ――あっ……!

 あたしがレインを知らないって知ったら、ともくんはどう思うんだろう……!?


 レインは学校のみんなどころか、仕事でもさんざん聞かされてきたから、きっとみんなの常識なんだと思う。

 そんな当たり前のことを知らないなんてバレたら、ともくんは超呆れて、あたしに愛想を尽かしちゃうんじゃ……!?



†人は好かれたいがために見栄を張り、知ったかぶりをするのでございます。

 それは彼女も例外ではありませぬ。



「えっと……! 昨日ケータイ壊れちゃってさぁ! レインの友達登録がぜんぶ飛んじゃったんだよね!」


 女生徒の台詞を丸パクリする桂子。

 過呼吸に陥りそうになりながらも、イタズラをごまかす子供のように、ハァハァと必死に取り繕う。


「さっ、さっきのは、借りてるやつで……! あ、明日、新しいの買いに行くから付き合ってよ!」


 スクールカーストの頂点に君臨するギャルが、なぜカースト最底辺の自分に対し、ここまで必死になって弁明しているのか……。

 智達はわけがわからず、「あ……ああ……」と頷き返すだけで精一杯だった。

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