シュールが言ったドゥールとドーモンの試験の話には、今の自分には考えられない事実が隠されていた。

 ドゥールはこの広いオヌカの森で、他の受験者全員の帽子を奪ったのだ。それはつまり、他の受験者全員と遭遇したということだ。


 ドゥールならこれからフォルになろうとしている若いアレーに負けるはずはない。しかし問題は、ドゥールがたった三日間で他の全員と戦えたということだ。ドゥールは他の全員がどこに隠れているのかを探し出すことができたのだ。

 ルックはこのとき、まだ誰からも教わっていなかった追跡術というものの存在に自ら気付いた。


 例えば森の下生えをかき分けて進めば跡が残る。木の実を摘めば不自然に実のない木が残る。ルックはしなかったが、火を焚けば灰が残り、動物を狩れば血が残る。


 そうした痕跡をたどる術が存在するのだ。


 そのことを知っていれば慎重に痕跡を消しながら進むこともできたかもしれないが、ルックはここに来るまで自分が出す音以外には警戒していなかった。

 ドゥールは若いアレーたちが残した痕跡を一つ一つ見つけ出し、三日で森の全てを丸裸にしたのだ。


 ルックは知らないことだったが、ドゥールのこの能力は他の大人たちも持たないずば抜けた技能だった。ドゥールが試験を受けたときの受験者には、当然痕跡を消しながら行動していた者もいた。しかしドゥールはそうした者たちが残したわずかな痕跡すらも見逃さずに狩りだしたのだ。

 今回の試験にはもちろんドゥールほどの技能を持つ人物はいない。しかし痕跡のことなど全く考えていなかったルックをたどることは、それほどの技能がない者にも可能だった。


 残り時間はもう一時間を切っているだろうが、ルックはこの場所を移動することを考えた。すでに終了間際にルックを強襲しようと、近くに身を潜めている者がいるかもしれない。

 ルックは高鳴り始めた胸に手を当てた。

 自分の幸運を信じてこの場所で待つこともできる。しかし逃げ場のない木の上で襲われたらひとたまりもない。

 ルックは意を決して幹にくくったロープを外し、剣にマナを溜めてから木を降り始めた。そして木の中央くらいから飛び降りて、一気に駆け出した。


「おい! 動いたぞ!」


 ルックの不安は的中していた。ルックが走り始めるとすぐ、近くの茂みから男女二人組のアレーが飛び出して来た。

 走り抜けようとするルックを当然二人組は追いかけて来る。二人ともすでに帽子を失っているようで、頭には何もかぶっていない。

 ルックが複数の帽子を持っていると見当を付けて機会をうかがっていたのだろう。

 ルックは宝石のマナ三つ分を使い追いかけてくる二人組に向かって石投の魔法を放った。


「うわっ」

「冗談でしょ!」


 石投は戦い慣れたアレーなら容易く避けられるほどの速度しかないが、数十の放射状に拡散し飛んで行く石投に、男女二人組は足を止めざるえなかった。

 そして二人組のアレーはその石投を見て、ルックを追うのを諦めてくれたようだった。


 大剣の効果を知らない人たちが見たら、走りながら振り向きざまに大量の石投を放ったルックは、とんでもない速さでマナを集め、大規模な魔法を行使できる大魔法師に見えるのだ。

 そんな相手ならフォルの資格もまだない彼らが対抗できるはずがなく、残り少ない時間で他の標的を探すことに賭けた方が賢明なのだ。


 しかしルックの難はここで終わりではなかった。

 ルックは確実に自分より速い速度で近付く、下生えをガサガサかき分ける音に気が付いていた。

 ルックは走りながら消費した宝石のマナを溜め直す。

 ルックを追跡する音は二人組のアレーに邪魔されるのを嫌ったためか、しばらく併走していた。

 そして宝石二つにマナを溜めなおした頃、茂みの中から鋭い剣の一撃が飛び出してきた。

 ルックは鞘を払い襲撃者の一撃目を受け止めた。


 襲撃者はくすんだ黄色の髪をした、泉で五人のアレーを圧倒していた男だった。ルックが戦わず逃げに徹するべきだと決めていた相手だったが、何があったのか、男も帽子を失っていた。

 男の剣は一般的な両手剣で、技量は昨日戦った棒術使いの女性よりは劣っているように思えた。

 しかしその両手剣は昨日の女性よりも明らかに速く、力強かった。最初の一撃から数合剣を合わせたが、男は確実にルックより強い。

 男はさらに、先ほどルックが放った石投を見ていたはずだ。ルックの魔法にも警戒しているようで、なかなか虚を突けそうな気配がない。

 このまま打ち合っても負けは確実だと分かった。もし大けがをさせられないというルールがなければ、すでにルックは倒れていたかもしれない。


 ルックは勝負に出た。

 一度後ろに跳び、大剣の切っ先を突きつけて突進を仕掛ける。

 この技量差では確実にかわされる攻撃だが、大剣の刺突はおとりで、ルックは切っ先から放砂の魔法を放った。昨日と同じように目潰しを狙ったのだ。

 しかし男は即座に対応してきた。まぶたを閉じ砂から目を守りながら、剣を上段に振り上げ気合いのこもった一撃を振り下ろしたのだ。

 目を閉じての攻撃に当たるようなことはなかったが、恐れを感じるほどの破壊力を見せる一撃に、ルックはひるんでたたらを踏んだ。

 昨日のように一気に逃げ出すことができず、目を開けた男と再び切り結ぶことになってしまった。


 魔法は普通自分の体から放つものだ。ルックの魔法剣はその常識を破り、切っ先からの魔法を可能にする。それは相手の虚を突くルックの切り札だったのだが、一度見られてしまえばもう通用はしない。

 しかしルックはまだ諦めていなかった。

 男は強かったが、チームの大人たちと比べれば確実に何段も劣る。

 それにルックは、毎日のように自分より確実に剣術に優れたアレーの剣を受けていたのだ。


 負けない。僕は強くなるんだ。


 もともとはただの格好付けでしかない理由だった。しかしルックが強くなってライトの尊敬を得ることは、まだ手放すわけにはいかない家族の中での自分の立ち位置だった。

 自分はアラレルやシャルグのような体術を身につけることはできないのだろう。しかしそうと知った日からも努力を重ねた。

 技量で劣っていても、体術で劣っていても、それでも強くなる道は必ずある。そう信じて修練を積んで来たのだ。

 自分の武器は剣技や体術ではない。魔法も少し優秀くらいのものだ。しかし自分にも格上の相手と戦える武器はある。


「やぁっ!」


 ルックは気合いの声を上げ男の剣を弾き飛ばし、攻撃を仕掛けた。体術に劣るルックの大剣は軽く、丁寧に受けに徹する男に流される。

 しかしルックはそこでシュールに教えられている型を破り、大剣を片手に持ち替えた。

 空いた左手を男に突き出し、至近距離でこぶし大の石投を放った。

 男は身をひねりその石投も避けたが、破れかぶれでルックは宝石のマナ全てを消費して、地面に手をつき隆地の魔法を繰り出した。

 男の立つ地面から大地が立ち昇る。バランスを崩す男に向かって、地についた左手を軸にルックは蹴りを入れる。

 剣を持つ相手に蹴りは危険な攻撃だったが、バランスを崩していた男はルックの蹴りを剣で受けることはできず、地面に転がって回避した。


 ルックは地面に転がる男を見ると、その隙を突いて即座に逃げに転じた。

 気迫の籠もった連撃からの突然の逃げは、男の予想を外すことができたようだった。


「ちっ」


 男は慌てた様子で舌打ちし、ルックを追跡してくる。

 走る速さは男の方が確実に速い。逃げ切れるはずはなかった。すぐに男はルックに数歩の距離まで迫って剣を振り上げた。

 しかしルックはそこで唐突に振り返り、男に向かって手をかざす。

 大剣のマナは使い切っていて魔法は放てないが、警戒した男が一瞬足を止めた。そしてその間にルックはまた男との距離を開いた。


 そうしたやり取りを何度か繰り返し、そろそろルックがもう魔法を放てないことに男が気付いただろう頃、ルックは目的の場所にたどり着いた。

 ルックの目的は時間切れまでの逃げきりではなく、この場所に男を誘い出すことだったのだ。


 そこは昨日戦った女性アレーが罠を張り巡らせた拠点だった。鳴子の罠や盛り土に被せられた布は回収されていたが、女性アレーの隠れていた木の下にはまだ落とし穴や草を結んだ罠が隠れているだろう。ルックはそこを飛び越えて男を振り返り左手をかざした。

 男はついにルックの魔法への警戒をやめ、勢いを殺さず剣を上段に構えこちらに迫ってきた。

 ドンと大きな音を立てて男が派手に転んだ。下生えの中の罠に完全に足を取られたのだ。全力で転んだのだ。気を失ってもおかしくないほどの衝撃だったはずだ。


 それはルックの完全な勝利だった。

 そしてルックが勝利を確信した瞬間に、森中に角笛の音が響き渡った。試験終了の合図だ。


「ふざけるな! こんな!」


 男は気を失ってはいなかったようで、よろよろと立ち上がってルックを睨み付けて来た。格下に思っていたルックに負けたせいか、かなり憤っているようだった。


 試験終了で気を抜いたルックは男の次の動きに全く対応ができなかった。

 男は倒れていた間にマナを溜めていたのだろう。突然ルックに手をかざして氷の刃を放って来たのだ。

 刃はルックの首筋をめがけて飛来して、無慈悲にルックの命を奪おうとした。

 ルックは瞬時に絶命の危機を悟りながらも、回避を間に合わせることができなかった。


 だがそこでルックの周囲を囲い込むように、轟音を立てて火柱が巻き上がった。

 男の放った氷の刃はその火柱に溶かされ、じゅうと音を立てて蒸発して消えた。

 少しして火柱が消えると、男とルックの間に灰色の髪をした青年が立っていて、男の首筋に剣を突き出していた。


「試験は終わった。これ以上やるなら俺は容赦せずお前を殺すぞ」


 憤っていた男が可愛く思えるほどの怒気を放って、その青年、シュールが淡々と告げた。

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