⑥
ドゥールが駆けていくと、家の一つ向こうの通りで傀儡が一体、幼子を抱いた母子に襲いかかろうとしていた。近くには大怪我をしている父親とおぼしき人が倒れている。
ドゥールは迷わず傀儡に突進していって、その傀儡を突き飛ばし、親子から引き離した。ドゥールはさらにその傀儡に追い打ちをかけて、小さめの鉄槍で胴体を斬った。
上半身と下半身を分けられた傀儡はすぐに動きを止める。
ドゥールはそれを確認すると、父親の様子を見るため倒れた男に近づいた。父親はまだ息があった。しかし、助かる傷でないのは明らかだった。ドゥールはためらいがちに母子の様子をうかがった。二人は抱き合い、目を閉じて震えている。
子供は男の子で、まだ五つか六つといったところだ。今にも息絶えそうな状態でも、子供の前で父親を殺すことにはためらいがあった。しかし、死んだ人間は間違いなく傀儡によって操られる。この街の惨状を見ればそれは明らかだった。なら今のうちに、傀儡にならないように手を打つ必要がある。
さんざん迷った上で、ドゥールは覚悟を決めた。ドゥールは父親の肩に鉄槍を当て、腕を切り取ってから、父親の胸を貫いた。大量の血が雨に流れていく。しかし苦しみに喘いでいた父親の顔は安らかになって、動き出す気配もない。
手足と頭。いずれかを著しく欠いた死体は動かない。先ほど五十体の傀儡と戦闘をしたのだ。ドゥールはすでにそれに気が付いていた。
そしてドゥールはもう一つ、傀儡の法則を見抜いていた。ドゥールは近くの家のドアを壊すと、母子を励ましながらその家の中へと誘った。
「あの人は、あの人は」
うわごとのように繰り返す母親に、ドゥールはかけるべき言葉が分からなかった。
「ことが済むまで決して家から出るな。家の中にも人がいたら、同じことを伝えるんだぞ」
ドゥールはそれだけ言うとドアを閉めた。
この傀儡は目に付く人を襲うように指示されている。細かい指示は受け取っていない。術者自身も傀儡のそばにはいないのだろう。だから、家の中に隠れてさえいれば安全だった。
だからこそ事態がここまで大きくなるまで、ドゥールとドーモンは家を出ようとしなかったのだ。もう少し早く気付いていれば、あの父親の命も救えたかもしれない。
ドゥールは非常に不快な状況に直面している自分が、特に何の憤りも持っていないことに気が付いた。気怠い気すらする。最強の個を目指す彼にとって、群れをなして襲ってくるものには何の興味も湧かなかった。それだからこそ冷静にものを判断できたし、怒りに我を忘れることもなかった。
ドゥールはまた悲鳴や助けを呼ぶ声がしないか耳を澄ました。
せめて今日がこんな大雨でなかったら、物音に耳を澄ませば傀儡の暴れている方向も分かったのに、地面を叩きつける雨音は、数々の気配を消し去っていた。
ドゥールは仕方なく近くの塀に飛び乗った。それから民家の屋根によじ登る。音ではなくて目で見るしかない。ドゥールはそこからさらに背の高い家の上に飛び移った。
豪雨でかすれている視界で、いくつか黒く蠢く者の姿が見える。しかしどれが生きた人間かまでは分からない。ドゥールは影の見える場所を目に焼き付けて、取りあえず一番近い方へ飛び降りた。
大きな水しぶきをあげて、ドゥールは地面に降りる。
屋根の上から見た影は、ドゥールが降りた音を聞くとにわかに振り返って、一直線にドゥールに向かって駆けてきた。ドゥールはそれを避ける。マナを温存するため、鉄皮の魔法は使わなかった。茶色い髪の青年が、明らかに人とは思えない動作で地を蹴って、突撃する向きを変える。しかしドゥールは冷静に青年の突撃を避けつつ、頭を砕く拳を繰り出した。死んですぐの死体ではなかったようで、乾いた頭はゴロリと落ちた。
ドゥールはその何とも言えない嫌な気分を、ぐっと歯を食いしばって耐えた。
ドゥールは次に近い影の見えた通りへ走り出す。
そこは今いた通りのすぐ裏の通りだった。乱雑に造られた四の郭で、一瞬どこから入ればいいのか分かりづらかったが、十年近く住んだ場所で、そうまで迷いはしない。
通りに入ってすぐ目に付いたのは、ほとんど骨に皮が張り付いただけのような傀儡だった。ドゥールは一瞬にしてその傀儡に近付き、傀儡がドゥールに気付くよりも前にその肩を砕いた。肩を砕かれた傀儡は、力なくその場に崩れ落ちた。
盗賊団に育てられたドゥールは神を信じていない。人の死というものも、誰かが誰かを殺すということも、珍しいものではなかった。頭目の命令で、彼自身罪のない弱いキーネの命を奪ったこともある。彼にとって死とは、尊いものでも、忌むべきものでも、恐ろしいものでもなかった。
しかしドゥールは死んだ後の自分が、自分の意志に反して動かされることを想像してぞっとした。
厚い雲に包まれた暗い一日が、どうしても暗澹たる気持ちを運んでくる。
ドゥールは沈む気持ちに鞭を打つように、次の場所へと駆けだした。
次の場所はそこから少し離れていた。商店などのない裏路地だ。ドゥールは滅多に赴くことのない場所だったので、少し迷った。しかしどうにかその場所を捜し当てることができた。
そこには五体の傀儡がいた。そして一人の男のアレーがその五体を引きつけて戦闘をしていた。近くには倒れたまま動かない、年輩の女性キーネがいる。アレーはドゥールのように街を守ろうと走り回っていたのだろう。かなり疲れた様子で肩で息をしていた。そして五対一でかなり苦戦しているようだった。
ドゥールがすぐに助太刀に入ろうとしたとき、倒れた老婆の体がビクンと動いた。
これはまずいぞと、ドゥールは心の中でつぶやいた。間違いなく今老婆の体に傀儡の魔法がかけられた。しかしそれに灰色髪のアレーは気付いていない。アレーはおそらく老婆を守っていたのだ。老婆の位置はアレーのすぐ後ろだった。老婆が今起きあがって、アレーに襲いかかったら一溜まりもない。
ドゥールは全身全霊にマナを満たして走るも、老婆が起きあがる方が圧倒的に速かった。
「跳べ!」
ドゥールは叩きつける豪雨に負けじと叫んだ。しかし前に五人を相手にするアレーに、その指示に従うべきかを判断する余裕はなかった。だが、運はアレーに味方をしたようだ。ドゥールの叫びに反応した老婆の傀儡は、灰色髪のアレーには気付かず、ドゥールに向かって駆けてきた。
ドゥールは立ち止まり、すかさず鉄槍の魔法を生み出して、駆けてくる老婆の首を跳ねた。
ドゥールは運が向いたことで興奮気味に、そのまま鉄槍を持ってアレーの元に助太刀に行った。五対一だと苦戦していた灰色髪も、ドゥールが加わってからは役にたった。何よりも剣を持っていたというのはこの状況だとありがたかった。
ドゥールが腕を落とせば動きが止まると教えて、鉄皮の魔法で傀儡を引き受ける。一体一体腕や首を落とされ動きを止めて、しばらくして、ドゥールも灰色髪も無傷のままで戦闘は終わった。
「ありがとう、助かった」
灰色髪は言うと、守っていた老婆の姿を探す。しかし、少し離れたところで首を落とされた姿を認め、肩を落とした。
「神はかくも無惨なことをお許しになるのか」
「仕方のないことだ」
ドゥールは言った。信心深い灰色髪の発言には呆れているようにも見える。
「それよりもこの死体たちは生きている人間に反応して動くようだ。だから家の中にいれば、おそらく安全だろう。後は外套を被って小さくなるのもいいかもしれん。もしまた生きている人間を見かけたら、そう伝えてくれ」
「ああ、でも待ってくれ、君は何でそんなに詳しいんだ。何か知っているのか?」
ドゥールが灰色髪のアレーに指示をすると、灰色髪がそう尋ねてきた。
「なに、さっき五十体程の傀儡とやり合ったんでな。多少予想も付くのさ」
「五十だって? 尋常じゃないぞ。そんな集団がいるのか? それによく生きてたな」
ドゥールの言葉に灰色髪は疑いを持ったようだった。こんな得体の知れない事態に見舞われたら、疑心暗鬼になるのも当然だろう。
「ああ、おそらく北の墓地から起き出してきた連中だろう。見知った顔がいたんでな。俺の相棒がこいつらに滅法強いようで、俺は鉄皮で身を固めているだけで良かったのさ」
灰色髪はそれでもまだ信じ切ってはいないようだった。だが助けてもらった恩もあって、それ以上は口をつぐんだ。
ドゥールにはもちろん何もやましいことはなかったので、男の疑いを歯牙にもかけなかった。それよりも、とにかくこの状況を何とかしなくてはならない。
そう思ったドゥールが次の場所に移ろうとしたとき、意外な顔がドゥールの前に現れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます