第6話 アンシーリー研究所にて


 アンシーリー研究所。

 ハンターとは持ちつ持たれつ、化け物とも持ちつ持たれつの研究命の変人ばかりの巣窟。

 そうアレンから聞いていたウェンディはとりあえず今の自分には扱えないと分かっていても、鞄や服の内側などにハンターの仕事で使う道具を忍ばせておいた。


「本当にここが研究所……?」


 林の奥にある廃れた洋館にウェンディは訝し気な視線を向けた。

 収穫を待つ小麦の色の壁には蔦が這いずって、窓にはヒビがいくつか入り、そのほとんどが内側からガムテープにより補修されていた。塀と門にも蔦が絡まっている。

 しかし、無法地帯というわけではなく、インターホンを鳴らせば、研究所の受付へと繋がるし、塀を乗り越えて無断で入ろうとしたら、警報装置が鳴る。


「俺は追い出された後、無理やり入ろうとして警報音に耳をやられそうになったから、ここの防犯設備は俺のお墨付きだ」

「それ、一切自慢にならない」


 黒い柵のような両開きの門の隣のレンガの塀にはインターホンが取り付けられており、ウェンディがボタンを押すとぎょろりとレンズと思われる部分が、目を剥いた。ただレンズが人間の目玉を模して造られているだけだが、ウェンディはその手の不気味な脅かしには疎かった。

 反射的に殴りつけた拳はインターホンの目玉を模したレンズではなく、その横のレンガを殴りつけた。


『どちら様ですか?』


 ウェンディはなにもなかったように拳を自分の背に隠すと、インターホンに向かってぎこちない笑顔を浮かべた。


「ハンターの者です。研究所から実験していた化け物が逃げ出したと聞いたんですが……」

『ああ! ハンターの方ですね! 依頼の件でしたら、どうぞどうぞ。中に入ってください。厄介事……ええと、依頼の内容を詳しく話したいので』


 目玉型のレンズが瞼を閉じ、自動的に黒い柵のような門が左右に移動した。


「お嬢さん、ああいう脅かしは苦手なのか?」

「苦手じゃない。驚いただけ」

「ハンターなのに、目玉にビビるなよ」

「ビビってない」


 開いた門はウェンディとアレンが敷地内に入ると自動的に閉まっていった。洋館の玄関へと続いた道以外は芝生で覆われていて、そこに点在している毛むくじゃらの何かが落ちくぼんだ顔の暗がりから目をぎょろつかせて、ウェンディとアレンを凝視していた。

 その視線にウェンディは寒気を感じ、目を合わせないように足を速め、アレンは興味深そうにじぃと毛むくじゃらの何かを見つめ返した。


「なにしてる。早く」

「はいはい。せっかちなお嬢さんだな」


 玄関のノブを握り、扉を開けたウェンディが振り返ってアレンを急かすと彼は肩を竦めた。

 二人が洋館の中に入り、扉が閉まると洋館の外観からは想像もできない光景が広がっていた。

 金のかかった病院という表現が一番しっくりくるだろう。白い壁に白い床、行き届いた掃除にかすかに感じる消毒液の匂い。廃れた洋館の見た目とは裏腹に実に研究所らしい内装が広がっていた。

 玄関の扉をくぐった目の前にはこれまた病院の受付と見紛う白いカウンターと白い服を着た女性がいた。


「ハンターの方が二人ですね。すぐに依頼者の方を呼び出すので少々お待ちください」


 金髪の女性は長い髪を後頭部でまとめあげ、清潔な白い半袖に身を包んでいた。彼女の服装が白衣だったら、本当にここは病院だとウェンディは勘違いしてしまっただろう。無論、一度、この場所に来たアレンは外観と内装の矛盾など体験済みだ。

 そして、アレンはこの受付にいる女性が人間ではないことも知っている。

 化け物と呼ぶよりも同類と呼ぶ方がアレンにとってはしっくりくるが。

 女性は受付内の固定電話のボタンを押して、どこかに電話をかけた。


「ブラウン先生。ハンターの方がいらっしゃいました。受付でお待ちいただいてます。受付までお越しください」


 それだけ言葉を残すと女性は受話器を置いて、ウェンディとアレンに微笑んだ。


「では、ブラウン先生がいらっしゃるまでそちらの椅子でお待ちください」

「あ、はい。分かりました」


 女性に指示された通り、ウェンディは壁に沿って置かれていた長椅子に腰をかけた。自分のすぐ傍の観葉植物にちらりと視線をやるウェンディの隣にアレンが座る。


「思ったんだが、お嬢さん」

「なんだ」

「なんで、俺以外には敬語を使うんだ」

「は?」

「お嬢さんは酒場でもここでも敬語で喋っていただろう。しかし、俺には敬語を使わない。むしろ、ぶっきらぼうに喋ってる。どうしてだ?」


 問われると思いもしなかった質問にウェンディは思わず顎に手を当てて、考え込んだ。

 いつも自分は初対面の人間には当たり前のように敬語で話す。しかし、アレンに対してはぶっきらぼうに喋っている。それはどうしてか。

 思い当たる節があって、ウェンディはアレンを見た。


「化け物だから?」

「それを言うなら、受付にいる女は吸血鬼だが、なんで敬語を使っていたんだ?」

「えっ」


 ウェンディは目を丸くして、受付の金髪の女性を二度見した。その様子にアレンは思わず口を曲げた。


「お前、まさか気づいてなかったのか?」

「い、いや、そもそも吸血鬼は人間に紛れ込んだら、見分けをつけるのが難しいというか、見ただけでは気づけないというか……」


 慌てて弁解をするも、ウェンディが受付の女性が人間ではないと見抜けなかったのは事実だ。思わず恥ずかしくなって、自分の膝に手を置いて俯くウェンディに小さくため息を吐いたアレンは話題を戻すことにした。


「それで? あの女が吸血鬼だって分かったなら、これからは敬語を使わないのか?」


 アレンがちらりと受付の女性に視線をやるとウェンディが俯いているのをいいことに女性はひらひらとアレンに向かって、手を振った。

 前にアレンが研究所に何度も忍び込もうと模索していた際、最終的に立ちはだかったのは研究所の防犯システムではなく、この一人の女性だ。そんな苦々しい記憶に思わずアレンは眉間に皺を寄せたが、その表情に女性は含み笑いをした。

 そんな二人の表情のやり取りに気づくこともなく、ウェンディはあることを思い至って、顔をあげた。


「たぶん、師匠があなたに対してぶっきらぼうだから、口調が移った」

「……そんな理由で?」

「たぶん」


 アレンはわざとらしくため息を吐きだすと額に手を当てた。


「お嬢さん。今回、俺達は手と手を取り合って、事件を解決する仲間だぜ? 仲間には敬意を払うべきだろう?」

「だったら、お嬢さん呼びをやめるんだな」


 アレンは肩を竦める。


「はいはい。分かったよ、ウェンディ」


 案外呆気なく名前を呼んだアレンにウェンディは笑みを向けた。


「改めて、よろしく頼みます、アレン」

「……」


 共同戦線を口約束しただけでここまで気を許すなんて、この娘はどんな教育を受けているんだと無関係のアレンが心配をし始めたのも知らず、ウェンディは左手の腕時計を見た。


「……来ませんね。ブラウン先生」


 アレンが受付の女性を見ると同時に受付の女性はもう一度受話器を取り、固定電話のボタンを押す。


「ブラウン先生? ハンターの方がお待ちです。いらしてください」


 受付の女性は受話器を耳に当てたまま、一呼吸間を置いてから、目を細めた。


「早く来いっつってんだろ。干からびるまで血を吸うぞ、てめぇ」


 丁寧な動作で元の位置に戻される受話器。女性の方を向いたまま固まるウェンディに、女性がにこりと微笑んだ。その場の人間がもう一度口を開く前に白く長い通路の奥から茶色の髪をぼさぼさと全方位にのさばらせた眼鏡の男性が足をもつれさせながら、走ってきた。

 本人は走っているつもりなのだろうが、その生まれたての小鹿のようによたよたとした足取りではウェンディの早歩きの方が幾分か早いだろう。


「おっ、おっ、お待たせしました! 資料を見ていたもので、最初の内線の内容は聞き逃していたようで……」


 ウェンディとアレンの前に来た特徴的な頭の白衣の男性は、ちらちらと受付の女性を伺っていた。女性はただ微笑んでいるだけだが、対照的に男性の顔は青ざめている。


「あなたが依頼をハンターに出していた方ですか? 実験していた化け物がいなくなったという……」

「そ、そうです、はい……。あの、ここではなんですから、研究室に行くのはどうですか?」


 男性は終始受付の女性を気にしていたので、ウェンディもアレンも男性の言葉に従うことにした。

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