「どうしたルック!」


 ルックの悲鳴のあとすぐにシャルグの声がした。しかしその声は先ほどよりもかなり遠くに聞こえた。


「ルック、来てくれたの?」


 今度はすぐそばからライトの声が聞こえた。

 ルックはすぐに、ライトも暖炉の中から転落して出られなくなったのだと分かった。

 転落といってもそこまでの高さではない。肩が少し痛いけれど、血が出るようなケガはしていなかった。

 まだ短い期間とはいえ戦士としての教育をされていたのだ。ルックにはこのくらいの痛みは大したことなかった。


「ライト、ここどこだろ?」


 居間からの明かりは少しも届いていない。ここは真っ暗闇だった。ただそれなりに広さがある空間だとは分かった。今度は立ち上がることができたし、上にいっぱい手を伸ばしても天井には届かない。


「シャルグ、僕は大丈夫。暖炉の中に穴が開いてたみたいで、そこに落ちちゃった!」


 ルックはシャルグがいるはずの上に向かって声を張り上げた。


「出られそうか?」


 ルックの声が聞こえて安心したのか、シャルグの落ち着いた声が降ってきた。


 ルックは言われて転がり落ちたと思われる方を見上げたが、何も見えない。ジャンプしてみたが、それでも見えない。壁は平らな石の感触で、ここが人工的に作られた場所だと分かった。とっかかりがなく、壁を登れそうな気はしない。

 次にルックはマナを使った体術で跳んでみた。

 マナを使った体術はアレーであれば誰でも使える。しかし体が小さな子供だと普通の大人ほどの力も出ない。それでもルックは目一杯力を込めて、自分の身長分くらい高くジャンプした。

 するともうさらにルックの身長一つ分くらい上に、ルックたちが落ちたのだろう穴が見えた。


「シャルグ、ごめん。登れなさそう」


 ルックがシャルグにそう言うと、隣からぐすんぐすんとライトの泣き声が聞こえ始めた。


「僕たちもう出られないの?」


 ルックは状況を伝えるためとはいえ、ライトを悲しませてしまったことで胸が痛んだ。可愛い弟を守りたいと思って来たのに、泣かせるなんて最低だ。

 もう少し配慮して言えば良かった。


「大丈夫だよ。シャルグにロープを持ってきてもらえばすぐに戻れるよ」


 ルックはライトがいるだろう方向へ声をかけ、手探りでライトの体を探し当てて頭をなでた。


 予想外の事態だったが、ルックはまだこのときはすぐに出られるだろうと考えていた。

 しかしルックたちの家にあるロープはドゥールが仕事で持ち出していた。シャルグが近くの家から借りてきたロープは長さが足りなかった。


「ライト、ルック。フォルキスギルドでロープを借りてくる」


 シャルグの声が降ってきて、そんなことを告げた。

 フォルキスギルドというのはシャルグたち大人が所属するアレーの組合だ。キス家という公爵家が運営しており、アレーへの依頼は知り合いに直接頼むよりギルドを通して行われることが多い。大人たちはそこに登録することで仕事を紹介してもらっている。

 そこでは依頼のために必要な道具を借りることができ、長いロープも確実にストックがあるはずだ。


 ルックたちの家は四の郭にあり、フォルキスギルドは三の郭にある。つまり往復で数時間シャルグがいなくなることになるので、ルックは内心不安を感じた。


「どうした?」


 しかしそこでシャルグとは別の声が降ってきた。ルックたちのチームのリーダー、シュールの声だ。


「シュール、帰ったのか。暖炉の中に穴があり、ライトとルックが出られなくなっている」


 無駄を省いたシャルグの説明がシュールの声に答えた。


「穴? そんなものが開いていたのか? あぁ、だから暖炉の効きが悪かったのか」


 シュールは博学で、シャルグとはまた違う落ち着きがある大人だ。ルックはシュールが来たことで体が温かく感じるほどの安心感を覚えた。そこでルックはこの暗闇に対して、自分が思っていた以上に強く不安を感じていたことに気付いた。


「はは、ライトはまた泣いているのか? ルック、穴っていうのはどのくらいの高さだ?」


 ルックがシュールに状況を説明すると、すぐにシュールはロープは必要ないかもしれないと言った。


「どうする気だ?」

「あぁ、魔法を使うんだよ」

「俺とお前の魔法は影と火だ」

「ちょっと待ってろ」


 そんなやりとりが聞こえてきたあと、シュールは少し場を離れたようだ。


 魔法には種類があり、今発見されているのは全部で八つだ。ほとんどのアレーは一つだけのマナに恵まれ、そのマナの魔法が使える。アレーは宿したマナによって髪の色が染まるので、髪を見ればどの魔法が使えるのかはすぐに分かる。

 シュールの灰色の髪は火の魔法で、シャルグの黒髪は影の魔法だ。ライトのような金色と、藍色と赤の髪はどのようなマナに染まったのかが分かっておらず、魔法を使えない。

 シュールは魔法でルックたちが出られるようにできるというが、火や影ではルックたちに触れられない。


 どういうことだろう。


 ルックは考えてみたが、まったく見当が付かなかった。

 そしてシュールはすぐに戻ってきて、さらに言った。


「ルック、今からその穴の中に剣を落とす。鞘には入っているが危ないから離れていろ」


 ルックは剣がこの状況にどう役立つのか不思議に思ったが、言われた通り穴のある位置からライトと一緒に数歩離れた。


「離れたよ!」


 ルックが声を張ると、すぐに大きな剣と光る石が降ってきた。光る石は光籠という魔法がかけられた石で、淡い光だがルックたちがいる場所が照らされてようやくここがどんな場所なのか分かった。ここは切り出した石材で周囲を囲われた地下室のようだった。


「シャルグ、明かりを落としてやるくらい思い付かなかったのか?」


 シュールのからかうようなそんな声が聞こえた。

 剣はどこかで見覚えのある大剣だ。ルックが子供だからというわけでなく、普通に振るうには大きすぎる剣に見える。


「ルック、その剣はお前の亡くなった父親が持っていた剣だそうだ。孤児院が預かっていたのを前に引き取っていて、検分を依頼していたのを今日受け取ってきた」


 シュールがそう説明をしてくれた。


 光籠の淡い光りに大剣が照らされる。それはまるで貴族の館の壁を飾る宝剣のようだった。

 柄の握り部分には宝石が埋め込まれている。拳大の透明な宝石で、握るのに邪魔なだけに思えるが、それが縦一列に五つも付けられていた。そして普通の剣の二倍近い長さがある。


 ルックは父の形見と聞いて少し曇った表情で剣を拾った。マナの操作で持つこと自体はできたが、とても振り回せる大きさではない。

 ライトは自分の親を覚えていないと言っていたが、ルックは両親のことを思い出せた。三年近く前、今より幼いときに死んでしまったので名前すら知らないが、優しい両親だったのは確かだ。


 ルックは形見の剣を鞘から外した。刀身は幅広の両刃で、柄とは違い装飾の類はない。

 ルックは刀身の腹をなでると、曇った表情を押し込め軽く笑顔を作った。


 それは、まるでその剣に悲しい顔を見せたくないというような、明らかに意識しての変化だった。


「ルック、剣は拾えたか?」

「うん! けどこんな大きな剣じゃ振り回せないよ」

「振り回す必要はないんだ。はは。振り回してもなんの解決にもならないしな」


 シュールはふざけているようにそう笑いながら言う。

 ふとルックは、シュールが自分とライトを安心させるためにあえて明るく話しているのだと気が付いた。


「その剣は魔法剣なんだ。さっき検分と言っただろ? その剣にどんな魔法が籠められていてどんな効果があるのかを検分してもらっていたんだ」

「そっか。魔法で解決するっていうのはこの剣を使うってことなんだね。えっと、それでつまりどうしたらいいの?」

「あぁ、その剣の柄のところに宝石が付いているだろ? それはアニーっていう魔法が籠もりやすい宝石なんだ。

 魔法は体の中じゃなく、空気の中にあるマナを自分のマナで集めて使う。ルックは空気中にあるマナも感じ取れるだろう?」


 ライトは最近になってようやく体の中のマナの使い方を覚え始めたが、ルックはすでに次のステップまで進んでいた。大人たちに教えられたのではなく、シュールの部屋にある魔法学の本を読んで試してみたことがあるのだ。


 マナを感じることは簡単だった。

 しかしルックの読んだ魔学書は魔法で生み出された物や現象などの性質が書かれた本で、実際にこのマナがどうやったら魔法になるのかは書いてなかった。


「感じ取ったマナを集めて決められた状態に構成すると魔法が使えるんだ。今から地の本という本を読み上げるから、言われた通りにイメージしてみろ」


 シュールはルックに魔法を教えるため、今日本を一冊買ってきていたらしい。大地の魔法の教本だ。

 その教本はアレーではない多くの人たち、キーネには何が書かれているのか全く理解できないだろう。


 マナは不可視の力で形は存在しないが、味や匂いの様に、感じ取れる人同士なら共通の感覚を持つことができる。

 アレーはマナを操作し、道具などを使わずにそのマナの感覚を変えることができるのだ。

 分かりやすく味に例えるなら、ただの水を飲んで苦かったり甘かったりと感じられるのだ。

 そして集めたマナを正確にイメージした感覚に組んだあと、そのイメージをほどく。これをマナを構成すると呼ぶ。そうすると組んだ構成に応じた「魔法」という現象が発動する。


「今読み上げたのが隆地という、地面を垂直に盛り上げる魔法だ」


 ルックは言われた通りにマナをイメージし、地面に手をついて「隆地」とシュールの言葉を復唱した。そうするとルックの前に膝の高さくらいまで盛り上がった大地が出現し、三歩歩くほどの時間ですぐに消えた。


 ルックは自分が魔法を使ったことに驚いた。シュールが魔法で暖炉に火を付けるのは見たことがあった。しかしそれはルックにはとても不自然な現象に見えたのだ。

 その不自然な現象が自分の手によって引き起こされた。ルックは自分の両手をしげしげと見つめ、言いようのない喜びがこみ上げてくるのを感じた。


 僕は今、魔法師になったんだ。


「どうだ? できたか?」

「うん、できたよ。だけどたぶん高さが足りないと思う」


 ルックは初めての魔法に高鳴る胸を押さえ、冷静にそう分析してシュールに伝えた。

 魔法が使えた喜びを声に出すのは、ライトとここから脱出したあとだ。


「あぁ。それにすぐに消えてしまったんじゃないか? 魔法で生み出した物質はしばらくすると消えてしまうんだ」


 それはシュールの部屋にあった魔学書にも書いてあったのでルックも知っていた。

 魔法には物質や現象を出現させるものと、マナが多く含まれる物質や現象を操作するものとがある。前者で生み出されたものは時間がたつと消えてしまう。

 集めたマナの量に比例して消えるまでの時間は長くなるが、ルックの幼い集中力では集められるマナは少ない。盛り上がった大地を出現させられるのはわずか数瞬だった。

 シュールはこの隆地の魔法で天井の穴までルックとライトを持ち上げようというのだろう。

 だがこれではまだ高さが足りない。例え隆地の上からマナを使った体術で跳んでも届かないだろう。


「そっか。それでこの剣を使うってことなの?」


 ルックはシュールの言おうとしていることが分かって、確認をした。シュールは満足そうな声でその確認に肯定した。


「ああそうだ。その剣の宝石に集めたマナを流し込んでみてくれ。それで隆地を発動するとき、宝石に集めたマナも一緒に使え。どのくらいの規模の魔法になるか分からないから、まずは宝石一つ分から試して行こう」


 シュールの指示は分かりやすく、ルックはすぐに実行に移そうとした。

 しかしふと気が付くと、今までずっと鼻を鳴らしていたライトが泣き止んで、ルックにじっと注目していた。


「もうすぐ出られるから待っててね」


 ルックはライトに微笑んでそう言った。それから目を閉じて集中力を高めた。

 まだ魔法に慣れていないため時間がかかった。しかしどうにかマナを集め終えて再び隆地の魔法を放った。今度の隆地は天井の半分ほどの高さまで伸び、消えるまでも充分な時間があった。


「シュール、たぶん宝石二つ分くらいで大丈夫そう!」


 ルックはそう言ってからまたマナを集め始めた。


「ライト、こっちに来て」


 ルックはライトに手招きをした。ライトは床に転がっていた光籠の石を拾い上げてからルックの隣に立った。


「地面が盛り上がるから転ばないように気をつけてね」

「うん、分かった!」


 ルックの言葉にライトはうなずく。もうすっかり涙は乾いていて、期待に満ちた目をしていた。


「隆地よ!」


 ルックはライトにタイミングが分かりやすいよう、声に出して魔法を発動した。

 そしてみるみる地面から土の柱が立ち昇り、ルックとライトは無事に暖炉の中から抜け出せたのだった。




 暖炉の穴の下にあった地下室は、昔この近くにあった家の地下室だろうとシュールが言った。

 大陸の歴史は数千年に渡り、文明的な暮らしがされるようになってからも六千年は経過している。そのためこのようなことはたまにあるらしい。


 今回のことでライトはいっそうにルックのことを褒め称えるようになった。


「ルックはすごーくかっこいいんだよ!」


 事件のあと帰ってきたドゥールとドーモンにも、ライトはルックのすごさを熱っぽく語った。


「おう、ルック、すごい。俺、魔法使えない」


 舌っ足らずな巨漢ドーモンは優しい表情でそれを肯定した。ドーモンは藍色の髪でもともと魔法が使えないので、少しふざけているようだ。


「はは、きっとルックはシャルグより強いだろうな」


 筋骨たくましいドゥールは高い声で、今回何もできなかったシャルグを引き合いに出した。シャルグをからかいつつルックのことを冷やかしているのだ。


 そして最後にライトはくるりとルックの方に向く。金の瞳がルックの顔をまっすぐに見つめ、言った。


「ルックと家族になれてすごい嬉しい! ルックが僕の家族で誇りに思うよ!」


 本当に可愛くないはずがなかった。

 騎士の物語になぞらえてライトがそう賞賛すると、ルックもライトに賞賛される自分が誇らしく思えた。




 まだ幼さの残る十三の歳には、大戦で名を上げ、手を地につけばうずたかく山をつくり、百とも千ともしれない軍隊に単身で挑む。

 青年期には七賢人を訪ね歩き、黒竜を従え、剣ひと振りで妖魔の群れを燃え上がらせる。さらには暴れ狂う海を鎮め、大砂漠を操り、空すらをも支配する。仲間とともに迷宮にて力を得た後、巨悪を滅ぼし、……


 後の世に数々の伝説が伝わる真実の青・ルック。決して特別ではなかった少年が一番最初に強くなりたいと思ったのは、


「可愛い弟にもっと格好いいと言ってもらいたい」


 そんな平凡な理由からだった。

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