『青伝説の百人切り』①
第二章 ~大戦の英雄~
『青伝説の百人斬り』
行く道よりも帰る道の方が圧倒的にはかどっていた。ルックは軽やかに広大な平野部を駆け抜けていく。シェンダーを出て一日で、道程の半分は済んでいた。しかしそろそろ日も暗くなり始めていたので、彼は立ち止まって野営の準備をし始めようと考えた。
幸いアーティス北部は雨が降らなかったので、辺りは乾いていた。進路を少し北に外れたところに彼は一本の木を見つけたので、その木の枝に飛び乗った。太い枝は居心地が良く、葉がルックの姿を隠してくれていた。ルックは満足げに笑むと、そこをその日の宿に決める。
木は葉の硬い針葉樹で、そこだけは少し居心地が悪かったが、ルックは気にする素振りは見せず食事をし眠りについた。
その日の夢には、またあの誰でもない少女が現れた。彼女は丸い大きな瞳から、ただただ涙を流して、ルックのそばにいるだけだった。
「ウォーグマの部隊が見つかりました。全員死んでいましたよ」
「ふん、だろうね。すでに砦の中は私が闇だという噂で持ちきりのようだよ」
シェンダーの砦前一番大きなテントで、ディフィカとクロックの親子は話をしていた。
「全く、カン軍の兵士は情けないね。仔鼠二匹も駆除できないとは」
ディフィカはまるで他人事のようにそう嘆いた。しかしクロックは、それに笑うでも怒るでもなく、焦ったように言う。
「母さん、実は、ウォーグマの部隊の死に方が尋常ではないのです」
「母さんはやめなさい。何がどうして異常だと言うの?」
ディフィカはほとんど無意識でクロックのことをたしなめた。彼女は息子の話を、どうでも良さそうに、長い黒髪をいじりながら聞いている。
「ウォーグマを除いて、皆、戦闘態勢をとっていながら、戦闘らしい戦闘をした形跡がありませんでした。全員ほぼ同時に、おそらく死んだことに気付く間もなく殺されているようでした」
「馬鹿をおっしゃい。敵は私が感じた限り二人だったはずだよ。どうしたらそんな事態になるというのさ?」
全くの正論を言われて、クロックは口ごもった。しかしディフィカの命で直接現場を見てきたクロックは、自分の見立てに確信があった。
「たとえばそれこそ、あなたと同等の力があれば可能なのではないですか?」
含みを持たせたクロックの発言も、ディフィカは関心を示さず鼻で笑った。
「ますます馬鹿ね。ダルクがなぜそのような、ちまちまとしたことをする必要があるのさ。まああなたがそこまで言うのなら、あなたの見立ては間違いないのでしょう。でもだとすれば、起こったことは明白じゃない」
ディフィカは呆れたように言う。確かに闇の大神官なら可能かもしれないが、闇とは言え、意味のない行動はしないものだ。
「と、すると?」
クロックは問うが、ディフィカは億劫そうに自分で考えなさいと告げて口をつぐんだ。クロックも彼女がそうした理由に気付いて、立ち位置を変え、テントの入り口へと目線を向けた。
「ディフィカ大将軍にお話があって参上いたしました」
大きく揺るぎのない声で、テントの外からそう声がかかった。取り次ぐ者もなく、来訪者が直接声を掛けてきたのは、外に衛兵を立たせていないためだ。
「ザッツね。お入りなさい」
ディフィカが言うと、テントの入り口の布を押し上げて、髭面の三十過ぎの男が入室してきた。男は赤髪で、四角い顔に余すところなく、切りそろえられた髭を生やしている。
「これはクロック。お帰りでしたか。ウォーグマは見つかりましたか?」
ザッツと呼ばれた男は教養の高さを伺わせる口調で言った。
「ああ、ザッツ。見つかったよ。死体でね」
「左様ですか」
ウォーグマという男は、どうやらカンからもあまり好かれていなかったようだ。クロックはもちろん、ザッツもそれほど感慨はなしに言った。
「ウォーグマと共に行った兵士たちも、皆亡くなっていました」
「そうか、それは残念だ」
クロックは今度はとても残念そうに天を仰いで言い、ザッツも合わせて感慨深げに言い、死者を弔う印を切る。
「くだらない。そんなことはどうでもいいのよ。ザッツ、一体何の用なの?」
ディフィカはザッツが入ってきても、変わらず自分の髪を気にしていた。ザッツは部下の命をどうでもいいと言ったことに反感を持ったようで、むっとした顔をする。
「私はあなたに、作戦の変更をご提案しに参りました」
「ふーん、変更ね。それなら特に聞く必要はなさそうだけど、まあ、どうせ暇だし、聞いてやらないこともないわ」
ディフィカは見下したように高圧的に言う。しかしザッツはそれでは怯まず、落ち着いた口調で言葉を返す。
「キーネの魔法具部隊が、半分ほど、我が軍を抜けたがっているようでございます。これは大変申し上げにくいことですが、あなたのある失策が起因となっているようでございます」
「あら、ずいぶん遠回しね。私がいつ失策をしたというのかい」
嫌み混じりのザッツの言葉に、余裕の笑みを浮かべ闇の大神官は答えた。ザッツは大分腹が立っていたのだろうが、抑えた声でディフィカに応じる。
「我々が連れてきたキーネの部隊は約一万。その中で、今生きている者は二千。後は皆、大将軍を信じシェンダーの砦の溶水に飛び込み、骨となりました。結果として見事、シェンダーの砦には傷一つ付いておりません」
ザッツが話す間に、ディフィカは一つ大きなあくびをした。そしてなめらかで手入れの必要がないような髪を、何度も何度も撫でつけた。
「ふーん、そう。まだ二千も残っているの」
からかうようにディフィカは言う。クロックはそれには思わず吹き出しかけた。しかしザッツの怒りが心頭に発しているのに気づき、必死にそれを押さえ込んだ。
「あなたはこの期に及んで、まだ二千の兵を無駄死にさせるおつもりですか」
ザッツはどうにか怒りを収めたようで、落ち着いた口調で言った。ディフィカは今初めて髪から目を離し、ザッツの方を値踏みするようにまじまじと見た。
「まさかあなた、私に逆らおうって言うのかい?」
ディフィカは、なおもふざけるように純真無垢を装って、弱々しげにそう返す。ディフィカは非常に顔立ちがいい。いつも厳しい表情でいるため見落とされがちだが、そうしおらしくすると、かわいくすら見える。ザッツは男盛りだ。そのディフィカを見て一瞬言葉に詰まった。そしてそれを見たディフィカはまたいつもの表情に戻り、悪徳高い笑みを浮かべる。
「まあいいわ。一つあなたの間違いを正してあげようじゃないの。今まで死んだ兵士たちはね、なにも無駄死にしたわけじゃないのさ。まあ、そろそろ頃合いだろうね。本当は一万全て使うつもりだったけど。明日の朝にでもシェンダーを落とすことにするわ」
こともなげに言うディフィカの発言は、それまでの口調となにも変わらなかった。しかし、話す内、表情に、今までよりも遥かに深い闇が生まれた。ザッツは異様な寒気を覚えた。口の中がカラカラに渇き、全身総毛立った。すぐにでもここから逃げ出したいような思いに駆られた。しかしここで逃げ帰るわけにはいかない。
「そ、それでは、もう、と、突撃はお止めく、くださると……」
回らない舌でザッツは聞いた。その問いにディフィカは、またにこりと笑い頷いた。けれどそれは、先ほどのような可愛らしさは欠片もなく、ザッツの鳥肌をより立たせただけだった。
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