ルーンは昨日よりは落ち着いたが、まだ本調子ではなかった。

 ルックは漠然と強くなればルーンを守れると考えていたが、どれだけ強くなっても病魔から守ってあげることはできない。


 それなら強さっていうのは、結局は武力でしかないのかな。


 ルックは哲学的に強さの意味を考え始めた。


 ルーンの病状が落ち着いたので、今日はいつも通りライトと四の郭の空き地に来ていた。この日はシャルグが二人を見てくれることになっていて、ドーモンが家で看病をし、シュールとドゥールは仕事に出た。

 彼らのチームは結成から日が浅い。ルックがチームに迎え入れられるタイミングで結成されたチームらしい。だから貧しいわけではないが、それほど貯えがあるわけでもない。医者や薬師の出費もあったので、ルーンが心配ではあったが付きっきりになるわけにもいかなかった。


「今日は強いアレーとの戦いを見せる」


 ルックとライトとシャルグの三人が空き地に着くと、シャルグがすぐにそう言った。


 ルックたちが剣の稽古に使っている空き地は、住宅地の外れにある未開地だ。アーティーズを囲う城壁の内部ではあるが、まだ建物の建てられていない、未整備の土地だ。先の戦争で戦火に焼かれたアーティーズではこのような土地がかなりある。当然普段はルックたちしかここを利用しないが、今日は一人の若いアレーが先に空き地にいた。そしてシュールがいつも座る打ち捨てられた木材に腰をかけていた。


「シャルグ、来たね。そっちの二人がライトとルックかな? はじめましてだね」


 若いアレーは赤髪の男で、気さくに声をかけてきた。歳はシャルグと同じくらいで、太ってはいないが引き締まってもいない体だ。立ち上がってルックたちを出迎えてくれたが、背は長身のシャルグより頭一つ分ほど低い。平均的なアーティス人より少し低いくらいの身長だ。


「アラレルだ」


 シャルグは短く男の名前をルックたちに告げた。ライトは笑顔でよろしくお願いしますと言っていたが、ルックはその名前を聞いて驚いて男の顔をまじまじと見た。


 アラレルはどことなく柔和な顔つきで、シャルグはもちろん、シュールよりも厳しさや強さを感じさせない間延びした顔だった。

 しかしルックはアラレルの名前を知っていた。孤児院の子供たちでアラレルのことを知らなかった子供はまずいない。むしろライトが知らなそうなことが驚きだった。


「アラレルって、勇者アラレル?」


 勇者アラレル。それは先の戦争でアーティスを勝利に導いた、この国にとっての英雄の呼び名だ。同じ街に住んでいるのは知っていたが、まさか自分に会う機会があるとは思っていなかった。


「うん、その勇者アラレルだね。あはは」


 ゆったりとした話し方でアラレルがほがらかに笑った。


「シャルグ、僕たちのことは話してなかったの?」

「あぁ、子供たちに過ぎた実績は意味がない」

「うわぁ、その通りかもだけどさ、もう少し自慢してもいいと思うよ」


 アラレルが言うには、シュールとシャルグは元々アラレルとは幼なじみで、三人で先の戦争を勝利に導いたのだという。


「三人の中で僕だけがね、身分のある家の出身なんだ。だから僕だけが取り沙汰されてるけど、実際には二人も僕と同じくらい活躍したんだよ」


 アラレルの言葉は多少謙遜も混じっているようだが、実際にシュールとシャルグの活躍はほとんど語られず、全てがアラレルの功績として認知されている。これはアラレルの言った身分の他に、シャルグの出自に関する事情や、シュールとシャルグが目立つのを嫌がったという理由や、戦略的な意味などが複雑に絡み合ってそうなっている。

 シャルグの言う過ぎた実績というのは、先の戦争での自分たちの活躍のことだろう。


 ルックはアラレルの話を聞いて、自分がこのチームに迎えられた幸運を改めて知った。


「俺はお前たちほどではない」


 シャルグが嫌そうにそう言って、静かに剣を構えた。シャルグが持つ剣は黒刃の片手剣で、普通の片手剣よりも少し短く細身だ。

 どうやら最初に言っていた強いアレーとの戦いというのは、アラレルとシャルグの手合わせのことのようだ。


「そんな照れなくたっていいと思うけどな。ルールは?」


 幼なじみだけあってシャルグの突然の行動にも慣れているのか、アラレルも当然のように剣を抜いた。こちらは一般的な両手剣だ。アレーがよく使う両手剣は、ぎりぎり片手でも扱えるほどの大きさの剣だ。魔法が使えるアレーのためにいつでも片手を空けられるよう開発されたらしい。赤髪の勇者は魔法を使えない。しかし多くのアレーが学んだ剣技はこの長さの剣を想定して作られている。

 真剣で手合わせをしようというのに少しルックは驚いたが、二人には当たり前のことのようだった。


「俺は好きに打ち込む。お前は守りに徹しろ」


 シャルグは言うと、アラレルの返事も待たずに駆け出した。

 シャルグの動きはルックには信じられないほど速かった。今まで隣にいたはずなのに、まだ二十歩は向こうにいたアラレルにあっという間に肉薄している。

 そしてルックの目にはとても追いきれない速度で雨あられと黒刀が舞う。静かでしなやかな影のような動きだが、アラレルと剣を合わせるとガンガンと野太い剣戟が響く。

 アラレルもさすがは勇者と呼ばれているだけあって、その恐ろしい威力のシャルグの剣を一歩も引かずにさばき切っている。


「すごい、同じ動きが一度もないね」


 しばらくシャルグの剣技に見入っていると、隣でライトが同意を求めるようにそう言った。

 ルックは驚いてライトの顔を見た。ルックにはシャルグの剣が速いことしか分からないのに、ライトは金色の瞳を細かく揺らし、シャルグの剣を目で追いかけていた。

 ルックは自分とライトとの才能の差を感じた。


「やっ!」


 何度もシャルグの剣をさばいていたアラレルが、気合いの声を上げて剣を大きく振り払った。シャルグはアラレルの剣を黒刀で受け、その勢いに飛ばされるように後ろへ跳んだ。そしてそれと同時にシャルグの剣を持たない手から、鋭利な投擲が放たれた。手首を返すだけの小さな動きで、続けざまに三発の投擲が飛ぶ。

 それをアラレルは剣で弾いて難なくしのぐ。そして投擲を弾いて動きの止まった勇者へと、シャルグが再び肉薄する。一足飛びで距離が詰まる。それからすぐに剣の音が一つ鳴り、アラレルの右をシャルグが駆け抜けた。再び二人の距離が開く。


 シャルグは駆け抜けたアラレルへ振り返ると同時にさらに投擲を放つ。手で放った投擲は先ほどと同じ三つだったが、弾かれて落ちていた投擲を蹴りつけてアラレルに飛ばし、合計四つの投擲が勇者に迫る。

 その投擲を追うようにシャルグも駆け出す。

 勇者アラレルはほぼ同時に迫る高低差のある投擲は避けきれないと判断したのか、右足を地面に叩きつけるようにして左へ跳んだ。

 静かなシャルグの動きとは違い、荒々しくけたたましい動きだった。

 間一髪で投擲を避けられたシャルグは、アラレルの跳ぶ方へ方向を修正して走る。


 二人の戦士が三度目の肉薄をすると、今までで一番大きな音を響かせ、二人の剣がぶつかった。


 シャルグの首元への必殺の一撃を、こともなげに勇者が剣で受け止めたのだ。


 勝負はそこまでだった。


 シャルグは何も言わずに黒刀を鞘に納め、それを見たアラレルも剣を地面に突いて戦闘態勢を解除した。

 これはルックとライトに戦いを見せるための手合わせで、勝ち負けというものはない。しかしシャルグの剣は終始アラレルの脅威ではないように見えた。


「最初は少し鈍ったかと思ったけど、最後の投擲は良かったね。まさか蹴り上げてくるとは思わなかったよ」


 シャルグの健闘をたたえるようにアラレルがそんな感想を言った。シャルグはそれに「そうか」と素っ気ない相づちを打つと、ルックたちの元にゆっくり歩み寄ってきた。


「俺は他国には黒影と蔑称される名のある戦士だ。勇者アラレルは言うまでもない。今見せたのはアーティスでも最上位の手合わせだ」


 シャルグはルックたちにそう解説をした。


「剣技だけならそうかもね。けどライトはいずれ僕たちみたいに動けるようになると思うよ」


 ライトが今の手合わせを目で追っていたことにまで気付いていたのか、勇者アラレルはライトだけを名指しし、そう言った。




 アラレルの発言は不用意で、幼いルックの心は傷つけられた。

 自分はアラレルやシャルグのようには強くなれないのだ。今はまだライトに勝てていても、それもいずれ追い越されてしまう。今日はそのことが実感できた日だった。


 ルーンの病気は数日後に完治したが、ルックは「強くなる意味」について考えることをしなくなった。落ち込んでいてそれどころではなくなってしまったのだ。


 だがルックは自分がいつまでも落ち込んでいることを許さなかった。


 自分は幸せになるために生きているんだ。

 だから悩むんじゃなくて、別のことを考えよう。ライトが天才なら、それにも負けないくらいいっぱい考えて、いっぱい鍛練をすればいいんだ。


 ルックは自分自身に言い聞かせるようにそう気持ちを入れ替えた。

 そしてルックは本気で強くなるためにどうしたらいいかを考え始めた。そのため強さの意味については、しばらくは考える余裕がなくなったのだった。

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