③
今日も閉店だ。
年が明けた三の月、ジェイヴァーの店の前、ルックはそう心の中で呟いた。
去年の末頃から、ジェイヴァーが店を開けなくなったのだ。店はジェイヴァーの自宅も兼ねていて中から人の気配はする。しかし無精なジェイヴァーどころか、オードスもこのところ見かけなくなっていた。
ルックはジェイヴァーの店の前を通り過ぎ、空き地に向かった。
「あ、ルックー! 大変だよー」
空き地が見えるところまで行くと、空き地の前でライトが大きな声でルックを呼んだ。
今日はルーンとドーモンが一緒で、三人は空き地の前に立てられた看板の前に集まっていた。
ルックが三人に近づくと、すぐにライトが看板を指差して「読んでみて」と言った。
看板には空き地が売れて私有地になったことが書かれていた。
「空き地、なくなっちゃうんだ」
ルーンが寂しげな物言いで口を尖らせた。
ルーンは相変わらずわがままで、空き地がなくなることが不満なようだ。しかしルックも寂しい思いは同じだった。ライトは最近は泣き虫ではなくなったが、少し目を潤ませている。
「空き地なくなる、良いことだ。街、発展だ」
子供たちを慰めるように優しい巨漢がそう言った。
ルックが両親を失った戦争から九年が過ぎ、街からは戦争の爪痕がどんどん消えて行っていた。
ルックもドーモンの慰めを聞き、これがとても良いことなのだと思うことにした。
ルックたちは今日の鍛練はあきらめて、三の郭にあるギルドの本部に向かうことになった。
最近街では北の小山に出没した熊の魔獣が話題になっており、情報を聞きにきたのだ。
魔獣や奇形と呼ばれる、マナに恵まれ過ぎた動物は、いびつに巨大化して凶暴性が増す。普通の野獣より出現頻度は高くない。しかし人が襲われることも多く対処が必要だ。
今回出現した熊は、普通の熊よりもふた周りも大きい。そして右肩から二本の足が生えており、「
北の小山はドゥールがよく山菜を摘みに行くヒルティスという名前の山だ。近くの集落や農家から討伐依頼が出されている。
討伐隊は二度、去年末と今月の始めに組まれていたが、どちらも帰って来なかった。
奇形の討伐は危険度が高く、ルックたちのチームではほとんど受けない。大人たちだけでもあまりやらない仕事だった。しかし昨日、ドゥールが次の討伐隊に参加したいと言ったのだ。
ドゥールは最強の生命体になることを自分の命題にしていて、奇形の熊と戦いたくて仕方ないらしいのだ。
討伐隊を二度も打ち破ったという熊に目を爛々と光らせ興味を示していた。
「イスンボー、討伐されてないか?」
ギルド本部に着くと、舌っ足らずなドーモンがギルドの職員を捕まえてそう聞いた。
職員は「イスンボー」が「
「まだだよ。特に今討伐に行ってる人もいないしね。討伐依頼には今のところフォル三人とフォルじゃないアレーが一人集まってるけど、まだ人数が足りてないと思われて出発は決定してないんだ」
ルックたちはそれから集まっている人員の詳細や、最近の五本足の熊の被害についてと、今までの討伐隊の戦果について説明を受けた。
そこでルックは、討伐依頼へジェイヴァーが参加していることと、一度目の討伐隊にオードスがいたことを知った。
「どうしても行きたいか?」
その夜、食事が終わった食卓で真剣な目をしたシュールが言った。
「分かってくれ。俺は行く。そして必ず帰ってくる」
そのシュールの目をまっすぐに見返して、優顔のドゥールがふざけた顔で宣言した。
シュールがため息をついて首を振った。いくら止めても無駄だと悟ったのだろう。
「そうだな、さっきアラレルも参加するって話を聞いたしな。まあ今回は大丈夫だろ」
シュールは今日アラレルと会っていたのか、そう言ってドゥールの討伐隊への参加を承認した。
ルックはそんな二人が結論を出すのを待って、断られるだろう提案をしてみた。
「ねえシュール。その討伐隊、僕も参加したらダメかな?」
リーダーのシュールは、危険で勝算の見えない依頼を仲間が受けるのを極端に嫌っていた。ルックはシュールに断られる前に、自分の考えを説明する。
「僕は前線には立たないよ。でも万が一ドゥールが危なくなったときに、後ろから隆地で守ることができると思うんだ」
シュールは頭ごなしに否定はせず、じっくりルックの提案を検討してくれた。
ジェイヴァーの話はシュールにも伝わっていたので、それも考慮に入れてくれたのだろう。熟考した後シュールはうなずいた。
「分かった。ただしドーモンも一緒に行ってくれないか? ドゥールやアラレルだけだと熊に夢中になって、ルックのことを忘れかねないからな」
冗談めかしてシュールが言うと、ドーモンが大きな拳で自分の胸をドンと叩いた。
「おう、俺、任せろ」
今日はシャルグは仕事に出ていて家にいない。シャルグの帰りは三日後になる予定だった。
ルックたちが討伐に向かう間、誰かがライトとルーンを見る必要がある。そのためシュールは討伐隊には参加できなかった。
「ルック、くれぐれも危ないことはするなよ。最悪の場合は逃げてもいい。ドゥールも一対一だなんて言い出すな。他のアレーと協力して討伐してくれ」
シュールの言葉にルックは真剣にうなずき、ドゥールはにやりと顔半分だけで笑った。
どう見ても真剣ではないドゥールに、シュールはまたため息をついた。
「ドーモン、もしドゥールが暴走しそうだったら、その棍棒で殴ってでも引き止めてくれ。ルーンに治水を張ってもらえば多少のけがでは死なないだろう」
シュールの言葉にはドゥールは少し驚いた顔をして、それから大笑いをした。
「治水にそんな使い道があったとはな! これは悪ふざけもできなくなるな」
ドーモンの棍棒は持ち手まで全て金属の金棒で、ルックの身長よりも大きい。しかも先端にはひと抱えほどの鉄球の重りがあり、とんでもない破壊力を持つ武器なのだ。
鉄の大魔法師ドゥールですら、容易に押しつぶしそうな武器だった。
次の日、奇形の熊退治の依頼にルックとドゥールとドーモンが参加登録をした。さらに昼過ぎにアラレルが参加を表明すると、それならばと五人のフォルが参加することになった。先に集まっていた四人を合わせ、アレー十三人の大討伐隊となった。
人数も戦力も充分と見られ、そのさらに次の日に出発することが決まった。
四の郭の郭門に集結したアレーたちは、ほとんどが二十代のアレーだった。一団はアラレルが指揮をすることになり、まずはアラレルが全員の前で話を始めた。
「今回の目的は五本足の熊を討ち取ることだ。僕がいるとは言ってもとても危険な相手だよ。全員無傷で帰って来られるのが理想だけど、すでに最初の討伐隊四人と次の討伐隊七人が犠牲になってるんだ。絶対にみんな気を抜かないで」
勇者アラレルはゆっくりとした口調でそう言った。
腕利きのアレーが参加するトーナメントで軽々優勝を決めた彼は、とてもそんな猛者には見えない。間延びした顔はよく言えば温和そうだが、彼の功績を加味せずに見れば間抜けた顔に見える。
背も少し低めで、宣言した内容はあまりにも当たり前すぎた。
そしてルックにはアラレルのその当たり前の宣言は、とても不用意なものに思えた。
先に参加表明をしていた四人のアレーは、全て帰らぬ人となった以前の討伐隊の関係者だったのだ。
彼らはアラレルの宣言に、士気を上げるでも気を引き締めるでもなく、ただ暗い顔をしていた。
一団が歩き始めると、すぐにジェイヴァーが声をかけてきた。
「ルック、久しぶりだな」
ルックがこの討伐隊に参加したのは、ドゥールの補佐のためだけではなく、ほとんどはジェイヴァーを心配してのことだった。
しかしジェイヴァーは思っていたよりいつも通りだった。
「ジェイヴァー、久しぶり。オードスのこと聞いたよ」
ルックの言葉に、ジェイヴァーは笑みを見せた。
「ああ、まさか本当に帰って来なくなるとは、とんだ礼儀知らずだよな」
ルックはいつもオードスが家を出るとき、ジェイヴァーが「帰ってくんな」と言っていたことを思い出した。笑っていいのか分からず、ルックはジェイヴァーの冗談に曖昧に頷いた。
「ジェワー、オースのこと、残念だ」
ルックの上で舌っ足らずな巨漢の野太い声が言った。ドーモンはジェイヴァーのこともオードスのことも上手く言えず、それにジェイヴァーが大声で笑った。ジェワーはまだしも、オースでは完全に男の名前だ。「あいつにはそっちのがお似合いだな」とジェイヴァーが言うと、笑われた巨漢はにやりと笑い返した。
思ってたより大丈夫みたいだ。
ルックは笑うジェイヴァーを見て安堵した。
道中ドゥールはずっとアラレルと話していた。気が合うジェイヴァーには一度だけ声をかけに来て、短く言葉をかわし合っただけだった。
「仇討ちか?」
「ああ」
「はっ、柄とは思えんな」
隣でそのやり取りを見たルックは、二人が言葉以上に多くを語っていたように思えた。
一団のアレーはドーモンに強い興味を持ったようだった。アラレル以外では、ドーモンの重量級の武器が大型の奇形に一番役立ちそうに見えたのだろう。
トーナメントで好成績ではなかったドーモンは有名ではない。しかし全員が一度は声をかけにきた。けれどルックはずっとドーモンの隣にいたのに、彼らは誰もルックには声をかけて来なかった。
それは彼らが自分に興味がないわけではないとルックは気付いた。
全員があえてルックのことを見ないようにして、浮かない表情を見せたのだ。
ルックはそんなアレーたちの反応に既視感を覚えた。
討伐隊の中で居心地が悪かったルックに、ジェイヴァーは気さくに声をかけてくれた。
想像力が豊かな彼は、ルックのいたたまれない気持ちに気付いてくれていたのだろう。
ヒルティスの小山は首都アーティーズから半日も歩かずに着く。体力のある若い彼らには八時間程度の道程だ。しかしその八時間、大人たちから無視をされているのはなかなか堪えた。
ジェイヴァーのことを心配してきたはずなのに、ルックは明るいジェイヴァーに逆に慰められていた。
「まあな、あいつらの気持ちも分からんでもないな」
そしてジェイヴァーは、ルックが大人たちに避けられている理由を教えてくれた。
「ルックは史上三番目の若さでフォルになったろ? アラレルやお前んとこのリーダーだってフォルになったのは十三のときだ。これはみんなすげえと思ってんだよ。
だけどな、ルックの前に九つでフォルになったアレーが二人いたんだが、フォルになってすぐ死んじまったらしいんだ。ま、俺もオードスだかオースだかってやつに聞いた話だから詳しかないが」
冗談混じりに言ったジェイヴァーの言葉に、ルックは声を出して笑いながらなるほどと思った。
ルックは大人たちの態度に既視感を感じた。それはフォルの資格を得たときの監督官たちの反応と同じものだったのだ。
もし激しい戦闘になれば、真っ先に弱いものが死んでいく。危険な依頼を請け負うフォルにとって死は日常茶飯事だったが、それでも誰かが死ねば快くはない。だから明らかに一番弱そうなルックに、みな感情移入をしないようにしていたのだろう。
ヒルティスの小山の麓に着くと、アラレルが何かをドゥールと相談した後、今日はこの場所で野営をすると言った。
一団の指揮者はアラレルだったが、主導権はドゥールにあるように見えた。
「夜は交代で見張り番をする。二人ずつで組んで、二組が野営地の北と南で夜番をしてほしい」
アラレルは時折ドゥールの顔をうかがいながら、夜番のローテーションを指示した。
夜番でルックはジェイヴァーと組になった。そこでジェイヴァーがぽつりぽつりとオードスのことを語り始めた。
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