②
まだルックの強くなりたいという思いは漠然としていたが、日々強くなって行くことは純粋に楽しかった。
ライトと遊ぶように鍛練を始めてから一年が過ぎようとしていたが、日に日にルックは自分が強くなっていることを実感していた。
ライトは体術も剣術も上達が早いと大人たちにほめられている。それなのにルックはいまだにほとんどライトには負けなかったためだ。
「そうしてザラックは残った仲間たちと運命の地下聖堂から抜け出した。仲間たちはそれぞれの国に帰り、最後にザラックはリージアと別れた」
「え! だめだよ! ザラックはリージアと結婚しなかったの?」
夜、寝物語をせがんだルーンのために、子供三人の部屋でシュールが夢の旅人・ザラックの話を聞かせてくれていた。ルーンは熱を出していて、ここ数日部屋でずっと寝ていたため夜でも元気だった。
物語の終わり、ルーンはがっかりしたとシュールに文句を言った。
「あぁ、ザラックはこのあと旅の最初のころに救った町娘と結婚をしたらしい。リージアは旅の終わり頃でもまだ十歳くらいだっただろうしな」
いつも読んでいる騎士の物語とは違い、夢の旅人という物語は実際に起こった出来事をもとにしている。シュールは物語では書かれていない史実も教えてくれた。
「十歳ならもう大人だもん! リージアは絶対ザラックのことが好きだったんだよ。そんなのかわいそうだよ」
七歳だったルックは、ルーンの言う十歳が大人というのには共感できた。しかし史実を語ったシュールにそんな不満を言っても仕方がないとも思った。シュールも困ったように微笑んで、何も言わずにルーンの頭に手を置いた。
ルーンはそれでもしばらくむくれていたが、次第に目を閉じ寝息を立て始めた。
それを見たシュールはルックとライトに「おやすみ」と声をかけて部屋から出て行った。
「ねールック、今の物語のザラックってさ、ルックみたいだね」
シュールがいなくなってから、眠そうな小声でライトがそう言ってきた。
「僕が? ザラックみたいに使命感とかは良く分からないよ?」
ルックはそう返したが、ライト
ルックたちのベッドは三つ横に並べられていて、ライトはルックの左のベッドにいる。二人はベッドの中で向き合うように横向きに寝転んでいた。
「よく分かんないけど、かっこよくて強いところがルックみたい」
ルックはライトのまっすぐな評価に照れて笑う。
「あはは、ライトだってすごい強いよ」
「ううん、ルックは色んな言葉を知ってるし、魔法も上手だし、全然泣かないし」
言いながら、ライトの金色の瞳がとろりと閉じられ始めた。
「それに、迷子にならないし、えっとね、もっといろいろ、……」
そのあとライトは聞き取れない言葉をいくつかつぶやくようにして、完全に目を閉じて眠りに落ちた。
ルックはライトの全然泣かないという言葉で、両親のことを思い出した。
そしてルックも気付いたら目を閉じていて、夢を見ていた。
夢の中でルックは燃える街の中にいた。
まだ速く走ることができないルックは、母親に抱えられていた。父親の手には家宝の大剣が握られている。彼らは三人で戦火から逃げるために街の中を走っていた。
ルックはもうこのときのことをそれほど覚えているわけではない。何度もこの日のことを夢に見ていたため、ほとんどが夢だったのか実際の記憶だったのか曖昧になっていたのだ。
ただ間違いなく分かっていることは、このあとルックたちは敵軍の残兵の一団に出会い、ルックを守るために父と母は敵に殺されたのだ。
そして敵軍の兵士が、無情にもルックに剣を突き立てようとした記憶はある。どうして自分が助かったのかは分からないが、敵兵は確実にルックを殺そうと、幼子を仁王立ちに見下ろして、血塗られた剣をギラリとルックに向けたのだ。
「うあぁーっ!」
ルックは絶叫しながらベッドの中で跳ね起きた。
左右ではライトとルーンが寝返りをうったが、起こしてしまうことはなかったようだ。
ルックは悪夢に心臓がばくばくと跳ね上がり、全身に汗をかき、息が大きく乱れていた。
ドアが静かに開けられ、シュールが部屋に入ってきた。
「ルック、夢を見たのか?」
シュールはルックのベッドの隣に来て、ルックの頭を優しくなでた。
おぼろげな記憶にある父のたくましい手でも、母の柔らかな手でもない。しかしシュールの手は二人の手と同じように温かかった。
「大丈夫だ」
シュールは何度も繰り返し、念を押すようにルックにそう声をかけた。
「シュール、ごめんなさい」
ルックはそう言って再び眠りについた。眠りの中でも繰り返し「大丈夫だ」とシュールの声が聞こえる気がした。
ルックは自分は泣いてはいけないと心に決めていた。
まだ七歳で、当時はまだ四歳にもなっていなかったが、両親が自分を生かすために死んだのだということはおぼろげながら理解していた。そして自分は生き延びたのだから、幸福になる義務があるのだと考えていた。ルックの両親は彼に愛を与えてくれていた。そのことは幼いルックにもしっかりと伝わっていた。自分の幸福が両親の愛への答えだと、誰に教わったわけでもなく、ルックは意識の底でそう感じていたのだ。
そのため、自分は泣いてはいけない。幸せで笑っていなければならない。そう誓っていた。
だからルックはどんなに辛い夢を見ても泣かなかったし、嬉しいことはどんなことでもやりたいと前向きだった。強くなってライトにすごいと言ってもらうことも、ともすれば見栄や自尊心のように見えるかもしれないが、ルックにはその目標に向かうことに迷いはなかった。
ルーンのことも守れるくらいに強くなれたらいい。
ルーンが明るく話すのは楽しいので、まだ軽い気持ちではあったが、ルックは幼い心でそうも考えていた。
しかしその次の日からルーンの熱がどんどん上がっていき、三日後にはベッドから起き上がれないほどに悪化していた。
辛そうにベッドの中で喘ぐルーンに、ルックは何もできないことを歯がゆく思った。
「ルーン、パン粥、食えるか?」
舌っ足らずな野太い声で、たれ目の巨漢が言った。
ルーンのことが心配で、今日は大人三人が家にいた。シャルグだけは中期の任務で七日前から家をあけていたためいなかった。
「うん、食べうー」
上手く舌が回らないのか、ルーンはドーモン以上に舌っ足らずにそう答えた。
「おう。待ってろ」
ドーモンはそう言って台所に向かう。ドーモンはその巨漢に似合わず料理や繕いものが得意で、家事のほとんどを彼が担当していた。
「俺はそろそろ医者を迎えに行ってくる」
シュールもそう言い立ち上がり、ルーンの頭をなでて「待っててくれ」と声をかけた。
ライトはルーンが死んでしまうのではないかと不安に思っているのだろう。残ったドゥールを質問攻めにしていた。
「ルーンはなんの病気なの? どうして病気になったの? いつ良くなるの?」
ドゥールは困ったように頬をかく。
「俺は専門家じゃないし、シュールのように学があるわけでもないから分からんぞ。だが、病気っていうのは悪いマナが体に入り込んだら起こるそうだ」
シュールが連れてきた医者はルーンの症状を見て「冷魔病」と言った。冷魔病の元となるマナは熱を好み、そのため強制的に患者の体を発熱させ、熱を奪おうとしているのだと言った。
「冷魔病なら大したことはないな」
医者の診断を聞いたドゥールは豪快に笑いながらそう言った。
冷魔病はありふれた病気で、ある程度熱を奪ったあとは自然と体から出ていくらしい。
医者は体を冷やさないようにすることと、体力を失わないように良くなるまでは安静にし、消化に良い食べ物を摂ることを忠告した。それから不信げにドゥールを見た。
「冷魔病は危険な病気です。患者の体力を急激に奪い、毎年多くの子供が亡くなっています。体力次第なので、効果的な薬もないのです。くれぐれも甘くは考えないで下さい」
冷魔病は大人にとっては大した病気ではないそうだが、子供には厄介な病気らしかった。
「薬師に連絡をして気付け薬を届けさせましょう。使い方は薬師から聞いて、決して間違えた服用をしないように注意して下さい」
医者は甘く考えないようドゥールに釘を刺しただけなのだろう。しかしルックはそれに強い不安を抱いた。
それから医者はシュールから数枚の銀貨を受け取り帰っていき、二時間ほどたって薬師の老人が家を訪れた。
薬師から薬を受け取ると、またシュールは銀貨を数枚渡した。
「気付け薬は本当に危なくなったときに飲ませな。熱が高いまま静かに気を失っていたら迷わず飲ませること。この薬は一日で効果がダメになっちまうから、明日の朝にまた様子を見にくるよ。
あとはシャクシュリの根を煎じたお茶を飲ませるといいよ。あれは熱を冷ましてくれるから、治りは遅くなるけど、体力はずいぶん楽になるはずだからね」
薬師の老人はそんな助言を残してすぐに去っていった。
老人の助言を受けて、ルックはシャクシュリを採ってくると言った。
シャクシュリはどこにでも生えている雑草で、ルックたちがよく剣の稽古をする空き地にも群生している。
「ルックはもうシャクシュリが分かるのか?」
ドゥールが言うと、ルックは自信を持ってうなずいた。
「シュールの本に書いてあったよ。絵も書いてあったから間違わないよ」
ルックは無計画に広がったアーティーズ四の郭を走った。実際には冷魔病にシャクシュリの根は気休め程度の効果しかない。しかしルックにはまだそんな知識はなく、一刻でも早くルーンにシャクシュリを届けたいと思って走った。
街中ではマナを使って走ることは危ないとシュールに注意されていた。しかしまだ体の小さなルックならそこまでの危険はなかった。ルックはあとでシュールに叱られるかもしれないと思いつつも、全力でマナを使った。
ルックがシャクシュリを摘んで戻ると、シュールが念のため本と照らし合わせて本物かどうかを確かめた。
「間違いないな。ルック、よくやった」
ルックがシュールにほめられると、なぜかルックよりライトの方が誇らしげな顔をした。
夜になると、シャクシュリの根の効果か、ルーンの病状が少し落ち着いた。シャルグも任期を終えて家に戻り、ルーンを除いた六人で食事をした。
「今度の試験はどうだ? 強そうなアレーはいたか?」
アーティスの国教では食事は明るい話題で囲むものという教えがある。この教えはアーティス国民には広く親しまれた教えで、彼らの食卓はいつも話が尽きなかった。
この日は中期の仕事を終えて戻ったシャルグに、ドゥールがそんな質問をしたところから会話が始まった。
「いや」
シャルグは補足もすることなく一言だけでそれに答えた。ルックはシャルグらしい回答に少し笑いそうになった。ドゥールも助けを求めるようにシュールを見た。
シュールはシャルグの幼なじみで、シャルグが言外に込めた意味までくみ取って解説をした。
「どうやら強いアレーがいなかっただけじゃなく、見込みがありそうなのも見あたらなかったようだな」
シャルグが一言だけで答えたことからそこまで推測するシュールに、ルックは内心感心していた。
「試験ってなに?」
そこでライトが会話に参加すると、珍しくシャルグが丁寧に説明をし始めた。
「フォルキスギルドの資格試験のことだ。組合員の中で実力があるということを示すため、二十年ほど前から導入された制度だ。試験に受かるとフォルという資格を得られる。
ギルドは登録だけならアレーであれば誰でもできるが、寄せられる依頼の中にはフォルを指定したものが多い。だからフォルの資格を持っていると依頼の幅が広がり稼ぎが良くなる。またフォルを指定する場合は上乗せで手数料が発生し、その半額は俺たちの取り分になる」
「へぇ、じゃあシャルグはフォルなの?」
「あぁ」
ライトはシャルグの丁寧な説明に驚いた様子はなく、感心したように質問を重ねていた。
シュールたちの揶揄への対抗心なのか、それとも可愛いライトだから丁寧に説明したのかルックには分からなかった。だが、ライトがシャルグの説明を当たり前のように受け入れているから、後者が正解なのかもしれない。
「俺たち大人、全員フォルだ。フォルでも、強いフォルだ」
巨漢ドーモンがシャルグの言葉に補足を入れた。舌っ足らずなドーモンも口数は多くないが、説明しようという気がある分シャルグの端的な回答よりは分かりやすい。
フォルは強いアレーであることを示す資格で、フォルの中にも戦士としての技量には差があるのだ。そうルックは理解した。
「ライト、剣、すごくいい。ルック、頭いい。二人ともいいフォルなるぞ」
続けてドーモンが言ったことに、ルックは首をかしげた。頭の良さと強さが直接結びつかないように思えたのだ。
「頭がいいとフォルになれるの?」
幼いルックの質問は何を意図しているか分かりづらいものだった。しかしドーモンは正しく理解して答えてくれた。
「そうだ。頭いい、と、戦い上手になる。戦うとき、俺、たくさん考える」
「ははは、俺は戦闘中に考えるのはあまり好きではないな。戦いは単純であればあるほどやりやすい。色々考えすぎると余計なミスをする。要はこっちが倒れずに相手を倒せばいい」
豪快に笑ってドゥールが言ったが、他の大人三人はそれには賛成しなかった。
「普通の戦闘はどっちが先に攻撃を当てるかの駆け引きだよ。ルックやライトにはドゥールの真似は絶対できないから、参考にするなよ」
マナを使った体術で戦士の攻撃力は飛躍的に上がった。アレーの攻撃は鎧や兜を着けていても防げない一撃必殺の攻撃だ。だからどちらが先に攻撃を当てるかが重要だというのが常識だ。
全身を鉄のように固めるドゥールの鉄皮は、大魔法と言って差し支えないほどのものなのだ。仮にルックやライトが鉄の魔法師であっても真似できるものではない。
シュールの説明にルックは改めて自分には何ができるのかを考え始めた。
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