幕間 ~最強の生命体~




 ある日気付いた。自分には最強になる使命がある! それも小さな枠の中での最強ではない。この大陸のあらゆる生命体の中で最強でなければならない!

 これは使命であり、宿命であり、自分自身の命題なのだ!




 幼い頃の最初の記憶は、寂れた農村で鍬を振るう女性の鼻歌だった。かすれて途切れ途切れな鼻歌だったが、それに心地よさを感じていたように思う。

 その女性は母だったのだろうが、それ以外に思い出はない。その思い出すら、彼自身の想像でしかないかもしれない。


 彼はまだ自分の名前すら知らない赤子のときに親元を離れた。今いるこの盗賊団にさらわれたのだ。それが事実だったのかは知らないが、師がそう言っていた。


 盗賊団が彼をさらったのは金のためではない。寂れた農村には金などはなく、盗賊団が身の代金を要求したら、貧しい村はただ赤子を見捨てることを選んだだろう。

 彼がさらわれたのは、まだ言葉も喋れない赤子が紫の髪を持っていたためだ。


 盗賊団は彼に師を付け、戦力にするため育てた。

 彼が連れ去られた盗賊団の根城は、アーティス北東部の山中にあった。そこにみすぼらしい数戸の石小屋を建て、一つの集落を形成していた。そこには彼の他に拐かされたものが五名と、五十人もの盗賊が暮らしていた。他の不幸な五名は、若い大人の女性たちだった。


 彼は二年間その女性たちに育てられ、それから先は師から戦闘と殺しと山を教わった。


 盗賊団は生きるために盗賊をしているのではなかった。

 他の大抵の盗賊は、生活に困窮し落ちぶれ、人から物を奪うことで自分を生かす者たちだ。そうした者の多くは、生まれた村や町の近くに拠点を置く。中にはそのまま村や町に暮らしている場合もある。少なくとも国境沿いの生まれでもなければ、国を出ることはない。

 しかし彼を育てた盗賊団は、国をまたいで各地から人が集まり、自らの欲のために暴力を振るっている悪党たちだった。彼らはみな、法や社会や運命に不満や拒否感を持っていた。恨みとも怒りとも言える感情を持つ者も多かった。


「なんで力のある俺らが自由を束縛される? おかしいよな?」


 口癖のようにそう言う男がいた。男は自分の生まれた国で多くの人を傷つけ、殺したらしい。罪もなく戦う意志もない者を何人も殺した。誰かの持ち物が欲しくなれば殴って奪い、酷いときには、雨が降る日の剣の切れ味を知りたくて人を斬った。当然男は追われる身となった。懸賞金をかけられ、戦士に狙われた。男は国から逃げ出し、この盗賊団の集落に落ち延びた。誰から見ても悪人であるその男は、自分の過去を武勇伝として語った。男は自分の行いに非はなく、罪を着せられただけだと本気で信じていたようだ。


「そうだ! 私たちは自由だよ」

「間違いねえ」


 そしてそんな男に他の盗賊たちが賛同の声を上げた。

 盗賊団にはアレーが多い。五十人の盗賊の内、四十人がアレーだった。彼らのほとんどは自分がその他多くのキーネより才能があるのに、優遇されない法を不当と感じていた。

 彼らは法や社会の観点からは完全なる悪だった。物を盗み、家に火を付け、自分たちの都合で女やアレーの子をさらい、必要がなくなれば殺した。

 彼らはみな、その行いを自由と呼んでいた。


「魔法で鉄槍を作れ。やり方はこの前教えたよな? 小さいやつでいい。こいつの喉をそれで貫け」


 彼に魔法を教えた盗賊の男が、彼の前に意識のない若い女を引きずってきた。師の頭はだいぶ禿が目立ったが、彼と同じ紫色の髪のアレーだった。


 引きずられてきた女は数年前にこの盗賊団に拐かされた哀れな女性だ。意識はあったが、引きずられていたことにも、これから殺されると言われていることにも、何も反応はなかった。


「こいつは頭のお気に入りだろう? いいのか?」


 彼が確認をすると、師は言った。


「ああ、もう飽きたんだとさ。それに病を患いやがった。人にうつる病かは知らねえが、もう使い物にはならねえな」


 師は汚らわしいものを見る目で女を見下ろした。人の体に入り込んだ病のマナは感染する恐れがある。師は頭目に女の処分を命じられたが、自分で触れるのが嫌だったのだろう。殺しと魔法の教材だと言って彼に全てを押し付けて来た。


「分かった」


 彼はこの年、十一か十二になっていた。盗賊団の教育は順調で、彼はすでに殺すことには慣れていた。人を殺したことはまだなかったが、動物を捌くために殺すのと同じだと思っていた。彼にとって死は忌まわしいものではなかった。


 無感情に女の喉を貫くと、女はごぼりと血を吐いて動きを止めた。


 人間は大抵の動物より体が弱いのだと知った。動物ならもう少し死に抗おうと反応を示すところだが、女はあまりにもあっさり死んだ。


「これでもう頭に怯えなくて済むな」


 彼は死んだ女に顔半分だけでにやりと笑い、そう声をかけた。


「はは、違いないな」


 師は自分に向けての言葉と思ったか、そう反応を返した。


 彼らの頭目は盗賊団の中でも最も醜悪な心を持つ、恐ろしい男だった。気に入らないことがあれば仲間ですら気まぐれに燃やした。そんな中で生きてきたので、死というのは彼にとって見慣れたものだ。今さら自分が人を殺すことに何の抵抗もなかった。ただ人間とはかくも脆いもので、自分もまたその人間の一人だということに違和感を覚えた。


 彼はその漠然とした違和感に突き動かされるように、自分の体を鍛え始めた。動物は大きな個体ほど生命力が強く、頑丈だ。自分も体を鍛えることで脆くない体を手に入れられると思った。数年後には筋肉が盛り上がり、盗賊団の中でも目立った体躯を獲得していた。


「おう、拳闘家ん子。また体、でえかくなったんか?」


 そのせいで彼は拳闘家ん子と呼ばれるようになっていた。この訛りの強い男の出身国に、キーネ同士を闘わせて見せ物にする催しがある。マナを操るアレーには、戦闘において筋力はほとんど必要ない。しかしキーネが戦うには膨れ上がった筋肉が必須だった。そうした闘うキーネを、その国では拳闘家と呼ぶらしい。

 盗賊団はさらってきた子供に名前を付けるという発想がないようで、彼にはまだ名前がなかった。親から付けられた名前はあるだろうが、それを知るすべはないし、特別に知りたいと思う機会もなかった。

 そのためと、訛り混じりの呼び方が珍しかったのもあり、面白がった盗賊たちがこの奇妙な呼び方をするようになったのだ。


「筋肉よらあ脂肪のんが役立つんだがなあ」


 訛りの男にそう言われたが、名前のない彼はただにやりと親愛を込めた笑みを返した。

 盗賊たちの行いは悪であり、無慈悲で厭うべきものだったのだが、ここでの暮らししか知らない彼には善悪の基準がなかった。だから言葉をかけられれば笑みを返したし、当然のように彼は盗賊団を仲間だと考えていた。


 だからつまり、このときなぜこの考えを得たのかは、彼自身にもまるで分からなかった。


 自分は生物として最強であるべきだ。なりたいとか、ならなければいけないではなく、そうあるべきだ。だから目の前の男と戦いたいと思った。

 突如湧き出た考えに彼は少しだけ首を傾げたが、一切の拒否感なくそれを受け入れた。


「おい、訛り」


 彼は目の前の男の呼び名を口に出す。


「ん? どったんだ?」


 突然雰囲気を変えた彼に訛りと呼ばれた男は不信げな顔をした。


「俺は今からお前を殺す。抵抗してみろ」


 仲間だと思っていた男を突然殺すと言い出した彼は、宣言通り男を殺した。目を丸くしたまま倒れた訛りの喉から、マナの尽きた鉄槍が消え、血が吹き出した。抵抗をする間もなく殺してしまったため、なんの糧にもならなかった。


「おい! 拳闘家ん子がやりやがった!」


 近くにいた別の盗賊が警告の怒鳴り声を上げた。

 彼に警戒をした盗賊は少なかった。ほとんどの者はただの行き過ぎた喧嘩だと思って笑っているようだった。

 しかし彼が警戒心を高めたように見えた数人を殺し始めると、他の全員が事の異常を悟った。

 最強となる糧にするため、無警戒の人間を殺す意味はないのだ。だから彼はあえて警戒をしている者たちから殺した。


 彼は自分が強かったのだと知った。盗賊団のアレーは必死に抵抗し、逆に彼を殺そうと攻撃をしてきたが、どれも全く脅威でなかった。逃げ出すものもいたが、彼にはそうした何人かには興味がなかった。ただ立ち向かってくる人間たちを殺し回った。鉄皮で守っていない箇所に少なくない傷を負ったが、致命傷はない。逆に仲間の盗賊たちは力任せに殴ればマナを使わなくても殺せることが分かった。


「どうしちまったんだよ? 義憤に目覚めたのか?」


 師がわけの分からないことを言っていたが、問い返すより前に首の骨を折ってしまった。師も鉄の魔法師だったが、いくら身を固めようと、細い首を折るのは容易かった。


 あらかた殺し尽くしたあとに、彼らでは自分を最強にさせることはできないのだと悟った。もっと強い相手と戦わなければならない。

 彼が知る中で最も強く恐ろしい人物は盗賊団の頭目だった。頭目は今二名の腹心を連れて根城を出ていた。その三人は数月に一度身なりを整えて、数日の距離にある街に盗品をさばきに行っていた。今はたまたまその間だったのだ。


 彼は集落の真ん中にあぐらをかいて座り、頭目の帰りを待つことにした。殺した仲間たちはそのまま野ざらしにした。野ざらしの死体は三日ほどでマナの恩寵を失い強い臭気を放つが、彼はこの山中ではそうならないことを知っていた。予想通り、野鳥や狼が死体を食べに来た。仲間たちの死体が食べられるのを見ても、特に何も思わなかった。ただ一匹だけ頑強な体つきの狼を見つけ、勝負を挑んで殺した。そうするとそれからは狼たちは姿を見せなくなった。


 それから三日後、馬に乗った三人のアレーが集落に戻った。制止をかけられた馬がいななくと、死体に群がる野鳥が飛び立った。


「おい、何があったんだこれは」


 頭目が腹心二人に問いかけたが、腹心二人も唖然として言葉が見つからないようだった。


「拳闘家ん子、生きてんのか?」


 腹心は二人とも絶望の色を顔に浮かべていたが、頭目だけはどこか楽しげに声をかけてきた。

 あぐらをかいていた彼は馬上の頭目を見上げる。


「ああ。生きて、頭の帰りを待っていた」


 彼が答えると、腹心の一人が顔を赤らめて怒鳴った。自分が強いと知った今では、腹心の赤い顔はただ滑稽なだけに見えた。


「これは一体どういう事だ! 何があったって言うんだっ!」


 腹心は馬を下りて彼に詰め寄ろうとしたが、次の言葉に足を止めた。


「俺が殺した」


 腹心二人が言葉を失った中、頭目はにやにやと顔を歪め始め、ついに大笑いをし出した。


「はははっ! こいつはすげえ! これ全部お前一人でやったのかよ」


 頭目が楽しそうなので、彼も気分が良かった。

 そしてつまらない問答より早く頭目と戦いたいと思った。


「おい、拳闘家ん子、死ぬ前に教えろ。理由はなんだ?」


 だから彼は頭目の言葉に答えなかった。ただにやりと親愛の籠もった笑顔を見せて立ち上がる。


 頭目ともう一人の腹心が馬から下りるのを待って、彼は戦闘を開始した。

 腹心二人は他の盗賊とそう変わらない強さで、すぐに死んだ。しかし頭目は強かった。

 彼が全力を込めて拳を振るっても、速く鋭く蹴りを放っても、頭目に攻撃は当たらなかった。

 彼は鉄の槍を生み出して全力で投げた。頭目は左手に持つ幅広の短剣で正面から槍を防いだ。そして右手で持つ重い投げ斧を信じられない速度で投げ返してきた。

 回転する斧は彼の頭に直撃した。衝撃によろめき、頭がくらくらと揺れた。たまらず尻餅をついたところに、火の蛇が襲いかかって来る。

 彼は全身に鉄の魔法をかけ、その攻撃を受けた。

 体が溶けるのではないかと思えるほどに熱かったが、彼は猛然と火の蛇を突き破るように突進した。

 繰り出した拳を避けようと、頭目が右に跳んだ。彼の爛々と輝く目がそれを捉え、がむしゃらに頭目を追いかけた。


 ついに殴ることも蹴ることも叶わなかったが、彼の指が頭目の服に引っかかった。

 彼は全身の筋肉を使い、頭目を引き寄せた。

 それからマナを使った体術で素早く頭目の足を払い、重たい体重を乗せて頭目を地面に投げつけた。


 ごぶ、と頭目の喉から空気の漏れる音がした。


 強者だったが、ただの人間でしかない頭目はその一発の投げで動けなくなった。身をひねり起き上がろうともがいていたが、痛みからかマナが切れたのか、力が入らないようだった。


「俺の勝ちだ」


 彼はにやりと笑んでそう宣言した。頭目はそれに弱々しく笑みを返し、あきらめたように全身の力を抜いた。


「ああ、そうだな」


 落ち着いた様子で頭目は答え、とどめを刺さないことを疑問に思ってか、こちらに目を向けた。敵に情けや容赦をかけないことは、盗賊団が彼に教えたことなのだ。彼も勝った相手を殺さない選択肢をまだ知らなかった。

 だから、彼が頭目を殺していなかったのには別の理由があった。


「一つ聞きたいことがある」


 頭目は彼の言葉に嫌そうな顔をした。頭目も師と同様、彼が義憤にかられて事を起こしたのだと思ったのだろう。そうした人間が最後に聞きたいことなど決まりきっていたのだ。それは頭目には飽き飽きする質問だったのだろう。


「なんだ? 俺が盗賊になった理由か?」


 しかし彼にとってはなぜ頭目がそんな推測をしたのかはまるで分からなかった。

 首を傾げながら眉をひそめる。


「そんなことに興味はない。俺が知りたいのは、最強の生命体が何かということだ。頭なら知っているかと思ったんだが」


 頭目の目に理解の色が浮かんだ。

 頭目は無知な男ではなかった。荒くれ者のアレーばかりを集め、集落を築いた男だ。外の街に取引をしに行ってもいる。頭の回らない人物のはずがなかった。

 それはある意味で戦いの前に頭目が投げた質問の答えだ。彼が最強を目指しているのだと、頭目は理解し納得をしたようだった。


「ルードゥーリだろ。伝説上の生命体だがな。あとは神か?」

「そうではない。鬼人や悪魔はどうだ?」

「はは、分かっているさ。しかし鬼人はただのオラーク人だ。悪魔はフィーンの宗教における架空の敵だな。実在する中で最強と言えば、おそらく翼竜か精霊だ」


 頭目は弱々しい声でそう教えたが、どちらも彼には知らない生命体だった。


「それはなんだ?」

「翼竜は馬鹿げたでかさのトカゲだ。蛇だっていう学者もいるようだがな。大昔はこの大陸の支配者だったらしく、今は最後の一体がダルダンダという山に住んでいる。まあ、最後に目撃されたのは何千年も前らしいから、まだ生きてるかは知らないがな」


 頭目は予想以上の博識さを見せ、彼に語った。


「精霊は木々に宿ったり、山に潜んだりなんて言われちゃいるが、実態は知られていない。ジジドとかフバッハとか上位の精霊になると、自然を操ることができるそうだ。実体は持たず、人の目には見えないだとか、別の世界に住んでいるだとか言われているな」

「そうか。翼竜とは戦えそうだな」


 彼の相づちに、咳込みながら頭目は笑った。


「やめておけ。城よりでかいそうだぞ」


 彼は城の大きさも知らなかったが、博識な頭目がそう言うからには想像を絶する大きさなのだろう。

 痛みが和らいできたのか、それから頭目は教えを説く教師のように長い語りを始めた。


「拳闘家ん子が何を知りたいのかは分かった。ついでに二つ教えてやる。俺を殺した報奨だ。

 人型の生命体で最強なのは、ルーメスとドゥーリだ。元々はルードゥーリっていうのも、ルーメス・ドゥーリが訛っていった呼び方だ。

 ドゥーリというのは生き物だが、死に厭われていると言われている。何をどうやっても死なないんだそうだ。こっちに関しちゃ俺もそんなには知らねえ。たまに魔人ルンナなんて呼ばれることもあるらしいが、ルーメスと被るからドゥーリと呼ばれることが多いって話だ。

 んで、俺が詳しいのはルーメスだ。

 ルーメスは破壊の権化と言われていて、ルーメスに分けられる。その名の通り、あらゆるものに終焉をもたらすと言われている悪しき生命体だ。別の世界に住んでいるが、たまにこの大陸に迷い込んで来る。昔は津波や地崩れや野火みたいな、災害として扱われている生物だった。

 今となっては腕利きのアレーが数人いれば倒せる程度の存在と思われているが、数十年に一度はるかに強力な個体が出現するらしい。そいつはそこいらのアレーじゃ太刀打ちできない。

 もっと言うと、俺のことを産みやがった女の一族には、北の地で数百だか千年だか前に、信じられないくらい強力な個体が現れたっていう伝承がある。こんくらいになってくりゃ、もしかしたら翼竜や精霊よりか強いかもな」


 ルーメスの話には強い興味を持った。ドゥーリの話にも何か深い関心を惹かれた。どちらともぜひ戦いたいと思った。自然と顔がにやける。それを見た頭目が、ふと真剣な顔をした。

 頭目は弱々しく震える体を起こし、懐から酒の入った革袋を取り出した。その吸い口から酒を飲み、忌々しげに言う。


「ちっ、血の味がしやがる」

「終わりか?」


 彼はそんな頭目の愚痴には頓着せずに、言葉とともに拳を握りしめた。


「まあ待て。今さら命乞いなんてできる生き方はしちゃいねえからな、お前が俺を殺すのは別に構わねえ。しかし教えは二つと言ったはずだぜ。今のはまだ一つ目だ」


 頭目はそう言ってからまた酒をあおり、今度は愚痴をこぼさず飲み込んだ。


「お前は最強になりたいんだろう? それだったらな、人を簡単に殺すな。はは、俺が言えた立場じゃねえってか? だがな、お前がこの集落みたいに見境なく人を殺して回れば、お前は最強にならずに死ぬ」


 頭目の忠告は彼にはまだよく分からなかった。これが分からないように育てたのは頭目たちの盗賊団だ。それも理解した上での忠告だったのだろう。頭目は苦笑を漏らし肩をすくめた。


 そこで突然頭目が動いた。


 今までの長話は体力を回復させるための時間稼ぎだったのだろうか。それともあおった酒の酔いがそうさせたのだろうか。突如として闘気を放った頭目は、懐から小刀を抜き出し、凄まじい勢いで何度も何度も彼に刃を突き立てた。

 彼は最後の抵抗を試みる頭目を冷静に眺め、目を狙う攻撃だけをわずかにそらし、全ての攻撃を受けた。頭目の決死の攻撃は鋭く、彼の全身を隈無く突き刺した。しかしそのどれも、彼にはわずかな傷も与えなかった。

 頭目は醜悪な心がにじみ出たような笑みで顔を歪ませ、楽しげに彼の体に刃を立てる。刃がこぼれ、ほとんど殴るようになりながらも、何度も何度も小刀を打ち付けた。


「はは! とんでもねえ! 全身を鉄で覆ってんのか?」


 博識な狂人に、無知な狂人がにやりと顔の片側だけを歪ませた。


「頭、礼を言うぞ。お前は俺の糧になった」


 彼はそう言い、頭目の腹に重く頑丈な拳をえぐり込ませた。

 彼に大量の血を吐きかけ、頭目の動きは止まった。そしてたくましい体にすがるようにしながら崩れ落ちて行く。


「は、ははは。最期は、俺を殺したやつの名を、あの世に持って行こうと、決めてたんだがな。はは、拳闘家ん子じゃ、しまらねえ」


 か細く途切れとぎれに頭目が言う。しかし彼にはまだ名がないのだ。それは頭目も知っていることだった。


「ドゥーリというのはどうだ?」

「はは、お前にゃ、相応しい、かもな。が、それじゃあ、女の、名前……」


 それが頭目の最期の言葉となった。




 それから先、彼はしばらく荒れ果てた集落で頭目の最後の教えについて考えた。


 自分の命題のためには強き存在に勝たねばならない。まずはルーメスを探そうか。それとも強い戦士に戦いを挑もうか。

 人を殺すなという頭目の教えは気になった。自分の命題のためには強い存在と戦うのは必要なことだ。しかしそのために人を殺すと、自分が最強にならずに死ぬとはどういうことか。

 醜悪な頭目だったが、嘘やまやかしでそう言ったとは思えなかった。彼の最後の無駄な抵抗も、彼自身が生き延びようと醜く足掻いたのではないような気がしていた。頭目は彼を強くするために、最後の力を振り絞ったのではなかろうか。そう思えた。


 頭を使うことを知らずに育った彼の思考は、そこで止まり、堂々巡りをした。


 どれほどここでそうしていたのか。鳥が再び死体をつつきに来て、雨が降り、彼の体に付着した血を洗い流した。

 そして気付くと、今まで見てきたどの生物よりも巨大な男が彼の前に立っていた。




 名のない彼が一つの盗賊団を壊滅させた半月ほど前から、近くの街に大きな男が滞在していた。


「よお、あんたでっかいなあ。仕事を探してんの? まず名前は?」

「ドーオン。俺、仕事ほしい」

「ドーンね。工業の方かい? それともアレーの仕事かい?」


 アーティスの北東部の街に、「ミストスリ商工会」という新しい看板を掲げた一軒の事務所がある。

 その大きな男、ドーモンは、ミストスリ商工会に仕事を探しに来ていた。これは金に困ってのことではなく、ただ単に自分の腕を役立てる場所を探してのことだった。


 ドーモンは大男も大男だ。背は一般的な男性よりも三回りか四回りも大きく、身に蓄えた脂肪がその長身をさらに巨大に見せている。丈の合う服などないのだろう。継ぎ接ぎだらけの服を自分で縫い、それを着用していた。


 彼の名前はドーモンなのだが、舌っ足らずな口調のため、彼は自分の名前を上手く言えない。そのため商工会の受付の男性は、覚え書きに「ドーン」と書き込んだようだ。


 商工会という名目の事務所で、商業の仕事の話が出なかったのは、ドーモンの見た目や口調が明らかに商売には向かないものだったためだ。

 このミストスリ商工会は、最近まではミストスリ商会という名前で、商業だけを取り扱う組合だった。しかし先月新しい事業を取り入れようと、工業の部門を作り商工会に名前を変え、さらについ先日から、アレーギルドとしての仕事斡旋も行うようになった。

 ドーモンは街でその情報を得たので、アレーとしての仕事がないか訪ねて来たのだ。

 しかしこの事務所はミストスリ商工会の末端の支部で、めぼしい仕事はないと言われた。


「宿は決まってるかい? 何かいい仕事があれば紹介状を送らせてもらうよ」

「宿、グオグオだ。俺、文字読めない。伝言頼めるか?」

「グオグオ? ああ、はは。グルオグンドの宿か? 堅っくるしい名前よりそっちの方がだいぶいいやな。んで、文字は読めないね」


 男性がさらさらと樹紙に情報を書き込むのを見て、ドーモンは文字というのは便利なものだと思った。


 今ドーモンがいるアーティスの国は、識字率の高い国だ。受付の男性も身分の高い人ではないだろうが、当たり前のように文字を扱う。

 他国ではそうでもなかったが、ここでは文字が読めないというのは知恵が足りないと思われるようだった。さらにドーモンの場合は舌っ足らずな言葉遣いのせいで、なおさらそう見えるのだろう。


 商工会の受付を済ませたドーモンはグルオグンドの宿に戻り、酒と山盛りの料理を頼んだ。


 ドーモンは金払いが良く、また知恵が足りないと思われているため、無害な上客だと思われていた。そもそもこの国の人たちは、知恵や体が不自由な人に対してとても同情的で優しいのだ。

 宿の主人はドーモンを家族団欒の食卓に招き、美味しい酒と料理で歓待してくれた。宿の小さな子供たちは、食事が終わるとドーモンによじ登って遊び、大きな子供たちはドーモンの見てきた他国の話を聞きたがった。ドーモンから見ると、小さな子供も大きな子供も、宿の主人ですら小さい人間で、とても可愛いと思っていた。


「なあなあ、ドーモンはどうして旅をしてるの?」

「それよりさ、どうしてドーモンはお金持ちなの?」


 子供たちが矢継ぎ早に質問をしてくるのに、ドーモンはゆっくりと答えた。


「俺、すごく強いぞ。悪いやつ、たくさん捕まえる。俺、お金たくさんもらう」

「すげえー、ドーモンって賞金稼ぎなんだな」

「そんなのじゃなくてさ、どうして旅をしてるの!」

「俺、生まれたの、旅の一座だ。もっと体小さいときから、ずっと旅してた」

「え! ドーモンってプーだったの? お手玉とか玉乗りとかできる?」


 プーというのは、旅の一座で滑稽な踊りや芸を見せて、観客の笑いを取る役回りを指す言葉だ。ドーモンの育った一座にもそういった道化師プーメイはいたが、彼自身はそういった芸はできない。


 その一座はドーモンの体が小さな大人の背を超え、いくつかの裏方仕事を仕込まれ始めた頃に壊滅した。ここよりずっと北の国で、運悪く戦争に巻き込まれてしまったのだ。

 ドーモンは命からがら逃げ延びた。その頃の仲間がその後どうなったのかは知らない。しばらくしてから探してみたが、戦時下ではこのような出来事は珍しくなく、情報は得られなかった。しかし明るい結末は迎えなかっただろうとは推測できた。


 だからドーモンは子供たちには一座の話を詳しく語らなかった。その後ドーモンは一人で当てもなく旅を続け、各地で懸賞金のかけられた奇形の討伐や盗賊の捕獲をしながら生きてきた。仕事がなくなれば街を替え、目的のない人生を送っていた。たまにこうして優しい人たちに出会い、可愛い子供たちと遊び、それだけで自分が満たされた幸せな人生を送っているのだと思えた。


 このときは、まさか自分のそんな人生に道連れができるだとは思ってもいなかった。


 商工会には実は塩漬けにされた懸賞首の情報があった。少し先の山を根城にする盗賊団の討伐依頼だ。頭目の男がかなり腕の立つ火のアレーで、手下には四十人ものアレーがいるのだという。

 受付の男性は知恵の足りないと思っていたドーモンに、危険な仕事をさせたいとは思わず、この仕事の話はしなかった。しかしドーモンが相当な腕利きだという噂がこの街に届き、最終的に依頼の話が回ってきた。

 聞いた話では、盗賊団の悪行は目に余るもので、一刻も早い対応が必要だと感じた。四十人のアレーに単身で挑むことはできないが、まずは情報だけでも探ろうと、ドーモンは盗賊団の集落に向かうことを決めた。


「無理はしないでくれ。この子たちもお前さんの帰りを待ってるからな。な、お前たちからも言ってやり」

「うん、ドーン、帰り待つー!」

「また、ドーン、登るの!」


 小さな子供たちは溢れるほどの元気さで、ドーモンの口真似をしながら言った。

 大きな子供たちもぎゅっとドーモンの服を掴んで、またたくさん話しようなと笑った。生意気な発言だったが、それにドーモンはにっと大きな笑みで応えた。


 そうしてドーモンは街を発ち、盗賊団の集落がある山に入った。山に入ると、大きな体を慎重に木々に隠しながら、ドーモンは一日かけて集落を探した。雨が降ったため、身を隠すには都合のいいタイミングだったようだ。


 しかしドーモンが盗賊団の集落を見つけたとき、すでにその盗賊団は壊滅していた。


 盗賊団の集落には、たくましい体をした男が座っていた。紫色の髪をしたアレーだ。彼の周囲には、鳥に食い荒らされたのだろう、骨になった死体とぼろぼろの服が散乱していた。


 たくましい体を持っていたが、ドーモンはすぐにその男がまだ少年なのに気が付いた。体は大人と変わらないほど大きかったが、体に似合わない優顔には幼さが見えた。

 ドーモンはそんな少年に近づき、声をかけた。状況はまるで理解できないが、子供が一人こんなところにいてはいけないと思ったのだ。


「俺、ドーオン。お前、名前は?」


 少年ははっと顔を上げてドーモンを見上げた。




 そうして、名のない彼と大男は出会った。名のない彼にとって、その出会いは運命的だったと言えるだろう。


 彼は大男の旅に同道し、人を慈しむドーモンを見た。そして自然とドーモンから愛を学ぶことになる。それは彼にとって今まで知り得ない感情だった。愛するものを失うことの意味も知った。身に付いた死生観はその後も変わらなかったが、人を簡単に殺すなという頭目の教えは理解できるようになった。


 大陸中を放蕩した。そして旅の中で最強を追い求めながら大人になり、南に最強の勇者の噂を聞きつけて、またこのアーティスへと戻った。そこでその後家族となる二人の子供と出会い、戦い、友誼を結んだ。


 アーティスの中央部では両親に再会した。記憶の片隅に残る鼻歌は、やはり母のものだった。そして親に与えられた名を聞き、それには自分が確かに愛されていたのだと知ることになった。なんとも面映ゆく、苦笑いのこぼれる想いがした。正直に言えば嬉しかったのだ。


 しかし、彼は生涯その名を使うことはなかった。


 運命の出会いの日、山のようだと感じた大男の質問に、彼は顔の半分だけを歪ませて不敵に笑った。





「俺はドゥールだ」

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