彼らがある程度剣を扱えるようになると、大人たちは次のステップに二人を進めた。マナを使った体術を教えたのだ。


「マナは体の中と、空気の中にあるんだ」


 ルックがライトに負けた日の夜、火の灯る暖炉の前でシュールがそんな説明をし始めた。


 ルックたちの住むアーティーズは気温の低い都市で、季節も寒季に入った。この大陸では季節はふた月おきに寒と暖を行き来する。また大陸は南に行くほど気温が下がるため、最南部の国アーティスは最も気温の低い国だ。

 大人たちは最近暖炉の効きが悪いとぼやいていたが、それでも火のそばは暖かく、ライトは隣でうつらうつらとしていた。


「俺たちアレーは感じたマナを操ることができる。それが体術や魔法だ。

 体術はそうだな、筋肉と一緒かな。体の中のマナを使うんだが、なれてしまえば自在に使いこなせる。

 まず体内のマナを感じてみろ。空気中のマナを感じるよりは簡単なはずだ」


 シュールは火のマナを宿す灰色の髪を持つ、理知的な青年だ。彼の説明は丁寧だったが、ライトにはまだ難しいようだった。隣でルックの肩に寄りかかり寝息を立て始めている。柔らかな金色の髪が頬に当たってくすぐったかった。


 ルックは飲み込みが早く、すぐにその体術のこつをつかんだ。実際それはそれほど難しいことではなかった。体の中にふわふわとしたつかみ所のない何かが詰まっていて、その何かは自分の意思で動くのだ。体の動きと合うようにそれを操ると、普段よりも力強く動けた。

 しかしライトは不器用で、なかなかそのこつをつかめなかった。

 ルックは少し得意に感じた。そしてそんなルックに、ライトは目を輝かせる。


「すごいね。ルックは絵本じゃない本も読めるし、頭もいいし、それに強いし、憧れちゃうな」


 可愛くないはずはなかった。ライトは元々目鼻立ちのいい子だったので、ライトにそう言われ、自慢の可愛い弟ができたような気分になった。


 ライトもシャルグとシュールに文字を教わっていたが、幼い頃から本が好きだったルックに比べれば、当然読み書きは不得意だった。ライトにとっても、自分より頭のいいルックは兄のような存在だったのだろう。


 ライトは当然のようにルックと同じ部屋をあてがわれた。ルックはすました顔をしながら、最初から好印象だったライトと同じ部屋になることが本当は嬉しかった。

 彼はここで暮らし始めるまで、一人で寝たことなどなかった。子供らしくない恥じらいから口に出しはしなかったが、やはりルックも寂しかったのだ。


 ライトとの手合わせはルックだけがマナを使った体術を使えるため、それからもしばらくはルックが優勢だった。

 体の動きがよくなっただけではなく、ルックの戦術の幅が広がったのが大きかった。


 剣の稽古はシュールとシャルグが交代で行っていた。

 ごくたまに他の二人の大人、ドゥールとドーモンが指導をしてくれることもあった。


 ドゥールは筋骨隆々としたたくましい男で、ドーモンは雲を突くかのようなとんでもない巨漢だ。背の高いシャルグよりもふた周りは大きく、蓄えた脂肪で横幅は細身なシャルグの五倍はありそうだった。


 最初に会ったとき、ルックはその二人が怖く思えた。二人とも子供から見たら山のように大きく威圧的だったのだ。ライトも最初は怯えていた。けれど二人とも子供が好きでルックもライトもすぐに打ち解けることができた。よくよく見ると、ドゥールはたくましい体つきに反して甲高い声の優男で、ドーモンは舌っ足らずな話口調が親しみやすく、目尻が垂れていていつでもにこにこと笑っているようだった。

 二人はシュールやシャルグと違い青年と呼べる歳ではなかったが、二人とも自分の正確な年齢は知らないらしい。

 その二人とシュールとシャルグ、ルックの加わったチームの大人四人は、四人とも腕利きの戦士だった。


 マナを使えない人はキーネ、マナを使える人はアレーと呼ばれていて、アレーの戦士には毎日多くの仕事があった。

 例えば彼らは危険な山奥でしか採れない山菜を摘みにでかけたり、隣町へ移動する人たちの護衛をしたり、ときには盗賊団と戦って命の取り合いをしていた。

 戦時には国防を担う戦士である彼らだったが、普段はマナを使える人たちにしかできない様々な仕事を請け負う雇われ人だった。


 実力者で人気のあった彼らは、仕事の内容によっては数日家に戻らないこともあった。

 それでも大人たちの誰か一人は必ず家にいて、ルックとライトの面倒を見てくれていた。


 そんな日々が続いたある日、小さな事件が発生した。


 その日家にいた大人は影のような長身の男シャルグで、外は雨が降っていた。

 雨の日は外で剣を振れないため、ライトはシャルグに文字を教わり、ルックはシュールとドゥールの相部屋で本を読んで過ごしていた。

 シュールたちの部屋には大量の本があったが、子供向けの本ではなく、学術をまとめた書が多かった。シュールは戦士であるのが不思議なくらい博識なやつだと、筋骨たくましいドゥールが言っていた。


 その中でそれほど多い量ではないが、物語の本もいくつかあった。

 どれも同じ著者が書いた、フィーン時代の騎士の物語だ。


 フィーンというのはアーティス国の遠く北東にある帝国で、かつては大陸中を支配下に置いた歴史のある国だ。フィーン帝国が大陸の支配者だった時代をフィーン時代という。当時はまだ魔法もそれほど発達してなく、特にその時代の初期は馬に乗った騎士が戦争の花形だった。


 その本も六歳の子供が読むような本ではなかったが、学術書よりは楽しく読めるし、誇り高い騎士の物語は寝る前にライトに聞かせるととても喜んでくれた。だからルックは時間があるときはこの本を読み進めていた。

 学術書の方も魔法学や物理学、生物学については比較的読みやすく、そちらも少しずつ読んでいた。


 ルックが一人で黙々と本を読んでいると、しばらくしてシャルグが部屋に入ってきた。気配もなく、それこそ影のように入ってきたシャルグにルックは少し驚いた。

 シャルグは感情の起伏をあまり見せない大人だったが、このときは少し焦っているように見えた。


「ルック、来てくれ」


 口数の少ないシャルグは無駄なことを言わない。これもドゥールから聞いたことで、ルックは黙ってうなずき言われた通りにすることにした。


 ルックたちの家は玄関に上がると大きな居間になっており、そこに三つの寝室と台所などの水場に続くドアがある。居間の中央には大きな長テーブルが置かれ、台所へ行くドアの隣に暖炉があった。

 今は暖かい季節なので暖炉に火は入っていない。暖炉はレンガで組まれていて下部には炭を入れるための入り口がある。普段は鉄の扉が閉められているそこが、今日はなぜだか開けられていた。

 扉といっても炭の出し入れをするだけのものなので、人がくぐれる大きさではない。


「シャルグ! シャルグ! ちゃんといる?」


 ただ、ルックやライトのような子供には充分にくぐれる大きさの扉だった。そしてその暖炉の中から、不安げなライトの声が聞こえた。


「あぁ、いるぞ」


 シャルグが暖炉の中にそう返事を投げた。無口なシャルグだが、必要なときにはしっかりとした声を出す。ライトを安心させようと、優しくて深みのある声だった。


「まさかライト、出られなくなっちゃったの?」


 ルックはすぐに状況を把握した。どういった経緯かは分からないが、ライトが暖炉に入り込み出られなくなってしまったのだ。


「ルック! どうしよ、暗いよ」


 暖炉の中なんてそんなに広く作られてるわけないのに、なんで出られないんだろ。


 ルックはそんなことを考えながら、中にいるだろうライトに声をかけた。


「どうして出てこられないの?」

「分かんない。暗いよ」


 ライトはパニックになっているのか、自分の置かれている状況もよく分からなくなっているらしい。暖炉の中で反響していて分かりづらいが、声がずいぶん遠くから聞こえる気がする。

 なんとかしてあげたいと思い、ルックはシャルグを見上げた。

 シャルグはルックの目線に黙って首を振る。シャルグも状況が把握しきれていないらしい。

 シャルグの身長では暖炉の扉にはとても入れないだろう。シャルグより大きい巨漢のドーモンや、筋肉で膨れ上がったドゥールはもちろん、中肉中背のシュールですら難しいだろうし、どのみち今この家に彼らはいない。


「僕が中を見てくるよ」


 もともとシャルグもそのつもりでルックを呼んだのだろう。黙ってうなずいた。


 正直ルックは大したことではないだろうと思っていた。中に入って、ライトに入り口の場所を教えればいいだけだ。

 そう考えながら、四つん這いになって暖炉の中に入り込む。


 暖炉の中に入ったルックは、舞い上がる灰を吸い込んでしまい咳き込んだ。ちゃんと掃除をしていなかったらもっと悲惨なことになっただろう。シュールやドーモンが寒季の終わりに暖炉を掃除してくれていたことを思い出し、ルックは内心感謝した。


 居間からの明かりは奥の方までは届いていなかった。しかしまさかここで火をつけるわけにもいかないので、ルックは暗がりに目をこらした。


「ライト、どこ?」

「ルック! こっちだよ!」


 暖炉の中は思ったよりも広かった。しかし立ち上がって歩けるほどの高さはない。ライトの声は左下から聞こえたので、四つん這いの姿勢でルックは左に体を向けた。


 大人なら、ライトの声が下の方から聞こえたことでもう少し注意を払っただろう。

 しかし考えるのが得意とはいえ、ルックはまだ六歳だ。そこまでの判断はできなかった。


「うわっ」


 ルックは体を支えていた左手を灰に滑らせ、なんと暖炉の中から転落したのだ。

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