⑦
「ドゥール! 良かった、無事だったんだね!」
金色の髪の幼い顔立ちをした少年が、突然民家の屋根から飛び降りてきたのだ。
「ライトか! どうしてお前がここにいる? はは、この機に乗じて逃げ出してきたか」
どこか真剣になれないでいたドゥールは、少しおちゃらけて言う。ライトは少し怒ったような表情でそれを咎めた。
「ドゥール、まじめにやってよ! 一の郭と二の郭はそんなに被害はないんだけど、三の郭と四の郭と五の郭はすごい量の傀儡がいるんだ。三の郭は中部のギルドの人がたくさんいたから、大きな被害はないみたいだけど、四の郭はひどいよ。外に生きてる人がほとんどいないんだ。アレーの人にも相当被害が出てるみたい。五の郭は小さいからお城にいたアレーの部隊が鎮圧に向かったんだ。えーと、それから、」
「待て待て、そんなに一気に話されても分からんぞ。そんなに広範囲で起こっているのか? しかし俺に他の郭のことまで面倒を見る余裕はないだろう」
ライトに叱られたことは意に介さないで、事態に混乱している様子のライトに、ドゥールはたしなめるように言う。
ライトは確かに話にまとまりがなかった。ライトは報せを聞いた途端、シャルグが制止する間もなく単独城を飛び出してきた。城の外ではたくさんの情報が氾濫していて、ライトはいっぱいいっぱいになっていた。そこに良く知る顔がいたので、思わずまくし立ててしまったのだ。
「そうじゃなくて、原因が分からないんだ。ドゥールも一緒に考えてよ」
ライトはドゥールの言葉に少し落ち着きを取り戻して言う。
ドゥールはライトのそんな事情はもちろん知らない。けれど、ライトの子供らしい使命感と、それを成しきることのできない能力の低さの、その合間で悩む姿を見て、慈しむような表情になる。
「一の郭と二の郭は墓場が少ない。だから被害も少ないのだろう。あそこは貴族や王族が住む場所だからな。そうだな、原因か、確かにちょっと想像が付かんな。それを考えるのはお偉方の仕事だろう。あぁ、お前も今はそのお偉方だったか。ははは」
「もう! ドゥールは真剣になることってないの?」
なおもふざけるドゥールに、ライトは抗議の声を上げる。ドゥールはにやりと不敵に笑んで、あるさ、と答える。そこで突然の国王の出現に戸惑っていた灰色髪が、おずおずと割り込んできた。宣誓の場でライトの演説を聞いていた一人なのだろう。ライトの顔はひと目で分かったようだ。
「あの、陛下にご意見申し上げるのは失礼かとは思いますが、あの、噂程度ではありますが、カンの小さな村を襲った怪現象と、えー、その、今度の事は関連があるのではないかと思います。えー、その怪事件というのはですね、その」
戸惑いを隠せないためか、慣れない目上の者への言葉遣いのせいか、灰色髪はしどろもどろに言う。そこに突然彼の後ろから声がかかった。
「悲哀の子か」
いくら雨で気配が消えるとはいっても、つぶやくように言った声が聞こえるまで接近に気付かなかった灰色髪は、体をびくっと震わせた。視野にその姿をとらえていたドゥールは、灰色髪の男の反応ににやりと笑った。
「シャルグ。何だ、その悲哀の子とは」
影のように灰色髪の後ろに立ったシャルグは、灰色髪を驚かせたことには頓着しないで説明を始めた。
「カンのある村を、一晩で皆殺しにしたというアレーだ。いや、アレーかどうかも判然としないが、その魔法を応用したものかもしれないとは、ビースが言っていた。
お前は悲哀の子の噂を聞いているのか?」
灰色髪はまず間違いなく、この街の守りに残された第一軍の一人だ。つまり彼にとって軍の指揮官補佐のシャルグは、王と同じようにはるか目上の存在だ。彼は明らかに緊張をして言った。
「は、はい。私の友人からこの間便りがあって、友人はコールに商売をしているのですが、コールでは二月前のその事件が、え、今でも話題に上らない日はないとのことで、えー、」
「どのような事件かは聞いているか?」
焦ったように話す灰色髪に、シャルグは落ち着かせるような優しいトーンでそう尋ねる。カンはアーティスの細作を皆殺しにしている。ディフィカがカンに入ってからの情報というものは極端に少ない。シャルグはどうやら、灰色髪の男を貴重な情報源と見なしたようだった。
けれどドゥールは、本当にこの事件の原因などはどうでも良かった。話をするのは彼らに任せて、自分はまた街を見回りに行こうと考えた。ライトの話だと、四の郭は傀儡だらけになっているようだ。少しでも早く動かないと救える命も救えなくなる。
ドゥールは話の邪魔にならないように、そっと踵を返した。
「あ、ドゥール、そういえばドーモンはいないの?」
「ああ、奴はおそらく北の墓地に行った。知り合いの墓参りにな」
軽い冗談を言い、ドゥールは再び近くの低い家に跳び登り、次に背の高い建物へと登った。ドゥールは目を凝らし、打ち付ける雨に霞む街並みを見た。下の方ではライトたち三人が話をしている姿が見える。近くに他に動く者の気配はなかった。
ドゥールは少しほっとして、他の方にも目を向ける。雨に包まれた街は、どこか神聖に見えた。木造建築が多く、殺風景な街に、色とりどりの敷石で舗装された道。無計画に広がった四の郭を覆う、荘厳な防壁。いつも通りの平和な街並みに見えた。いつもならこの雨もじめじめと鬱陶しくはあっても、それほど気にするものではなかったはずだ。
しかし今、この街で、多数の悲劇が起こっている。この雨が上がった後、一度は葬った死体や新たに命を奪われた人たちが臭いを放ち始める。その処理は街全体で行うことになり、暗澹たる想いが街中に蔓延ることになるだろう。
戦争と平和は果てしなく遠い対極にある。そこには救いなどは欠片ほどもない。
「俺としたことが」
ドゥールは沈む思考に鞭打つようにそうぼやいた。そして再び集中を取り戻して、街に動く影がないかを探し始めた。
ドゥールの見た限り近くには動く姿はない。彼は他の屋根へと飛び移って、さらに探した。だが、どこを探しても傀儡らしき影はなかった。
少し疑問を抱きつつも、ドゥールは近くに傀儡はいないようだと判断して、すぐに北西へと向かいだした。
彼の親友が北の墓地にいるはずだ。落ち合って意見を交わそうと考えたのだ。
屋根から降りたドゥールは、意外なものを見た。手足も首も、完全に整っている死体があった。まだ若い女性の死体で、頭から血を流している。仰向けになって倒れていて顔が見えるため、もう生きていないことはひと目で分かった。目を開いたうつろな表情で、ほんのわずかにも動かないのだ。これほど雨の打ち付ける中で、瞬き一つしないというのは間違いがなかった。
ドゥールはその女性の腕を切り落とすべきか逡巡して、しかしそのまま何もしないで通りを北へと駆けだした。
どこまで行っても、傀儡の姿は見つからなかった。女性の他にも何人か、四肢のしっかりした死体を見かけた。
やがてドゥールは見慣れた道へと出た。ここまで来れば北の墓地まで一本道だった。比較的広い通りで、人も多い。今は死体となって皆倒れているが、誰一人動き出そうとする様子はない。
ドゥールは淡い期待を持った。もしかしたら、継続してかけられる魔法ではなかったのかもしれない。誰かが原因を解決したのかもしれない。
ドゥールはそんなことを考えながら、雨の中を北へと駆けていった。
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