⑦
うまくすれば傷を負わせることもなく勝負をつけるつもりだった。
彼女にとって計算外だったのは、あの大剣だ。古の魔剣の中でも最高クラスの魔法が籠められているものだろう。そんな、一生のうちに一度見るか見ないかというような代物に、まさかここでお目にかかろうとは思っていなかったのだ。隆地の魔法は驚くほどきれいに決まった。
リリアンとシャルグの実力には相当に開きがあった。けれどそれでも、地に伏した状態で攻撃をかわしきるのは難しかった。そのため彼女はシャルグを殺してしまう可能性を覚悟の上で攻撃したのだ。本意ではないが仕方なかった。
本当にあの剣だけが予想外だった。
そう彼女は感じていた。内心致命傷ではないかとひやひやしながら、シャルグの腹から剣を抜く。運よく、傷口からはそこまでひどい出血はない。深手ではあるも出血が少ないようなら、まだシャルグへの警戒は緩められない。リリアンはシャルグの首に剣をやる。そこで金髪の少年が剣を振り下ろしてきたが、左手一本でそれを受け切る。受け切れると判断した。ちらりと見た剣さばきは、リリアンにとっては気にするほどのものでもなかった。
そう彼女は、受け切ったつもりだった。
リリアンは今度こそ肝を冷やした。金の剣を受け止めたはずが、その感触が感じられないのだ。そのときリリアンが思ったのは、鞘のない異様な形の剣と、もう一人の少年が持つ、非常に珍しい大剣だ。あんな魔法剣を持っている仲間がいるのだ。その金の剣も、何か魔法が籠められていても不思議ではない。それに加えて、その剣には鞘がないのだ。
彼女は恐ろしい予感に、金髪の少年に目を向けた。案の定、彼の剣はまるで空気でも切るかのように、リリアンの短剣を切っていたのだ。
リリアンほどの腕であっても、その一撃を回避できたのは奇跡に近かった。
ここにももう一つ、彼女にとっての予想外が存在していたのだ。逆上していた少年の剣は、短剣には阻まれずまっすぐリリアンへと振り下ろされる。彼女の小手は非常に頑丈だったが、それでこの剣を受けようものならまず間違いなく手をなくすところだった。彼女は地面に倒れこむようにしてその攻撃をかわす。
今度こそ必死で避けたために、誘いではない隙が生まれる。とはいえ相手は手負いの戦士と格下の二人だ。いったん間を取り態勢を立て直せばいい。
リリアンはそう考えた。
しかしそこで彼女は致命的なミスに気付いた。影の魔法を扱うものと対峙するとき、もっとも注意すべき基本中の基本を怠っていたのだ。
影の魔法に一つ、反則的な魔法が存在する。抑影というほんのわずかなマナで使える魔法で、その効力はある意味で水魔を上回る。標的の影に手をつけて、指先にわずかなマナを加える。たったそれだけの動作でその魔法にかかったものは、自分の影を動かせなくなるのだ。影が動かないということは、つまり体を動かせないということだ。そんな魔法が存在するので、影の魔法師、黒髪の者と対峙するときには、自分の影のある位置に最大限の注意を払う。まさに基本中の基本だ。
手負いとはいえ、こんなチャンスを見逃してくれるはずはない。リリアンの影がシャルグの前に伸びるやいなや、すかさずその魔法は放たれた。
しまった!
思ったときにはもう遅い。抑影は強力だったが、マナはほんのわずかにしか使わない。溜める時間はほとんど一切必要ないのだ。しかもリリアンにとっては、その体勢が最悪だった。金色の剣をかわすのに必死だったために、攻撃に転じられる体勢ではなかったのだ。両方の腕が地面に向いて垂れていた。水の魔法のほとんどは手から放つものだ。この体勢では水壁も水砲も使ったところで意味がない。地面にさえ手をついていれば水魔の魔法を使えたのだが、これではもはやなす術はない。
「ライト、殺せ」
黒影は当然のようにそう命じた。リリアンとしても同じ状況ならばそう判断しただろう。圧倒的な力を見せつけすぎたのだ。明らかに自分は彼らにとって危険な存在だった。
リリアンに殺すつもりはないといっても、すでに相手に深手を負わせている。今リリアンは確実に彼らに敵と認識されているはずだ。
戦士として生きてきたのだ。当然何人もの命をこの手で奪ってきた。何回か本気で死ぬのではないかという事態にも陥ったことがある。だから戦士としての覚悟は持っている。しかし甘んじてそれを受け入れようと考えたことはない。
リリアンは今から助かる方法を必死で考えた。しかし体は動かせないし、効果的な魔法も使えない。明確な解決策など存在するわけはなく、金色の剣がこの命を奪おうと振り払われた。
「ライト、殺せ」
シャルグは刺された腹を片手で押さえつつ言った。年の若い女に対して無情なようだが、やむを得ないことだった。ライトはシャルグの言葉に従い、彼女に向けて剣を薙ぐ。
「いや、殺さないで!」
リリアンは叫んで命乞いをした。相手がもしもシャルグだったら、その叫びには意味はなかっただろう。しかし今リリアンに剣を向けているのは、まだ人を斬ったことのないライトだった。その叫びには充分すぎる効力があった。
彼女の叫びにライトはためらい剣を止めた。
「ライト、その女は危険すぎる。殺すんだ」
シャルグが冷静にそう諭す。しかし、ライトはためらいの表情を浮かべたままだ。
「ちょっと待って、私はあなたたちを殺すつもりはなかったのよ! 手を引くから、お願いだから命だけは助けて」
「耳を貸すな、ライト。これから国は戦争になる。そのときにこんなやつが生きていたら何人ものアーティス人が殺されるんだ。今殺しておかなければならない」
シャルグは強く言い放つ。戦争とは無情なものだ。彼の言葉に誤りはないのかもしれない。だがそれでも、命乞いをする人を斬るというのは心に負担を強いる行為だ。ライトはためらった表情のまま剣を持つ手を振るえさせていた。
「私はカンに雇われているだけよ。戦争なんかに参加するつもりは毛頭ないわ」
ルックは広場の端からそのやりとりを見て、必死に思考をめぐらせ始めた。
ライトにはまだ人を殺してほしくなかった。これはルックの勝手な思いだった。戦争になればそんな甘いことが言えなくなるのも分かっていた。しかし可愛い弟のように感じていたライトが、人を殺すところは見たくなかった。
ルック自身、年の近い女性が死ぬのはなにかとても嫌だった。それをルックたちを育ててくれたシャルグが望んでいるというのが、なおさらルックに抵抗感を感じさせた。
シャルグは抑影を継続させるために動けない。だからリリアンを殺すとしたらルックかライトがやるしかない。そもそもシャルグが手を下せるとしても、できれば容認したくないと思った。
考えるのは、リリアンを殺さなくて済む方法だ。
シャルグの負傷でこの任務はすでに継続できなくなっている。リリアンは戦争に参加する気はないと言っているが、報酬目当てで襲ってきたのだ。殺さなければ再び襲われる危険もあった。
次にリリアンが青の書を届けることに意味がないと言い切ったことについて考えた。どう意味がないのかは知らないが、それをリリアンが証明できれば殺す理由がなくならないだろうか。
しかしその考えはすぐに無駄だと気付いた。それで殺す理由がなくなったとしても、殺さない理由もまたなくならないのだ。ルックにもリリアンが危険な存在だというのは、この短い戦闘の中だけではっきりと感じられた。国の命運はライトの命運でもある。彼女が多額の報酬を提示され敵国の傭兵にならないと保証できなければ、彼女を殺さない理由にはならない。
そう考える内、ライトが震える手を落ち着けるように深く深呼吸をした。
そしてリリアンが覚悟を決めるように目を閉じた。
「ちょっと待って」
まだ考えはまとまらなかったが、ルックはとりあえず制止をかけた。
「その人を殺しちゃうのはあんまり得じゃないかもしれない」
ルックは適当な言葉で裏があることを匂わせてから、どう決着をつけるべきか考え続けた。
「なぜだ?」
シャルグが聞いた。ルックの狙い通り、シャルグは頭ごなしで否定するようではない。ライトとリリアンは期待のこもった目でこちらを見ていた。
そこでルックは、先ほど自分が適当に言った得じゃないという言葉をヒントに、解決策をひらめいた。
「シャルグのその傷じゃもう任務続行は不可能じゃないかと思うんだ。だから命を助ける代わりに、彼女に僕の護衛を頼んだらどうかと思って」
ルックの提案を拒否するはずもなく、リリアンが即座にうなずいた。
「もし助けてもらえるのならなんでもするわ」
しかしルックはこの提案がすんなり通らないことは分かっていた。
「いや、危険だ。俺が離れた瞬間、裏切る可能性もある」
シャルグは端的に指摘する。
「うん、そこで考えたんだけど、リリアンはカンにアルテス金貨百枚で雇われたって言ってたよね? そのうち前金はどのくらい?」
アルテス金貨というのは、大陸中で最も純度の高い金貨だ。百枚ともなると、一般的なキーネの商人が一年かかって稼げるかどうかという大金だった。今彼らが受けている仕事はアーティス産の金貨十枚の報酬だ。数字こそ十分の一だが、その価値は五十分の一にも満たない。アルテス金貨というのはそれほど高価なものだった。
話をしながら、ルックはゆっくり三人がいる位置に近づいた。
「前金はアルテス金貨五枚よ」
「今それ持ってる?」
「ええ、腰の袋に入っているわ」
言われたルックは、さらにリリアンに近づき、腰の袋に手を伸ばす。
「ちょっと借りるね」
慎重な動作で、リリアンが鞘と一緒に腰につけていた袋を取り外す。麻でできた簡単な袋だ。口を閉じてる紐をほどいて、ルックはその金貨を取り出した。金貨はアーティス国のそれより大きく、表面にアルテス王家の家紋が型どられている。
「ライト、ちょっとこれ切ってみて」
突然の申し出でも、人を斬るような抵抗感はもちろんない。ライトは軽く頷いた。そこまで来るとルックの言おうとしていることが分かったのだろう。シャルグとリリアンが目を見開いていた。
ルックはライトにそのコインを投げる。ライトは金の剣を斜めに切り上げ、それを二つに切り裂いた。
下生えの中に二つになったコインが落ちた。ルックはその二つを拾い上げ、断面をリリアンたちにも見えるように向けた。
リリアンがその断面を見て、強い安堵と希望の表情を見せた。
「僕は見たことないけど、アルテス金貨の中ってこんな感じなの?」
からかうようにルックは言った。
金貨の断面は明らかに金ではない土塊だった。
「いや、俺もまさかそんな高価なものを切ったためしはないが、アルテス金貨でないのは間違いないな」
「やっぱり? 今回の仕事は有事の際で国にもお金がないって話だったから、カンの報酬は異常だなって思ったんだ」
リリアンもシャルグもその事実には目を剥いていた。一国が旅の戦士にとはいえこのような欺きをするなど、聞いたことがないのだろう。そのため二人は疑いもしなかったはずだ。国の考え方などまだ知らない、子供だったからこそ気付いたこととも言える。
「……確かに、カンはさほど裕福な国ではないな。これでこいつには裏切る理由がないというわけか。しかしルック、それだけではこいつがお前を守る理由にはならない」
シャルグは言った。それはもっともな意見だ。
ルックは素直に頷いた。
リリアンがこの仕事の継続に力を貸してくれるなら、それはルックたちに得となり、殺さない理由になると気付いた。そして報酬目当てに裏切らない保証はないと考える内に、カンの報酬が異常なことに思い至った。
ルックが短い時間で考えをまとめられたのはここまでだ。
彼女を殺す理由がなくなったのなら、無駄な殺生をするような趣味は自分たちにはない。それでも、ルックを守りティナまで送り届けるほどの理由がリリアンにはないだろう。もしもシャルグが帰還したあと、ライトと二人だけになるようなことになったら、任務遂行どころか命の危険すらある。依頼を達成することは言うまでもなく重要なのだが、命あっての物種だ。ここから先はまともな作戦はなかった。
「どうリリアン? 報酬は出せないけど、僕の護衛をしてカンに一泡ふかせるっていうのは」
ルックはそう分かっていながら、ただ何となく、彼女が信用できる気がしていた。
「ええ、あなたは命の恩人よ。必ず無事にアーティスまで帰すと誓うわ」
彼女は真摯にそう言った。その答えに、ルックは満足した。
「一種の賭けだけど、もしリリアンに見捨てられるようなことがあったら、僕たちもすぐに任務を放り投げて引き返すよ。どうせ二人じゃ無理だしね。ビースだって分かってくれるでしょ?」
ためらうシャルグに明るく笑ってルックは言った。
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