二日目、ルックは泉の方に行ってみることにした。仮に女性アレーから首尾良く帽子を奪えても、それから試験終了まで他の受験者に帽子を奪われないようにしないとならないのだ。女性アレーが帽子を取り返しに来る可能性も高い。森全体とは言わなくても、主要なポイントの状況は把握しておきたいと思った。

 泉の周辺は、予想通り七人組のアレーが陣を取っていた。今は五人しかいないが、他の二人は帽子を狩りに行っているのだろう。

 五人は隠れるつもりがないので、堂々と焚き火をおこしていた。

 もちろんルックは単身で大人のアレーの集団に挑むつもりはない。状況だけ見てすぐにその場所を離れようとした。


 しかしそのとき、ルックの後方から下生えをガサガサと揺らす音が聞こえた。


 しまったとルックは思った。後方を警戒はしていたが、この場所で後ろを取られるのは明らかにまずかった。

 前方は五人のアレーがいる泉だったし、後方は唯一の退路だったのだ。この場所でもし戦闘になれば泉にいる五人に気付かれて挟み撃ちになりかねない。木の上に逃げても木と木の間隔が広いこの森では隣の木に飛び移ることも難しい。八方塞がりの状況だった。


「お、ルックか?」


 しかしルックの運はまだ尽きていなかった。茂みをかき分けて出てきたアレーは、第一試験の道中で一緒だったジェイヴァーだったのだ。彼はまだちゃんと帽子をかぶっているので、ここでルックと争う理由はないはずだった。


「え、あの子がいるのか?」


 ジェイヴァーのすぐ後ろからはオードスの声が聞こえた。彼女も帽子をかぶっているので、ひとまず戦闘の危機からは逃れられたようだ。


「ジェイヴァー、オードス、どうしてここにいるの?」


 しかし三日間隠れているだけでいいはずの二人がここにいるのは意外だった。ルックは少しだけ警戒心を残してそう尋ねる。


「どうもこうも、このぼんくらの間抜けが持ってきた水の半分をこぼしちまったんだ。だからどうしても水が必要になったってわけ」


 刺々しい口調でなじるようにオードスが説明をくれた。


「この先の泉は集団で参加している人たちに抑えられちゃってるよ」

「うん、そうみたいだね。さて、どうしたもんか」


 ルックは第一試験に続いてジェイヴァーたちと協力することも考えてみたが、お互いにメリットがなかった。ここはただすれ違うだけが懸命に思える。


「なあルック、君も水は持ってるんじゃないか?」


 しかしルックが背負うリュックに目を合わせつつ、不穏な雰囲気でオードスが言った。


「おい、さすがにそれはないだろ」


 ジェイヴァーはたしなめようとそう言ったが、オードスが険悪な顔で睨みつけると何も言えなくなった。もともとの原因はジェイヴァーが水をこぼしたせいなのだ。あまり強くは出られないのだろう。


「こっちだって生活がかかってるんだ。ルック、少しばかり水を恵んじゃくれないか?」


 拒否すれば戦闘も辞さないという声音でオードスはルックに詰め寄った。

 ルックも持ってきた水はぎりぎり三日分しかない。第三試験の前に消耗もしたくないので、水を譲りたくはなかった。


「ここで戦闘になったら、泉にいるアレーに襲われるかもしれないよ?」


 ルックは説得をしようと試みたが、オードスも譲る気はないようだ。


「そうかもね。だけどこのままじゃどの道私はこの試験を乗り越えられずにリタイアだ。悪くない賭けだよ」


 ルックは必死で思考してこの状況を乗り切る方策を練り始めた。


「一応僕はシュールからフォルになれる実力があると言われてここに来たんだ。簡単には行かないよ」

「ああ、それもそうかもね。だけど私だって充分フォルになれる実力はあると思っているよ。それにこっちは弱いとはいえ一応もう一人いるんだ。二対一なら充分勝機はあるんじゃないか?」

「おい、俺を数に入れるなよ」


 ジェイヴァーの抗議は無視されて、オードスはじりじりとこちらへ距離を詰めてくる。

 ルックは一歩下がって持っていた大剣の柄に手を置いた。そして鞘に納めたままで柄の宝石にマナを溜め始める。

 ルックは集中力を高めてマナを溜めながらもオードスとジェイヴァーの動きに警戒した。オードスも真剣な目でルックの動きに集中している。

 しかし二人の集中は無視できないジェイヴァーの発言に遮られた。


「おい、泉の方、なんか変だぞ」


 お互いに集中していたルックとオードスは気付くのが遅れたが、泉の方で戦闘が開始されていたのだ。

 泉に陣取っていた五人に、余所から来たアレーの一人が単独で襲いかかっている。

 三十歳の今回最年長のアレーで、くすんだ黄色の髪を持つ男だ。黄色の髪は水のマナの使い手だ。泉のほとりに陣取った五人に対し、泉の中から襲撃をかけたようだ。


 ルックたちは距離があったため戦闘に巻き込まれる心配はなかったが、そのアレーはかなり大掛かりな攻撃を仕掛けていた。

 ルックが見たのは、男が五人組のアレーに向かって泉を投げ飛ばすかのように水をばら撒いているところからだった。

 魔法で水を生み出したのではなく、泉の水にマナを流し込み操っている。

 泉の水は男の魔法で硬質化し、ある程度五人のアレーに打撃を与えられるようだった。

 ばしゃばしゃと泉の水を投げつける男に、五人組はなす術もなく身を伏せて守りに徹している。

 そして男はふいに水を投げるのをやめて、五人組に向かって駆け出した。シャルグとアラレルの立ち合いを見たルックにはそれほどの速さには思えなかったが、隣でオードスが「速い」とつぶやいたので、なかなかの実力者なのだろう。

 男は五人組の内二人から帽子を剥ぎ取り、嵐のようなけたたましさでそのまま森の中へと駆け込んだ。

 五人組は一瞬呆けたあとにすぐ目配せをしあい、帽子を取られた二人が男を追って木々の向こうに消えていった。


 泉での戦闘は余所から来たアレーの一方的な勝利に終わった。シュールが言った通り、若いアレーたちと流れてきた戦士とには大きな実力差があるようだった。

 もちろんアラレルやシャルグほどではないと思っても、男は今のルックが勝てる見込みのあるアレーではない。もし残りの期間で鉢合わせることがあったら、即座に逃げようと決めた。


「なあ、今なら泉から水を汲んで来られるんじゃないか?」


 戦闘が終わると、ジェイヴァーがオードスにそう提案した。


「馬鹿言ってんなよ。まだ三人もアレーが残ってるんだ。無理に決まってんだろ、このグズ」


 オードスはジェイヴァーに対しては悪態をつかずには話せないようで、ジェイヴァーの提案を手ひどく却下した。

 しかしルックは今の戦闘の間に、彼らとの戦闘を避ける方策がいくつかできあがっていた。

 おそらく今なら泉を突っ切るように飛び出して向こう側へ逃げ出したとしても、残り三人となった若いアレーたちは仕掛けて来ない。罠を警戒して静観するだろうと思われた。

 ただその危険を冒す前に、ルックはもう一つ思い付いていた方法を試してみることにした。


「ねえ、ジェイヴァーは帽子をオードスに譲って、第二試験は通過しないつもりなんだよね?」


 ルックの問いに夫婦は驚いたように顔を見合わせた。


「なんだ、気付いてたのか」


 ジェイヴァーはまだルックと話す気があるようで、ルックの言葉に肯定した。


「それならさ、ジェイヴァーが水と帽子をオードスに渡して今からリタイアしちゃえばいいんじゃない? リタイアしたら野営地で水も食べ物も用意してくれるでしょ?」


 ジェイヴァーははっとした顔でオードスを見た。しかしオードスはうなずかず、反論してきた。


「検討の余地はあるけど、二人分の水があれば第二試験はこっちの戦力をわざわざ失わずに済むんだ」


 しかしルックは少しの間冷静に考えて、オードスの意見を否定した。


「だけど僕と戦えば、泉のアレーたちに気付かれる危険があるし、今二つ帽子を失ったあの人たちは必死で僕たちの帽子を奪おうとしてくるよ。そうなったらオードスは第二試験脱落だ。僕の言った案なら、少し不利になってもあと二日隠れ切れればオードスは確実に第二試験を通過できる。絶対こっちの方が良くないかな?」

「あぁ、間違いないな。あのアレーたちに気付かれなくても、俺とお前がルックに返り討ちされるかもしれないしな。無事勝てたとしても、むしろ俺がいたら体がでかすぎて隠れるにも邪魔なんじゃねえか?」


 ジェイヴァーが楽しげに笑ってルックの味方をした。

 オードスは忌々しげに舌打ちをしてジェイヴァーの頭に拳骨を落とした。


「痛ってぇな!」


 さすがにマナを使って殴ったわけではないだろうが、力いっぱい叩いたように見えた。


「あんたはとっとと森から出て野営地でぐうたらしたいだけだろうが!」


 ルックは二人のやりとりが泉に残ったアレーたちに聞こえてしまうのではないかと心配になったが、幸いそうはならずに済んだ。


「まあ分かったよ。ルック、私たちは君の提案を飲むことにする。さっきも言ったが、私たちも生活がかかってるんでね、恨みには思わないでくれよ」


 オードスはさっぱりと割り切ったようにそう言うと、ジェイヴァーを連れて彼らの拠点があるのだろう方へ去っていった。

 ルックはそれでひと安心したが、すぐにこの場所が袋小路なのだと思い出して移動を開始した。


 今回は運良くジェイヴァーたちだったが、動き回るということは遭遇戦を覚悟しておかなければならない。単純な話だが、実際に現場に立ってみて初めてそれをルックは学んだ。情報はもっとほしかったが、余所から来たアレーが避けるべき相手だと分かっただけでも満足すべき収穫だろう。

 ルックは慎重に周囲の音に気を配りながら、森の北東へ向かった。

 どんな罠があるかは分からないが、あの金と茶混じりの髪の女性を襲撃するのが最も安全策だと結論を出したのだ。


 ルックは食糧となる森の恵みを集めながら進んだ。

 遭遇に気をつけながらゆっくり進んだため、目標の女性アレーがいる地点まで来たときには日が暗くなり始めていた。ルックは今日の内の戦闘を見送り、集めた食材を食べながら女性アレーの動きを観察することにした。


 今日も変わらず女性アレーに目立った動きはないようだった。暗くなりきる前に一度だけ木から降りてきて罠の調整をしていたため、いなくなったわけではない。おそらく最初からずっとこの場所を動いていないのだろう。

 ルックは明日の朝、空が明るくなり始めた一の刻に勝負をかけることに決め、今日は早めに寝ることにした。


 もし夜の内に女性アレーが襲撃されたら音で分かるくらいの距離を取り、ルックは太い木に登って昨日と同じ体勢を取った。

 早い時間でなかなか眠くならないかと思ったが、ルックは身を固定するとすぐに眠気に襲われた。考えてみればライトとの試合以外で誰かと臨戦態勢になったのは初めてだ。実際に戦闘にはならなかったが、思った以上に気疲れしていたのだろう。


 そこまで考えたところで、ルックはすとんと眠りに落ちた。

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