⑧
ドゥールと別れたドーモンは、一直線に北西の北の墓地へと向かった。ドーモンは道すがら襲い来る傀儡たちを、まるで埃でも払うかのように棍棒で砕いていた。背の高いシャルグと並んでもまだ頭二つ分高い身の丈に、常人の三倍はあろうかという幅を持つ巨漢が走ると、雪崩もかくやというほどに何者にも止めがたく見えた。
ドーモンはその巨体を支えるため、常に微量のマナを消費して動く。それを今は全開にして、かなりの速度で移動している。それに元々の怪力が加わって、彼の地を蹴る姿はとても豪快だ。まるで怒り狂う鬼神のようにも見える。
しかし彼の心うちにあったのは怒りではなかった。それはその目を見れば一目瞭然だった。
襲い来る傀儡を打ち付けるとき、ひしゃげる死体を見る度に、彼の瞳は大きく揺れた。彼は一度覚悟を決めたことに、決して弱音を吐かない。彼自身もルックに言ったことだ。彼はこの街を、この国を、心の底から守りたいと思っていた。その想いがなかったら、あっという間に足は止まって動かなくなっていたはずだ。
ドーモンが力の限り走ったため、北の墓地へもそう経たないで到着した。
北の墓地は、墓地の多い四の郭でも一番大きな墓地だった。街の外と中を隔てる防壁沿いで、家々も少なくなって来たところにその広大な墓地はあった。
アーティス人の多くが信仰しているシビリア教は、死んだ後の肉体には闇が宿ると教えている。闇が宿った死体からは、多くの病や災いが発生するのだと。元々山岳民族だったアーティス人の祖は、死んだ人間は全て川から海へ流し、水葬をする習慣があった。
そして、キーン大帝国から国土を奪って国を作った際に、元々そこで暮らしていた農村の人々がアーティス国に迎え入れられた。地元の農民たちは強き王アルに迎えられ、快くそれに応えた。
けれど彼らはアーティーズ山の山岳民の、水葬という習慣にだけはとても強い嫌悪感を示した。彼らは先祖といつでも会えるように、死んだ人に墓を用意する習慣を持っていたのだ。彼らは特定の神を信仰していたというわけではなかったので、シビリア教の教えにもすぐに順応したのだが、言わば彼らにとって御先祖こそが信仰の対象だったのだ。
広大な土地を耕すことのできる人手が圧倒的に足りなかった当時のアーティスは、その御先祖と言う考えに最大限の譲歩を示した。水葬の習慣を改めたのだ。しかし、山を下りて信心深さが薄れてきた今のアーティスでも、やはり死人に対する恐怖感を持つ人は多い。だから一の郭や二の郭には墓地があまり多くなく、街の外の方に行けば行くほど、墓地は多く、大きくなる。
アーティスの墓地は、元々の農民たちの墓地を元に造られている。親族ごと、もしくは寄り合いごとに背の高い洞を造って、その中に遺体を納めていくのだ。遺体は皆立てた状態で安置されて、その子孫や親族でなくても、誰でも自由に出入りできる。
北の墓地には今現在七十八の洞があって、その一つ一つに、数十から数百という数の遺体が安置されている。ドーモンのかつての友、ジェイヴァーの眠っているのは、北の墓地の中程にある、一番大きな洞だ。そこは身よりのない人たちのために、ギルドが造った洞だった。
何の飾り気もないドーム状の洞は、中で五階建てに組み込まれていて、その三階にジェイヴァーはいたはずだった。
ドーモンは北の墓地にたどり着くと、真っ先にその中央の洞に向かった。墓地は洞の外にも腕やら首やらが落ちた古い死体が転がっている。ちらほらと見えるそれは、傀儡をかけられて動き出し、長い年月で進行した風化に耐えきれず、腕などが落ちてしまって傀儡を逃れたものなのだろう。ドーモンはまず豪雨の中でもなお臭う、死体の悪臭に不快感を覚えた。
ドーモンはこの北の墓地が怪しいと考えていた。フォルキスギルドが造った洞は、入り口に鍵がかけられている。ギルドの許可がないと入れないようになっているのだ。ジェイヴァーが出てきてしまったという事は、その鍵が誰かに開けられたか、破られたという事だ。
ドーモンは言葉が足りないため、衝動的にここへ駆けてきたようにも見えたが、しっかりと考えた上でここへ来たのだった。
カン軍の細作はこの街にもきっと忍び込んでいる。この残虐な計画を以前から立てていたなら、北の墓地の構造くらいは把握していただろう。だから一番大きく、若いうちに死んだ死体を多く安置している、フォルキスギルドの墓地を見逃すはずもない。
ドーモンはフォルキスギルドの洞の見える位置に立ち、鍵が壊されている入り口を見た。
果たしてドーモンの予想に間違いはなかった。壊された入り口の前で、二体の傀儡が何もしないで立っていて、その間に一人の少女がまるで傀儡のような虚ろな目をして座っていた。
三歳くらいだろうか。雨に濡れた髪は伸ばし放題で、明らかに痩せすぎていた。緑色の髪に病的なぎょろりとした目。目は青色で、ぼろぼろで薄汚れた服を着ている。しばらくは洗濯も湯浴みもしていないのはひと目で分かる。その薄汚れた格好の中で、青色の可愛い目も荒んでいた。
男女の傀儡は当然のことだが、その子供を慈しむようではなかった。しかし他の傀儡のように、生きている人を襲うようなことはせず、ただ雨の中少女の脇に立たされているだけだった。
少女は緑髪のアレーだ。けれどアレーと言っても、まだ三歳だとすれば普通は魔法は使えない。しかしドーモンはひと目で、その少女が普通でないと気が付いた。少女が身に纏った気配が違うのだ。
ドーモンは一度それを見たことがあった。
一年ほど前、ルックがフォルになってしばらく経ち、彼とルックとドゥールの三人で奇形の熊退治の依頼に向かったときだった。彼らと共闘をしたジェイヴァーが熊に挑み、命を落とした。ジェイヴァーは気さくな男で、彼ら三人ともとても仲が良かった。特にジェイヴァーは唯一の子供だったルックに何かと気をつかっていた。
そんなジェイヴァーが死んだ瞬間だった。ドーモンの目には、五本足の熊が突然ひしゃげたようにしか見えなかった。
原型を失った死体が倒れる横に、いつの間にかルックが佇んでいた。それはドーモンの知るいつものルックではなかった。身に纏う気配が黒く、不気味な神々しさがあった。
他の共闘をしたアレーはみんな、本能的にかルックに恐怖心を抱いたようだった。誰一人その場で動けずにいた。ドゥールも恐怖こそしていなかったと思うが、あまりのことに驚愕していた。
そんな中、ドーモンだけがルックの抱えた非常にやりきれない気持ちに気付いた。ドーモンはルックに歩み寄って頭を優しくなでて、そっと抱擁した。ルックは子供らしくやり切れない気持ちに深く沈んで、ドーモンに縋るように抱きついた。それでまるで呪縛を解かれたように、皆それ以降はルックに対する恐怖心をしまい込んだ。
今、崩れた死体の転がる北の墓地で痩せた少女が纏う気配は、あのときのルックと同じ黒く重たいものだった。
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