⑥
リリアンは旅の戦士だ。ルックとそう変わらない歳で様々な戦いを経験してきた。そしてその全てで生き抜くだけの力を持っていた。
しかし彼女は無駄に敵の命を奪いたくはなかった。
特に今回は相手が自分に害をなす存在ではない。依頼内容が彼らの殺害だったら、彼女はこの依頼を受けなかっただろう。
しかも今回彼らはトップに青の書を届けるという、リリアンには無駄と分かりきっている仕事をしていた。それなら妨害したとしても心は痛まない。むしろこの依頼をしてきたカンの軍部に申し訳なく思った。
リリアンは依頼の遂行を決め、仲間を先にティナへ向かわせた。そして数日前からアーティーズで彼らの情報を仕入れていた。
彼らは腕利きのアレーチームということだった。ティナのトーナメントで好成績を収めたアレーが二人もいるらしい。その内一人、黒影の名前は旅の途中でも聞いたことがあった。しかし集めた情報によると、彼もアラレルよりは数段劣る戦士だという。それならばなんとかなると思って、彼らがアーティーズを出てからずっと尾行していた。
狩人の家で育った彼女にとって、木々の合間の移動は整備された街道の移動と大差なかった。全く気付かれずに彼らを尾行し、この森に入ってからの一部始終を観察していた。
そして彼らが敵のアレー二人を埋めて弔ったのを見て、彼らに好感を抱いた。できれば傷も負わせず勝利しようとまで思った。
先回りをし、彼らの行く先にある広場で夜を過ごした。
そして今、状況はほぼ彼女の思惑通りに進んでいた。
「これで分かったでしょ? 私なんかとやりあったって得るものは一つもないわ」
リリアンはじっとシャルグを見つめ、諭すように言う。自分の魔法は絶対的だと自負がある。ただの水魔なら、普通の木にでもこうはできない。
「さっきあなたと斬り合ったとき、ぴったりあなたの動きに合わせていたわよね。あなた、同じことが後ろにいる彼らに対してできる? できないでしょうね」
「何が言いたい?」
「あなたは私に勝てないのよ。命を大事にしてみてはどう?」
リリアンは余裕を込めて言う。戦闘中にも関わらず悠然と話しかけ、笑みを見せつけた。
しかし実はこれはただのはったりだった。実際にシャルグよりもリリアンは大分速い。しかしシャルグの動きも並みのアレーとは段違いにいい。そのため話術で彼らの戦意を削ごうと考えたのだ。
受けた依頼は青の書の強奪で、彼らを殺める必要はない。しかし、先程青髪の少年が言ったように、シャルグほどの使い手を殺さないよう戦うことはさすがの彼女も難しい。しかも今回リリアンは、彼らに傷を付ける気もなかった。そのため彼女は偶然シャルグの動きを読みきれたことを利用してそう言ったのだった。
実力あっての偶然だが、それほどまでに自分とシャルグの速さに差はない。実際に大人と子供でもぴったり相手の動きに会わせて動くことなど難しいのだ。少し考えたなら分からないでもないはったりのはずたが、それが分からなくなりそうなほど、強烈な水魔を見せ付けた自信がある。
しかし場数を踏む黒影は、まだ冷静だった。
「ふざけるな。例えお前がそれを可能にするほど動けるとして、人の目がそれに耐えられるはずもない」
「耐える方法があるとしたら?」
リリアンは悠然とした態度のまま笑みを深める。この言葉ははったりではない。リリアンはマナで目や神経を活性化させ、一時的に莫大な動体視力を得る方法を知っていた。しかしシャルグがそれを知るはずはない。魔法は彼女に軍配が上がるものの、スピードはついていけないほどではない。勝機はあると思ってしまったようだ。
シャルグが一度失いかけた戦意を再び奮い起こすように、剣を構えた。
「それならそれを見せてみろ」
シャルグは言ってその場を動かず、どうやらマナを溜め始めたようだ。リリアンはそれを見て軽くため息をつき、一気にシャルグの方へと地を蹴った。魔法を使おうとしている相手には時間を与えないことが鉄則だったし、今は厄介な隆地の魔法もない。大地の魔法師の少年がマナを溜めていないことを、リリアンはしっかりと目に入れていた。
「陰目」
駆け寄ろうとするリリアンにシャルグが影の魔法を放ってきた。影の魔法は一つを除いてそれほど警戒はしなくていい。殺傷能力のある魔法が存在しないのだ。戦闘では援護や補助程度にしかならない。
けれどそれも使いようだ。
陰目の魔法はその名の通り相手の目に影を送って視界を悪くするものだ。それほど長く効力の続く魔法ではないし、そもそも悪くなるだけであって見えなくなるわけではない。戦い慣れた相手にはほとんど効果を示さないともいわれる魔法だ。
リリアンにもそれは少し鬱陶しいだけだった。陰目はただの伏線で、本命の魔法か攻撃がこの次にあるのだと踏んだ。
それはリリアンの油断では決してなかった。
リリアンがシャルグの元へ駆け寄ろうとした瞬間、シャルグの陰目が彼女の目を覆い、気にせず駆け寄ろうとしたリリアンの前に突然、大地が立ち上がる。シャルグまでの距離は五十歩近く離れていた。それを数瞬で詰めるほどの速度で駆けていたところ、突然目の前に壁が出現したのだ。
「えっ?」
気づいたときにはもう遅かった。突然できた大地の壁に、リリアンはその勢いのまま衝突した。
隆地の魔法だ。青髪の少年がもしもリリアンほどの早打ちならばこうなったことも頷ける。だがそれなら最初シャルグの攻撃をかわしたときに放ったはずだ。リリアンはあえて隙を作ってそれがないのを確認していた。少年はそれから急いでマナを集め始めた。しかしそのマナは先ほどの石投で使い切っている。それから今まで、間違いなく彼がマナを集めている気配はなかった。
軽く体をひねって頭を守り、しっかり受け身まで取ったリリアンは、地に倒れこむ瞬間、横目でちらりと青髪の少年を見た。彼はそのとき、柄に宝石のついた大剣を地面に突き立てていた。
ルックにとっては願ってもない好機だった。彼はリリアンのあまりの魔法にあっけにとられた。そして次のマナを溜め忘れていたのは確かだった。しかし、彼の大剣にはまだマナが蓄えられていた。
そしてシャルグがリリアンの視界を狭くして、リリアンがシャルグの動きに警戒を強めた隙に、剣から隆地の魔法を放ったのだ。
ルックは剣を地面から抜きさらにそれをリリアンのほうに向け、石投を放った。
先ほどの石投の三倍ほどの量の石つぶてがリリアンめがけて飛んでいく。
シャルグももちろんこの機を見逃すはずはなく、リリアンとの距離を一気に詰める。
隆地を回り込むシャルグ。シャルグとリリアンが再び対峙する。彼女はルックの放った石投をかわすため、まだ地に伏せていた。それこそがルックの狙いだった。狙い通り、彼女はシャルグが距離を詰めたときにはまだ応戦できる体勢ではなかった。シャルグは容赦なく、倒れた彼女に切りつける。
水壁だと間に合わないと判断したようで、リリアンは氷の剣を生み出してシャルグの黒刀を受けた。しかしさすがの彼女もこの一瞬では満足なマナを集めることができなかったようだ。氷の剣というよりは、氷の剃刀のような小さな刃しか作れなかった。
氷はシャルグの剣に一撃で粉砕された。だが一応は役目を果たし、シャルグの剣はそこで止まった。しかしそれはシャルグが再び剣に力を込めるまでのほんの一拍を稼いだにすぎない。
ほんの一拍の間。その一拍をどう使ったのかは、ルックにはまるで分らなかった。けれどとにかく、ルックが気付いたときにはリリアンの長剣が、最後の一撃を送り込もうとしていたシャルグの腹に突き立っていた。
「シャルグ!」
ライトが叫んだ。ルックより体術に長けた彼は、ルックより早く状況を飲み込んだのだ。
まだ完全には体を起こしていないリリアンに対しても、シャルグなら油断はしていなかったはずだ。だが現に、地に腰を付けたままでリリアンはシャルグに決定的な傷を負わせていた。
終わった。と、ルックは思った。次に彼はどうこの場から全員を逃がすかを考えた。ルックはシュールに高い状況判断能力を仕込まれている。シャルグが傷を負わされたのなら、彼女に対して勝機はないと瞬時に理解した。それならば、どうにか無事にこの場から逃げなければならない。さらに言うなら、シャルグは傷を手当てするために、ルーンの所に戻らなくてはいけない。自分とライトだけではこの先には進めない。この時点でもう任務は失敗なのだ。
冷静な判断力が告げる状況に、ルックは歯噛みした。
違う。今はそれより、シャルグのことを助けなきゃ。
余計な思いを振り払い、急いでマナを溜める。
「石投!」
ほとんど時間稼ぎのつもりで、ルックは石投を放つ。リリアンはそれをもう一本腰に差していた短剣を抜き、叩き落とした。
必死に考えを巡らせるルックの横で、ライトが動いた。ライトにとって、シャルグは絶対の存在だった。彼をここまで教え導いてくれたのはシャルグだった。そのシャルグが絶対絶命の危機にあるのだ。ライトは我を忘れてリリアンの元に駆けて行く。金色の剣を振りかぶり、シャルグらには及ばないものの、かなりの速度でリリアンに詰め寄る。
「引けっ、ライト!」
それを見たシャルグは、腹に剣が刺さっているとは思えないほど大声で叫んだ。それはほとんど悲鳴だった。ライトの腕では、それこそリリアンとは子供と大人以上の差がある。彼女にその気があれば、ライトは一瞬にしてその命を絶たれてしまうだろう。
しかしリリアンは、そんな彼らの様子には構わないで、シャルグの腹から慎重に剣を抜いた。そして血のしたたる剣をシャルグの首に向ける。
「止めろぉぉぉぉぉぉ!」
それを見たライトは、ほとんど絶叫しながら上段からリリアンに切りかかる。先ほど石投を叩き落とした左手の短剣で、ほとんど見もせずに彼女はライトの金の剣を受けた。
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