「ルードゥーリ化、か」


 ドーモンはつぶやいた。そのつぶやきに反応して、座り込んで虚ろな目をしていた少女がドーモンを見上げた。


「誰? 来ないで」


 か細くかすれた声で少女は言う。


「俺、ドーオン。怖くない。大丈夫だ」


 舌っ足らずなしゃべりで、優しくドーモンは声をかけた。ルードゥーリ化はあらゆる不可能を可能にする。状況から見て、事の原因がこの少女だと言うことは明らかだった。しかしドーモンはこの小さな少女を前に、優しかった。


「ドーン? 来ないで。来ないで」


 ドーモンの優しい表情に、少女は少し安心したようだが、それでもなお彼を拒んだ。


「分かった。来ない。どうしてだ?」

「お母さんとお父さん、連れてっちゃうの」


 聡明な子のようで、話し口調はしっかりしていた。少し分かりづらいドーモンの問いにもしっかり答えた少女は、父と母の傀儡の手を、ぐっと握った。

 ドーモンは冷たいだろうその感触を想像して、割れるような少女の悲しみを感じた。


「分かった。お父さん、お母さん、何もしない。約束する。だからここ、いていいか?」


 ドーモンの言葉に、少女は戸惑いながら頷いた。そしてまた虚ろな目をして、地面に目線を落とした。

 ルードゥーリ化は、大きな感情の動きが起因になるという。ドーモンは少女の起因となった感情が、強い悲しみなのだと悟った。

 しかし、彼女からは悪意のようなものは感じ取れない。それなのに、彼女が生み出した傀儡たちは生きた人間を襲い続けている。その理由がドーモンには分からなかった。この少女を殺してしまえば惨劇は終わる。それはドーモンにも分かっていた。しかしドーモンはほんの少しもそれを実行しようとは思わなかった。優しい大男は彼女の悲しみをやわらげられないかと考えた。


「俺、お前、知らない。名前はなんだ?」


 ドーモンは問う。少女はそれに答えたが、余りに小さな声で、ドーモンの耳には届かなかった。


「お前、ご飯いつから、食べてない? すごく痩せてる」


 今度のドーモンの問いには、少女は考える素振りを見せて、けれど、時間を数えてはいなかったのだろう。頭を振って、ごめんなさいと小さな声で言った。


「俺、料理得意。今度一緒、食べよう」


 たれ目の巨漢は優しく言った。しかし少女はまた首を振って、ごめんなさいと繰り返した。


「私、言うとおりにしてないと、お父さんとお母さん生き返らないの」


 懺悔をするように言った少女の言葉に、ドーモンは打ちひしがれて、ついに今日、初めての怒りを覚えた。

 誰かが少女を騙して、この行いをさせているのだ。父と母の命は、戻るはずがない。例えそれがルードゥーリ化の力を借りたとしてもだ。


 ドーモンは悟った。

 父と母が死に悲しみに打たれる少女が、ルードゥーリ化をしていると気付いた誰かがいる。そして少女に傀儡の魔法を教え、父と母を動かして見せ、言う通りにすればまた二人が息をするようになると言う。そして史上最強の傀儡師を作り上げる。

 ドーモンはこみ上げる怒りのやり場をどうすればいいのか分からなくて、沈黙した。少女もまた無口で、動きのない父と母の傀儡も静かだった。

 雨音だけが嫌に響いた。

 しかも最悪なのは、少女自身がその嘘に気付いているという事だ。だからこそ、淡い期待を持たされた彼女の悲しみは終わらない。

 それは到底人にでき得る行為とは思えなかった。優しいドーモンは、少女を諭すことも、咎めることもできそうになかった。


「ごめんなさい」


 少女は再び繰り返す。

 少女が何も食べずに痩せこけているのは、自分に対する戒めなのかもしれない。そう思うと、ドーモンの胸は硬くなるほど狭くなった。


「お前、謝ること、ない」


 慰めるようにドーモンは言う。そして、一歩だけ少女の方に近付いた。


「来ないで!」


 少女は悲鳴を上げるように言う。


「大丈夫だ。俺、優しい」


 ドーモンは言う。だけど少女は、ただ何度も強く首を振って、ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返した。

 ドーモンは少し迷って、また一歩少女の元に近付いた。


「大丈夫だ。絶対、大丈夫だ。俺と一緒に、行こう。俺、お前を守る。俺、ウソ言わないぞ」


 舌っ足らずな野太い声で、ドーモンは根気強くなだめながら、また一歩少女の方へ歩み寄る。少女は顔を上げて再びドーモンを見た。


「来ないで、約束したの」


 少女は頑なにドーモンを拒んだ。約束というのは、両親を蘇らせるという口約束のことだろうか。


「…ないで」


 かすれきった声で少女は言う。

 ドーモンの後ろ、少女の虚ろな瞳が見つめる先にある、腕のない死体がぴくりと動いた。ドーモンはまた一歩少女に近付く。少女はうわごとのように来ないでと繰り返した。雨に濡れていて分からなかったが、少女の瞳からはきっと涙が流れているのだろう。少女の表情が、それを物語っている。


「大丈夫だ」


 ドーモンは再び言う。ついに彼は少女のすぐ前に立った。けれど、少女と目線を合わせようと彼がしゃがみ込もうとしたとき、ドーモンの後ろにあった死体が驚くほどの速さで起きあがり、腰の剣を引き抜き、ドーモンを背中から刺し貫いた。

 痛みを感じたのかどうかは分からない。ただドーモンは、一度細い目を見開くと、そのまま何事もなかったようにしゃがみ込んだ。そしてにかっと笑んで、少女の頭に手を置いた。


「な、大丈夫だ」


 野太い声が優しく響いた。

 例えそれが幼い子供でも、無垢な優しさは必ず相手に伝わるものだ。


 ドーモンの明るい笑みに、少女は心を打たれたようだった。今年一番の大雨の中、大きな墓地の洞の前で、今度は雨の中でも分かる大粒の涙を流して少女は泣いた。かすれた力ない声だったけれど、それでも大きな声で、少女は泣いた。


 しかし少女に偉大なほど大きな優しさを与えた男は、少女の涙を見ることはなかった。優しく少女の頭に手を置いたまま、ドーモンはもう、息絶えていたから。




 街ではどこも傀儡の騒ぎが収まっているようだった。あれほど力強く打ち付けていた雨も、ドゥールが北の墓地に着く頃には鳴りを潜めていた。

 ドゥールはそれでも気を引き締めて、北の墓地へと入っていった。途中、ドーモンの棍棒で殴られたと思われる、歪んだ死体がいくつもあった。彼がここに来たことは間違いない。

 ドゥールは脇目もくれずフォルキスギルドの洞に向かった。右に四つ、左に三つの洞を通り過ぎた後左に曲がる。先ほどドーモンが通ったのと同じ道で、ドゥールはフォルキスギルドの洞が見える位置に立った。


 そこには崩れ落ちた死体が三つと、うちの一つに剣を突き立てられたドーモンの姿があった。


 ドゥールの人生において、このときほど衝撃的な瞬間はなかった。座ったまま微動だにしないドーモンの姿は、遠目から見ても明らかに死を連想させた。


「ドーモン!」


 ドゥールは友の名前を叫んで駆けた。瞬く間にドーモンの元に近付いたドゥールの目に、大男の陰ですすり泣く少女の姿が映った。

 ごめんなさいと、何度も何度も繰り返す少女。ドゥールはひと目でもう友人の命がないことが分かった。屈託のない笑顔のまま、ドーモンの目は何も映していなかった。

 ドゥールがそばに立つと、すすり泣いていた少女は顔を上げた。


「こいつは、お前を守って逝ったのか?」


 少女を見下ろしながら、静かな口調でドゥールは問いかけた。それを聞いた少女は、またごめんなさいと言って、大きな声で泣き出した。


 少女には、先ほどのような黒い気配はもうなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る