『五本足の熊』①
序章 ~真実の青~
『五本足の熊』
フォルになってからも、ルックは強い戦士になるための修練を続けた。そして少しずつ仕事もするようになった。
ルックがやる仕事はシュールが決めていた。それは大人たちの誰かが一緒で、危険度の低い依頼だけだった。
一番多いのは行商の護衛だ。次に山菜詰みなどもそれなりにこなした。盗賊などの法に反抗する勢力の鎮圧や、狙われる危険の高い貴族の護衛などはほとんど受けなかった。
中でも一切やらなかったのは、魔獣や奇形の討伐依頼だ。魔獣、もしくは奇形とは、マナに狂わされた動物ことだ。これは依頼自体はそこそこ多く、大人たちはよく受けていた。ただルックたち子供は絶対に連れて行かれなかった。
しかしそれでもルックは日々確実に成長した。
体術は伸び悩んでいたが、大人たちからそれぞれの技能を学び、できることが増え、ルックの戦略の幅は広くなっていた。
どれも大人たちと比べれば中途半端な技能だった。それでもルックは未熟さを加味した上で器用に使いこなした。
その日はルックがフォルになって半年後のことだった。
ルックはシュールと二人で小さな行商の馬車を護衛していた。二人で銀貨六枚の、フォルが受ける中で最低金額の仕事だ。
行商が向かうのは首都アーティーズから近いハシラクという街だ。それは低賃金だが、ほろ馬車の後部に座ってただ移動するだけの、簡単な仕事になるはずだった。
しかしその日は、ルックにとって一生涯忘れられない日となる。
「影の魔法師と対峙したときに一番気をつけなければいけないことは何か分かるか?」
馬車に揺られながら、ルックに戦士の心得を学ばせるため、シュールが問題を出した。
アレーの戦士が二人も乗る小さな馬車など、わざわざ襲おうとする盗賊はいない。シュールの出す問題は、気楽な道行きの良い暇つぶしになっていた。
「それは簡単すぎるよ。自分の影の位置でしょ?」
「ああ、正解だ。じゃあ次は、光と水と木のアレーと戦う場合、真っ先に倒すべきはどの魔法師だ?」
今度の問題は明確な答えはないように思えた。それぞれのアレーが持つ武器にもよるし、技量の差も不明だ。
それらの条件が仮に全て一緒だとしても、どの魔法にも危険なものがある。優先順位は付けられないように思えた。
しかしこの問題は答えを導くためのものではなく、ルックに考察させることが目的なのだろう。
ルックはシュールの意図をそこまで汲み取った上で答えた。
「光の魔法は飛距離が短いし、木の魔法は光や水ほど破壊力のある魔法はないから、水のアレーじゃないかな?」
ルックの回答をシュールは否定した。
「俺なら真っ先に木の魔法師を叩く。木の魔法には毒霧という凶悪な範囲攻撃があるからな。もし先に光と水のアレーを倒してしまえば、仲間を巻き込む恐れのなくなった木の魔法師は毒霧を使ってくるはずだ」
シュールの説明にルックはなるほどとうなずいた。
「そっか。仲間が死んじゃってたら危険な毒でも気にすることなくばらまけるってことなんだね」
「ああ。まあ三人同時に戦うことになったら、全力で逃げるのが一番正解だけどな」
シュールの言葉にルックは声を立てて笑った。
ルックも毒霧の魔法の危険性は知っていた。光の光矢、水の水魔、木の毒霧という三つ魔法が、戦闘において最大威力の魔法だというのは常識だった。
しかしルックにはまだ、戦闘は相手を殺すことだという発想がなかった。そもそも実戦経験がフォルの試験のときにしかないのだ。殺されることを考えたことはある。しかし殺めることは考えたことがなかった。
こういうことをあらかじめ学べるシュールの問題は、ルックが強くなるのに大いに役立っていた。
「止まれ!」
そのような平和な時間を過ごしていた二人だったが、突然周りを四人のアレーが囲んだ。彼らは武器を手にして命令口調で馬車を制止する。
「おい、殺しゃしねえから金と積み荷を寄越せ」
アレーは男三人、女一人の盗賊団だった。
マナに恵まれるというのは珍しい現象で、百人に一人程度の割合でしかアレーは生まれない。アレーであれば稼ぎに困るようなことはそんなにないので、盗賊にアレーがいることはまれだった。それが四人もいるというのは完全に不測の事態だ。
それでもわざわざ戦士が二人乗る馬車を襲おうとは思わないのが普通だ。しかし今回はルックが子供だと見て仕掛けて来たのだろう。
「シュール!」
ルックは慌てて大剣にマナを溜め始めた。
もし戦闘になった場合は後方から魔法で支援をする役割だと、ルックは大人たちからきつく言い聞かされていた。
しかしシュールはルックと同じ魔法が得意な戦士だ。実際にシュールが戦うところを見たことはないが、まずい状況だと思った。
「おい! 俺たちは二人ともフォルだ。戦いになってもお互い損しかないぞ」
シュールがそう警告したが、盗賊たちは信じずににやにやと笑った。
「そんなガキがフォルなわけはないだろうが。世間知らずが戦士のふりをしてんじゃねえか?」
ルックは気付かなかったが、シュールもこのときはまだ二十歳で、とても熟練の戦士には見えなかったのだ。同じ歳でもシャルグなら違っただろう。鋭い雰囲気に盗賊たちも警戒心を生じさせたはずだ。しかしシュールはどちらかと言えば温和な雰囲気の青年だ。盗賊たちは子供と若造だとこちらを完全に見くびっていた。
さらにルックは知らなかった。
盗賊に身をやつすようなアレーが四人程度集まったところで、シュールの敵ではない。彼なら一対四で余裕を持って勝てる相手だった。
しかしルックは焦った。シュールの強さも盗賊の強さも分からないため、危機的状況なのだと思い違いをした。
「なああんた、荷物も金も諦めたっていい。無理はしないでいいからな」
馬車をひいていた商人がそう声をかけてきたことも、ルックの不安を煽った。
「はは、万が一俺が負けたらそうして下さい」
柔らかな口調で商人に言うと、シュールは腰に吊した剣を引き抜く。
「ちっ、やるぞお前ら」
それを見た盗賊たちは一気に殺気立った。
盗賊は火のマナを使う灰色の髪が二人に、木の黄緑色の髪と魔法を使えない赤い髪が一人ずついた。
シュールは先ほどの問題の通り、真っ先に黄緑色の木の魔法師を狙った。魔法が得意だと聞いていたのに、驚異的な速さで木の魔法師との距離を詰め、敵の胸を剣で貫いた。
一瞬で仲間一人を失った盗賊たちは、激昂していっせいにシュールへ切りかかった。決して速くはない動きだが、怒声を上げる盗賊たちは恐ろしく感じられた。
ルックはシュールが殺されると思った。
ルックを育ててくれたとか、悪夢にうなされる頭を撫でてくれたとか、そういう恩義のためではなく、ただ単にシュールが死ぬのが想像もしたくないほど嫌だった。
ルックは無我夢中で鞘を払った。自分の最大の武器であるはずの頭も使わなかった。ただ何も考えず、一直線に盗賊一人の背に突撃した。
シュールにしか警戒していなかった盗賊の女が、肩口からルックの剣を受けた。アレーとはいえ体は普通の人間だ。たったの剣ひと振りで、あっさりと女の体は切り裂かれた。そしてあっと言う間に絶命した。
残りの盗賊二人の内一人はシュールの剣に首を跳ねられた。もう一人は赤々と燃え上がって地面に転がった。
ルックは血に塗れた剣先を呆然と眺め、自分がたった今人を殺したという事実に驚いていた。
「ルック、手助けは必要なかった。危険なことはしないでくれ」
シュールに注意をされたが、頭の中はぐるぐると複雑な感情が巡り、それに答える余裕はなかった。
結果的に、シュールに危険はなかった。再び走り出した馬車に乗りながら、ルックはそのことに思い至っていた。
シュールはルックが予想していたよりはるかに強く、ルックの手助けは本当に必要なかった。
しかしだからこそ、ルックが手助けをしようとしまいと、殺した女の盗賊は確実に死んでいただろう。
それにあいつらはシュールを殺そうとしていたんだ。そんなやつらは死んで当然だ。
と、ルックはそこまで考えて、自分が人を殺した事実へ言い訳をしたいのだと気が付いた。
ルックは今よりもっと幼いころに抱いた、冷淡な気持ちを思い出した。
強くなるということは武力になるということだ。孤児となったばかりのルックは、それがひどく愚かなことに思えていた。
人の命を奪うことはとても簡単なことだった。そして頭では仕方のないことだとも分かっていた。しかしルックから両親を奪った敵国のアレーと同じことを、今自分は行ったのだ。そのことがルックにまとまりのない漠然とした疑問を抱かせていた。
その疑問に答えは出なかったが、ルックはこの日からまた真剣に強さの意味と命を奪い合う覚悟について考え始めた。
ルックの両親は先の戦争でカン帝国のアレーに殺された。
普通なら、子連れの一市民など兵士はわざわざ気にかけない。見逃してくれるものだ。しかし、ルックの青髪を目にとめた兵士たちは見逃すことを良しとはしなかった。
ルックはまだ三歳だったが、自分の両親がなぜ殺されたのかをよく理解していた。
嫌な話だが、ルックがいなければ父も母も死ぬことはなかっただろう。
両親が死んでしばらくはとにかく自分を責めた。だから敵国の兵士を恨む気持ちは芽生えず、武力という意味の強さには冷淡だった。
それからルックは自分を責めるのをやめた。両親はアレーの子供がいたら自分たちが危険になると分かっていたはずなのだ。それなのにルックを守ろうとして決して見捨てなかった。そのことに気付いたのだ。だからいつまでも自分を責めて落ち込んでいるわけにはいかないと思った。
僕は幸せになるために生きるんだ。
ルックはそれを固く誓った。
そしてシュールのチームに引き取られ、何度も見た悪夢の中に、「大丈夫だ」と繰り返す声が降ってくるようになった。その理知的で不器用な声に、ルックの心の傷は次第に小さくなっていった。
どれだけ考えても答えは出そうになかった。しかしルックは、今回はシュールが無事だったことをまず喜ぼうと結論を出した。
「シュール」
考えをまとめ終えると、ルックは隣に座るシュールに呼びかけた。ずいぶん長く考えていたので、今はもう帰りの道行きの終盤だった。馬車に揺られる灰色の髪もあれからはずっと黙り込んでいた。何を考えていたのだろうか。彼は複雑な感情を宿した目をルックに向けていた。
ありがとうと言いたかったのだが、何に対してそう言いたかったのか分からなくなった。確かに言おうと思っていたことが、するりとルックの中から抜けていく。それからはどう思い出そうとしても上手く説明する言葉が浮かばず、結局ただ名前を呼ぶだけで終わってしまった。
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