次の日の目覚めは最悪だった。深く眠っていたようで、昨日よりさらに体が硬くなっていたのだ。

 しばらく柔軟をしながら体をほぐしたルックは、初日から考えていたことに一つの推測を立てた。


 あの人がずっとあそこを動かないのは、第二試験を通過できなくてもいいと思ってるんじゃないかな。


 その推測にはかなり確信が持てるような気がした。フォルの試験はふた月に一度開催されている。今回誰も罠にかからなかったとしても、何度も参加していればいずれは罠が発動するだろう。

 ルックは今回の試験でなんとか通過したいと思っていたが、客観的に考えればルックのような考えの方がまれに思える。ジェイヴァーたちのように金銭的に切羽詰まっているようなら別だ。しかし普通の受験者は、その内フォルになれればいいというくらいの心構えなのではないだろうか。

 そう考えると、女性アレーに対して警戒しすぎるのも良くないことだと思えた。


 本当のところがどうなのかは分からないが、ルックは自身の迷いをなくすため、女性アレーの思惑にそう目星を付けておくことにした。

 そしてそれを元に作戦を組み立てた。


 一の刻を半刻ほど過ぎた頃、体も充分にほぐれたルックは行動を開始した。

 まずは大剣の宝石五つにマナを溜める。

 マナを溜めきると、ルックは慎重に女性アレーの張った罠まで近付き、あえて鳴子を鳴らした。そしてその音に慌てたように大剣の宝石一つ分のマナで石投の魔法を放った。


 石投の魔法はこぶし大の石つぶてを飛ばす魔法で、標的は布を被された盛り土の少し左だ。

 ルックの放った石投はわずかに盛り土を外した。それを見たルックは鞘を付けた大剣を掲げて盛り土に迫った。

 しかしルックは何かに足を取られたふりをして盛り土の手前で膝を崩した。その場所でそのまま手を地についた。


 狙い通りだった。

 このタイミングで木の上から女性アレーが飛びかかってきたのだ。

 ルックはすかさず宝石のマナ四つを使い魔法を放つ。


「隆地!」


 イメージを強くするためと女性に大けがをさせない警告のため、あえて使用する魔法を声に出した。

 飛びかかってきた女性アレーの前に大地の壁が立ちはだかった。宝石四つ分のマナを使った隆地は、ルックの身長の三倍ほどの高さがあった。隆地が立ち上がりきる直前に慌てて女性アレーが受け身を取ろうとするのが見えて、ルックは立ち上がったばかりの隆地を回り込んだ。


 そして隆地に衝突して隙のできた女性アレーから、見事に帽子を剥ぎ取った。


「よし」


 思わずルックはそう声を上げ、素早く女性アレーから離れるため駆け出す。

 ここまでは完全にルックの想定通りの展開だった。

 しかし次の瞬間に、ルックは一気に肝を冷やした。

 逃走を開始したルックに向けて、女性アレーが必死の形相で右手をかざしたのだ。すると女性アレーの右手から、光の縄が放たれた。

 ルックはとっさに回避を試みたが、間に合わずに左足を縄に取られた。光の魔法、輝縄だ。


 例外者!

 ルックは内心でそう悲鳴を上げた。ごくまれにだが、髪の色が宿したマナと違う色に変色するアレーがいるのだ。それは例外者と呼ばれていて、金色の髪で魔法は使えないと思っていたルックは完全に虚を突かれた。


 光の縄はすぐに消えて足は自由になった。しかし一気に駆け抜けて逃げ出そうと思っていたのに、女性アレーの接近を許してしまった。

 罠は張り巡らされた目に見える罠だけではなかった。女性アレー自身もまた罠だったのだ。

 女性アレーは棒術を使う戦士だった。ルックは大剣で彼女の棒に応戦した。しかし棒術は手数の多さが特徴で、自在に持ち方を変えた様々な打撃にすぐにルックは追い込まれる形となった。

 不幸中の幸いで女性アレーは圧倒的に速度が遅かった。技は巧みだったが、体の小さいルックよりも一段速度が劣る。

 例外者なのには驚かされたが、茶色混じりの髪がマナに恵まれていない事実は揺るがなかった。


 反撃することはできなかったが、しばらくするとルックは落ち着きを取り戻し、女性アレーの攻撃をしのぎ続けることができた。

 そして大剣へと再びマナを集め、激しい応酬の中で突然放砂の魔法を放つ。

 本来有り得ないはずの駆けながらの魔法に、完全に女性アレーは無警戒だった。ルックの大剣の先から放たれた砂に目をふさがれ、女性アレーはルックから大きく飛び離れていった。

 実戦では視界を奪われたら敵から距離を取るのは的確な判断だ。女性アレーは実戦慣れしていてとっさに行動したのだろう。


 しかしこの試験のルールにおいてそれは悪手だった。


 相手が離れた瞬間、ルックは追撃をかけずに背を見せて全力で走った。追撃を仕掛けてもどうせ相手にけがを負わせるわけにはいかない。この試験では相手に打ち勝つ必要はないのだ。

 ルックの瞬時の判断は功を奏する。

 一度離れてしまえば、森の中での追跡は容易ではない。

 しばらく後ろを警戒していたが、女性アレーがルックに追い付いてくる気配はなかった。

 そしてルックは女性アレーがもう諦めたと判断し、速度を緩めてなるべく音がしないようにさらにその場所を移動した。

 戦闘音を聞きつけた別のアレーに発見されることを恐れたのだ。


 充分にその場を離れたルックは、目に付いた大きい木に登って身を潜めた。葉が茂っていてもまだ明るい時間では完全に隠れきれているとは思えないが、下生えの中で伏せているよりは見つかりづらいはずだ。


 ルックはほっとため息を吐き出した。

 落ち着いてみると、胸が高く跳ねているのが分かった。大した疲れはないはずなのに、息が苦しくなるほど心臓が痛かった。手は力が入らず小刻みに震え、全身に汗をかいていた。

 リュックから吸い口の付いた革袋を取り出し、中に入っている水を一口含んだが、胸の高鳴りに邪魔をされてなかなか喉を通せない。

 結局ルックは水を木の下に吐き出した。そのとき力の抜けた手から革袋が滑り落ちそうになり、慌ててマナを使った体術で体をコントロールした。

 たったそれだけの動作にわざわざマナを使ったことが滑稽に思えて、ルックは少し笑みを漏らした。


 それでようやくひと心地付いた。




 結局その日はそのまま木の上で過ごし、夜を迎えた。食料は昨日拾い集めた分で足らした。時間はたくさんあったので、ルックは今日のことを振り返って様々な反省点を検討した。


 帰ったらシュールたちにもっと色々習わないとな。


 今日は結果的には上手くいったと思うが、反省点はあまりにも多かった。きっとチームの大人たちならもっと上手くやっていたのだろうと思った。


 考えているうちに気付いたらルックは眠っていて、次の日ルックは野鳥の声で目を覚ました。

 正確な時間は分からなかったが、たぶん二の刻くらいだろう。試験開始は三日前の六の刻だったので、あと四時間で試験は終わりだ。終了は監督官たちが角笛を鳴らして知らせる予定だった。

 ルックは今日の予定を考えながら体を伸ばす。


 今日は無理に動く必要はない。このまま終了時刻まで身を潜められれば第二試験は通過だ。よく眠れたので、第三試験へも万全で挑める。

 下手に動けば遭遇戦が発生し、仮に勝てても疲弊した状態で第三試験をすることになるかもしれない。


 この場所を動かないのが最善に思えた。しかしまだ帽子を集めきれていないアレーは、残り少ない時間で必死に捜索をしているだろう。ある程度近くから観察する人がいれば、ルックが木の上にいることに気付くかもしれない。

 木の上に逃げ場はないし、火の魔法師にこの木自体を燃やされでもしたら一大事だ。大けがをさせたら失格だが、帽子を集められないならどの道だと割り切って攻撃される危険も考えられる。

 ルックはじっくり状況を整理して結論を出す。

 結局あとは自分の運を信じるしかない。周囲を警戒しながら、終了時刻までこの場所を動かないことにした。


 そしてそのまま時間が経過し、三時間ほどたった。ルックは試験開始前にシュールをからかったことを思い出していた。オードスには「シュールからフォルになれる実力があると言われてここに来た」と言ったが、それは嘘だ。試験開始前のあの口ぶりから、シュールはただこの試験がルックの経験になればいいと考えていたように思う。


 もし僕がフォルの資格を取れたら、シュール驚くだろうな。


 ルックはルーンと二人でシュールをからかう未来を想像し、頬をにやけさせた。

 しかしふとそこでルックは何かに気付いて不安を感じた。ルック自身、何に気付いて不安を覚えたのか分からないような直感的な不安だった。


 なんだろう。


 ただの気のせいかもしれないが、他にやることもないのでルックは慎重に頭の中を整理し始めた。

 不安を覚えたのは試験開始前にしていたシュールたちとの会話の中の何かにだ。

 第二試験についての話は一つしかしていない。ドゥールとドーモンが試験を通過したときの話だ。

 ルックは思考する。


(あのときは不安に感じなかった。忘れてるわけじゃなくてこれは間違いないはず。シュールが忠告してたとかじゃないよね。それで僕が気付いてないんだったら、気付くまで教えてくれただろうし。

 そもそもどうしてあのときに不安を感じなかったんだろ。今不安を感じたってことは、今とあのときで何かが違うってことだ。今との違いは、一人だってことかな? それと戦闘の経験もだ。それにそうだ、あのときはまだ第二試験のことを想像でしか知らなかった)


 考えるのが得意だったルックの思考能力は、幼いときよりもさらに向上していた。思考は当然のように誰もがすることだが、深く思考するということには多大な集中力が必要だ。日々剣や魔法の修練を重ね、本を読み、その内容を噛み砕いてライトとルーンに語るうち、知らず知らずルックの思考能力は十歳とは思えないほどに完成されていた。

 そしてついに、ルックは不安の正体をつきとめた。

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