第9話 白の教会にて
白の教会は、アンシーリー研究所から赤いレンガ通りの裏路地に向かい、その路地を抜けた先にある。白い壁に茶色の屋根の質素な建物だ。建物自体も大きくはなく、中には長椅子が並べられてはいるが教会の中に五十人ほど入ったら席は埋まってしまう程度の広さで、管理しているのは牧師一人だ。
「これはこれは。こんな時間に珍しい。どのような用でしょうか?」
「こんな時間にすみません。セドリック牧師。少々、牧師に聞きたいことがありまして……」
「ここではなんですから、おもてなしをしながら話しましょうか?」
ウェンディとアレンはその牧師を訪ねていた。
礼拝のない日の教会の中は牧師のセドリック以外に人はなく、ウェンディとアレンが牧師を訪ねた時、彼はその手に鍵の束を握っていた。もうすぐ夜になるから戸締りをするつもりだったと語る顔の皺と黒髪の中に浮き出た白髪が目立つ牧師は二人を教会から出して、教会横の自分の家で話さないかと誘った。
断る理由もなく、小さな小屋のようなこぢんまりとした家の中に招かれた時、ウェンディはすんなりと家の中に入ろうとしたが、アレンは中へと入らなかった。
「どうしました?」
「いや、匂うと思ってな」
「匂い? 今日近所の方からいただいた果物の匂いでしょうか?」
アレンはこぢんまりとした牧師の家の奥へと視線を投げかけて、不敵な笑みを浮かべた。
「いや、そんないい匂いじゃないさ」
アレンは家の裏の家庭菜園の場所を指さした。
「死人の匂いがプンプンする。この教会の近くに墓地はなかったよなぁ?」
「いったいなにを言ってるのか……」
狼狽する様子もなく、ただ落ち着きを払っている牧師にウェンディは一歩近づいた。
「牧師。庭を見せてもらってもいいでしょうか?」
「……構いませんよ。あなたたちがなにを考えているのかは知りませんが、妻がいなくなって、手つかずになって久しい庭を見るだけなら許しましょう」
ウェンディは牧師がなにか関係しているかもしれないと確信していたが、真相まではぼんやりとしか分かっていなかった。そのぼんやりとした推測でさえ、何故どうしてと理由が分からないため、彼女はアレンにも推測の話を言えないでいた。
かつて家庭菜園だった場所は耕された土だけが残り、新しく植えられた野菜などは見られなかった。
「奥さんがいなくなって、一年でしたか?」
「ええ、そうです……妻がどうして私を置いて出て行ってしまったのかは分かりません。妻とは結婚していたものの牧師として他者を気に掛けることが多かったので、もしかしたら、それに嫌気がさして妻はいなくなってしまったのかもしれないです……」
セドリック牧師は俯いて、首を横に振った。
「教会には自らの道に迷った方がよく来ます。そのような人の話を聞くのも私がやるべきこと。それを優先してしまったため、妻の食事を作りたての温かいまま食べる努力を私は怠りました」
アレンがぐるりと庭を一周する。花も野菜も草も生えていない土に視線をやり、すぐそこに見える赤いレンガ通りの裏路地へと続く獣道を見やる。
「警察には?」
「相談していません。妻もいい歳をした大人です。家出だと言って取り合ってくれないでしょう」
セドリック牧師はウェンディを振り返った。
「もちろん、あなた方のようなハンターにも話していません。化け物の仕業にされても妻が悲しむだけでしょう」
アレンは耕された土へと近づくと土の中に迷いなく手を入れた。その様子に気づいていない牧師の後ろで、アレンは土を掘り進めて、目当ての物を見つける。
「おい、牧師」
振り返った牧師は目を剥いた。何故なら、自分が庭に埋めた死体を掘り出して、その手を掲げている青年がいたからだ。
「人を埋めるのなら、もう少し深いところまで掘った方がいいぞ」
「なんてことを……っ」
「動かないでください!」
ウェンディは大きな肩掛け鞄から拳銃を取り出して、セドリック牧師に向けた。牧師は忌々しそうに銃口を横目で見やると両手を軽く持ち上げた。
「ハンターさん。あなたは人間ではなく、化け物を退治する職業だと思いましたが」
「はい。私はハンター見習いです。セドリック牧師、聞きたいことがあります。あなたは……ブラックドッグを作りましたね」
銃口を向けられながらも、牧師は取り乱さずにウェンディの表情を見た。一挙一動を観察する視線に負けないようにウェンディは彼を睨みつけた。
「なぜ、ブラックドッグだと?」
「墓を作る際、最初に埋められた死人は天国に行かず墓地の番人となるという迷信があります。その迷信から、黒い犬を埋めて、墓地の番犬とすることがあったと聞いたことがあります。普段、人を積極的に襲うことはなく、墓荒らしから墓を守るための忠実な番犬……」
ウェンディはこの街に何年も住んでいながら、赤いレンガ通りの裏路地に入ったのは今日が初めてだった。むしろ、存在さえも知らなかった。それほどまでに実用的ではないあの裏路地は、この教会の裏手に出る一本道だった。
「ブラックドッグが出来上がれば、あとは番犬の役目をさせるだけ。しかし、ブラックドッグは何故かアンシーリー研究所へと行くことになった。その際、統合させられた化け物の能力により、襲った人間や化け物の能力を奪うようになった」
ブラックドッグとは、黒い毛に赤い目の風貌の不吉な妖精と言われている。ブラックドッグという名前の他にヘルハウンドや黒妖犬と呼ばれることもある。
口から血を滴らせた黒犬が徘徊するという言い伝えから、先ほどウェンディが語ったように墓地の番犬になっているという言い伝えもある。どちらにしても、黒い犬が死の象徴であることは変わらない。
「ここは元々、墓地ではない。死体があるということは……」
教会の敷地ではなく、牧師のセドリックの家の家庭菜園の場所に死体が埋まっているということは考えられることは一つ。
「あなたは、殺害した人の死体が暴かれるのを恐れて、番犬を作ることにした」
セドリック牧師は自分の眉間を指でもみほぐすと大きく息を吐いた。
「まさか、あなたのような若い……化け物も殺したことがなさそうなハンターに見破られるとは……」
「ブラックドッグの件はハンターで処理しますが、この場に埋められた死体に関しては警察が預かるところです。一緒に警察まで言ってくれますね」
「素直に従うとでも?」
ウェンディは両手で構えた拳銃の先を揺らして見せた。いつでも撃てるぞという精一杯の虚勢。今のウェンディには全部の弾を外す自信があるが、それでも拳銃は抑止力となると彼女は思っていた。しかし、セドリック牧師は口元を歪めた。
「一つ、失態を侵しましたね」
「失態?」
「ブラックドッグは墓荒らしを許しません」
セドリックは肩越しに振り返って、地面から出てきた人間の腕を持ち上げたアレンへと視線をやった。そして、ウェンディに不気味な笑みを向ける。
「あなたたちは立派な墓荒らしだ」
突如、聞こえた唸り声と共にアレンの目の前に現れた大型犬ほどの大きさの黒い犬が躍りかかった。炎のような赤い目がぎらついて、死体を掴んでいたアレンの手に勢いよく噛みつこうとする。
すんでのところで死体から手を離したアレンはその場から後ろに飛び退いた。
「アレン!」
「気にするな!」
思わず、声をあげたウェンディにアレンはブラックドッグの歯を避けながら応える。大型犬の見た目をしているにも関わらず、その膂力はすさまじいものだった。墓荒らしを決して無事で返さないブラッグドッグの名は伊達ではない。その口からは血が滴り落ち、地面へと染みこんでいく。
「吸血能力は、生命力を他の生物からいただくこと……。血を飲めば飲むほど、全身に力がみなぎる。さらには身体も若返る。言うなれば、血さえ飲めば、いつでも自らの全盛期になることができる能力」
ブラッグドッグはアンシーリー研究所でブラウン研究員を襲い、知能を奪った。赤レンガ通りの裏路地でアレンから吸血能力を奪った。同じ場所でウェンディの戦闘能力を奪った。そして、また同じ場所で視力を奪った。
様々な能力を奪い、今は吸血能力で全身の力を底上げしているブラックドッグに地面に押し倒されたアレンは左手を掲げて、噛ませることによって、首や顔への攻撃を回避した。しかし、噛みつかれた左手からブラックドッグは口を離すことはなく、顎の力を強めていく。
「お仲間のピンチですよ。手に持っている銃を地面に置いて、ゆっくりと両手をあげて後ろに下がってください。さもないと彼の左手が一生使い物にならなくなりますよ」
「……」
気にするなと言われたところでブラックドッグに押し倒され、腕に噛みつかれたアレンを心配しないことなど、ウェンディにはできなかった。
感情の揺れはセドリック牧師には筒抜け、もはや、銃を向けて睨んでも効果などないことに気づいたウェンディは銃を下ろし、ゆっくりと屈んで、地面に銃を置いた。
「いい子です。そのまま両手をあげて、ゆっくり下がるのです」
ウェンディが一歩下がるのに合わせて、セドリック牧師が一歩足を踏み出して、地面に置かれた銃に近づく。冷や汗をかきながらも、ウェンディはなんとか状況を脱する方法はないか考えを張り巡らせる。いくら考えても答えは出ない。
「余計なことに首を突っ込むから若い命を散らすことになるのです」
セドリック牧師は土の上から拾い上げた銃を迷いなく、ウェンディに向けて、引き金を引いた。
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