②
それからさらに二年の月日が流れた。
この頃ルックはよくジェイヴァーの商店を訪れていた。フォルの試験で一緒になった大柄な商売人だ。
ルックたちが剣の練習をする空き地に行く途中、少し遠回りをするとジェイヴァーの商店はある。
無精な店主はめったに店を開けていなかったが、ルックが顔を覗かせるようになると以前よりは頻繁に営業するようになった。
「お、来てくれたのか。ひと月ぶりくらいか?」
そう言ってルックを歓迎してくれたのはジェイヴァーの妻、オードスだ。オードスは相変わらずジェイヴァーに対しては手厳しいが、ルックのおかげで少しは旦那が働くようになったといつも喜んでいた。
「あはは、何も買えないけどね。ちょっとチーム全員でティナに行ってたんだ」
ジェイヴァーの店に並ぶ商品は必需品ではない。贅沢品ともまた違うが、子供が少ない所持金をはたいて買うような物ではなかった。
「ああ! それ、聞いたぞ。君のところのリーダー、準優勝だったらしいじゃないか」
ティナというのはアーティーズの南にあるどこの国にも属さない街だ。その街で四年に一度トーナメント形式の武芸大会が開かれる。大陸各国から参加者が集う、大規模な大会だ。
今年はそれの開催年で、チームの大人たちが参加していた。そのためルックはチーム全員でひと月ほど国を出ていたのだ。
「うん、シャルグも準決勝まで進んだよ。どっちもアラレルに負けちゃったけどね」
「はは、さすがの黒影も勇者には敵わねえか」
そう言って話に参加してきたのはジェイヴァーだ。相変わらず旦那を毛嫌いするオードスが少し嫌そうな顔をした。
黒影というのは元々は敵国カンがシャルグに付けた蔑称だった。しかしこの頃ではアーティスでもシャルグの強さを称えてそう呼ぶことが多くなっていた。
「アラレルの試合は全部開始と同時に終わってたけど、シャルグだけは一回剣を合わせたんだよ」
「はあ、それだけでも大武勲ってか。アラレルはやっぱとんでもねえな。ドーモンの旦那とドゥールのやつはどうだったんだ?」
ジェイヴァーはチームの大人たちとも知り合いになっていた。特に年が近いドゥールとは気が合うようだ。
「ドーモンは三回戦でシャルグと当たって、ギリギリ負けちゃった。ドゥールは一回戦で知らない人に負けてたよ。俺はあんな攻撃にびくともしないんだがなって言ってた」
ルックたちが語るトーナメントは、風の衣と呼ばれる防具が使われる。どんな魔法も攻撃も受け流す、大陸に五つしか残存していないという古の魔法具だ。
「ドゥールってのは私のチームの拳闘士がアラレルより戦いたくないって言ってたよ。そんな強いやつが一回戦で負けたのか?」
ルックはオードスに風の衣とドゥールの鉄皮について説明をした。
「風の衣を着ているとお互いダメージを負わないから、トーナメントの勝敗は判定で決まるんだ。ドゥールにはなんてことない攻撃でも、判定する人にはそうは見えないんだよね」
「はあ、なるほどな。まあドゥールのやつは残念だったが、これでお前んとこのチームは名実ともにアーティス一のチームになったな。どっかのいんちきフォルのチームとは大違いだ」
ジェイヴァーの言葉にオードスは冷たい目線を向けた。
「おい唐変木。そのいんちきフォルに食わせてもらってるってことを忘れんな。私はそろそろ出るけど、今日こそは売上を出してくれよ」
「ああ、さっさと行け。そんでもう帰ってくんな」
オードスがフォルになって生活に少し余裕が出たのだろう。夫婦仲は以前ほど険悪ではなかった。だが、それでもいつもどちらからともなく言い合いが始まる。ルックはもうそれに慣れていて、どちらの味方もせずに静観した。
舌打ちを一つしてオードスが出て行くと、愚痴っぽくジェイヴァーがぼやいた。
「全くよ、売れなかったら品物が悪い、売れたらもっと高く売れってんだ。真面目にやるだけ馬鹿を見るってもんだよな」
ジェイヴァーの取り扱う品物は安くはない。用途が不明な物でもアーティス金貨が数枚は必要だ。高いものでは一つ売れれば数月は飯に困らないと自慢げに語られたことがある。
「それなら別れちゃえばいいのに」
ルックにはこの夫婦の仲は本当に不思議だった。
「ああ、いずれは追い出してやろうと思ってんだけどな」
ルックがそんな問いかけをしてみると、いつもジェイヴァーは何かとはぐらかす。それでいていつも本気でオードスに腹を立てているのだ。
「お、そうだルック。昨日また珍しいもん仕入れたんだけど、ちょっと見てくか?」
話をそらすような提案だったが、ルックは嬉々としてうなずいた。
「まだ値段を決めてねえから、ルックの意見も参考にさせてくれ」
そう言ってジェイヴァーが取り出したのは、砂の入った特殊な形状のガラス容器だった。上下対称の作りになっていて、砂の入った下部の容器と何も入っていない上部の容器が向き合うような形をしている。
何か用途がある物なのか、置物としてはそれほど精巧な作りには見えない。
ルックはジェイヴァーに問いかけの目線を送る。するとジェイヴァーは自慢げにその品物について説明を始めた。
「これはクラン計測器だ。この容器は中で繋がっていて、こうやって逆さにすると下にあった砂がゆっくり空っぽだった方に移って行くって代物だ」
見た目以上に繊細な作りの品物だったらしく、砂はさらさらと規則正しく流れ落ちて行く。
「ふーん、どうしてクラン計測器なの? ただ砂が流れているだけでしょ?」
クランというのは大陸の統一時間の最小単位だ。一クランで一時間の二十分の一の時間を表す。
「なんでもこの容器の中の砂は、ちょうど流れ落ちるまでに一クランかかるらしいんだ。コールの大学で開発されたもんらしい。今回は三つしか仕入れられなかったが、二十個あれば一時間、四百もあれば丸一日を計測できるぞ」
ジェイヴァーはさもすごそうに言ったが、本人も本気でそう思っているわけではないようだ。時間は空の明るさを見れば大体分かるし、まして一日などは計るまでもなく分かる。
「うーん、すごいのかな? ていうかジェイヴァー、わざわざそんなにたくさん用意しなくても、一クラン置きにその計測器をひっくり返して回数を数えておけば、一時間でも一日でも計れるよ」
ジェイヴァーは商売人とは思えないほど算術が苦手で、ルックの当たり前な指摘に目を見開いて驚いていた。
ジェイヴァーの商店にはそれほど長居はしない。
ルックはクラン計測器に銀貨一枚という評価を下すと、いつもの空き地に向かった。
空き地にはルックより少し遅く家を出たライトとシャルグがすでに着いていた。
ライトはまだフォルの資格は持っていなかったが、本当に簡単な仕事はときどき手伝っている。そしてルックの仕事が数日がかりになることもあるので、以前のように毎日練習をしているわけではなかった。
ライトとの試合はまだルックが勝ち越していた。だいぶ負けることも多くなったが、七、八割は勝てている。ライトも三月前からフォルの試験を受け始めるほど腕を上げていたが、魔法を使えないというハンデは大きかった。
「今日は条件付きで試合をしろ」
空き地でしばらく型の練習をしたあと、シャルグがそう指示を出してきた。
「条件って?」
ライトが背の高いシャルグを見上げる。ルックもライトと同じくどういうことか分からず、シャルグの回答を待った。
「ルックは剣を打ち合わせるな。受け流しも禁止だ。剣が当たった時点でライトの勝ちとする」
詳しい理由は語らなかったが、ルックもライトも特に聞き返さずにうなずいた。
ルックはシャルグに言われた条件について考えた。剣を打ち合わせられないなら、ライトの攻撃は全てかわすしかない。確実に自分に不利な条件だった。
しかし深く思案すると、今日はまだそれほど大きなハンデにはならないと思えた。むしろ上手く対処すればこちらが有利になるだろう。
ルックは鞘に入れた大剣を背中から外した。
まだ大剣は大きすぎるが、この頃はようやく背負って運べるようになっていた。鞘から抜くにはわざわざ背中から下ろさないとならないが、だいぶ取り扱いやすくなった。
ルックは鞘が抜けないよう剣帯をしっかり結び直し、正眼に大剣を構えた。
ライトも鞘に入れたままの剣を同じ型で構えた。
お互いの準備が整うと、ライトが素早い動作でルックの大剣を狙って攻撃してきた。
ライトの行動は完全にルックが予想していた通りで、ルックは大剣を片手に持ち替え、武器をおとりに右手の拳をライトの眼前に突き出した。
「うわ!」
ライトに有利なはずの条件は、ライトの行動を単純にした。ルックはそれを読み切って楽に勝利を上げたのだった。
この練習方法は二人で鍛練をする日には必ず一度は行われるようになった。
シュールがその意味を、ライトがフォルになったら教えると言った。
最初は戸惑っていたが、ライトが慣れてくると、この条件ではほとんどルックに勝機はなくなった。
こうした日々でルックとライトは順調に強くなっていたが、ルーンは相変わらず強くなることに無関心だった。ある程度の体術は使えるようになっていたが、武器は全く覚えなかった。
しかしルーンは子供たちの中で、一番驚くべき成長を遂げていた。
フォルにはなっていないが、ギルドからルーンを直接指名した依頼が来ることもあった。
ルーンは魔法の練習にいつからかかなり真剣に取り組むようになっていて、既知の呪詛の魔法はほとんど使えるようになっていた。
そしてそこからさらに、自分自身で新たな魔法を考案していった。
この一年で四つの魔法を開発し、三つは使い道のない魔法だった。しかし残り一つ、治水という魔法を開発したとき、大人たちが大騒ぎをする事態となった。治水は百戦錬磨のシュールたちが戦慄するほどの魔法だったのだ。
それは呪詛のマナを液体に流し込むタイプの魔法だ。既知の魔法でも呪詛にはそういったものは多くあり、それ自体は目新しいものではない。しかしその効力は大陸の長い歴史の中で一度も実現されなかった、画期的なものだった。
まず液体を水瓶や桶などに溜める。そこにルーンがマナを流し込んで治水を発動させると、その水に触れた傷がじわじわと目に見えるほどの速さで修復されるのだ。
これは今までは死を待つしかなかった大けがにも有効で、ルーンはギルドから依頼を受け何人もの人を治療し、命を救った。
本人はそれほどの魔法だという自覚はなくあっけらかんとしていたが、ルーンは魔法に関しては間違いなく天才だった。
大人たちは王国有数の戦士で、ライトは宝石細工のような美形で剣の才能がある。ルーンは魔法の天才だ。
ルックはチームの中で自分だけが普通だなと感じていた。それは少し寂しくもあったが、ルックには普通というのが心地よかった。
ライトには以前のように手放しで誉められることはなくなったが、もう今のままでもライトとはずっとずっと親友でいられると確信がある。ルーンとはときどきケンカもするが、それでもやはりずっと親友だと思う。
チームの大人たちもそうだ。もうルックのことをチームの一員と認めてくれているはずだ。
だから自分が普通のままでもルックは充分満足していたのだ。
しかしこの十二の年、ルックは自分もまた普通ではないと知ることになる。
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