第4話 酒場にて


 ウェンディがいるマクニーハンター事務所の建物を出て右には武器屋があり、さらに隣には酒場がある。

 酒場にはハンターが集まり、武器屋には化け物相手にしか使わないような特殊な武器が売られている。もちろん、店頭にそんな特殊なものは並んでいないが。

 ハンターなら誰しもがこの道を利用する。それがウェンディとその師匠が事務所を構えている黒いレンガの通りだ。


「ウェンディ! 今日はなんの用事だい? マクニーさんは砂漠に出張中だろう?」


 立派な黒い髭を鼻の下に蓄えた黒の蝶ネクタイに黒のベストのマスターがウェンディを出迎えた。ウェンディがカウンターに座るとマスターは彼女の前にミルクを出した。

 思わずウェンディはため息をつく。


「マスター、私はもう子供じゃないですよ」

「いやぁ、マクニーさんからは一人前になるまでウェンディには酒をやるなと言われていてね」

「そうですか……」


 出されたものを断るわけにもいかずにちびちびと飲み始めたウェンディに娘でも見るような視線をマスターが向ける。

 このマスターは師匠のところにウェンディが来た齢十歳の時からウェンディのことを知っているのだ。子供扱いをするのもしょうがない。マスターにも娘がいたのだが、その娘は赤ん坊の頃、化け物に殺されたともっぱらの噂だ。

 だから、ウェンディもマスターの自分への子供扱いを邪険にすることができなかった。


「そういえば、マスター。最近、なにかおかしな相談とか依頼って耳にしました?」

「おかしな相談?」

「たとえば、能力が奪われたとか。戦闘能力とか」


 戦闘能力を自分が奪われたとは口が裂けても言わなかった。マスターに下手なことを言ってしまうと、必ず師匠に伝わってしまうと分かっていたからだ。マスターと師匠は長年の付き合いらしく、よく酒の席では暴露大会などをやっているらしい。暴露するものが尽きてきた二人はウェンディの恥ずかしいエピソードなどを肴にしたことがあり、ウェンディもそのせいでさらに恥ずかしい思いをすることになった。その二の舞はしまいとウェンディはマスターにも師匠にも余計なことは言わないと心に誓っているのだ。


「能力が奪われた……そんな話は聞かないな。他のハンターにも聞いてみようか?」

「お願いします」


 ここはハンターたちのたまり場であって、依頼が舞い込む場所ではない。マスターはあくまで酒場のマスターであって、ハンターではない。

 無駄足だったかもしれないと少し肩を落としたウェンディを見て、マスターが顎をさする。


「どうして、いきなりそんなことを? マクニーさんは砂漠で仕事をしているだろう?」

「うちに手紙が届いたんです。能力を奪う化け物に襲われたから、能力を取り戻したいって。でも、情報がないのでなんとも言えず」


 ウェンディは聞かれた時のための答えを用意していた。

 嘘はついていない。手紙が届いたことも能力を奪われたと依頼人が言っているのも本当のことだ。アレンは吸血能力を奪われ、ウェンディは戦闘能力を奪われた。嘘は言っていない。


「うーん。なるほど。情報収集は最近ウェンディに任せきりにしているとマクニーさんも言っていたし……マクニーさんが帰ってくるまでに調査を済ませておこうと思ったんだね」

「そういうことです」

「君も休みの日くらいショッピングをしたらいいのに。お小遣い、あげようか?」

「はは、さすがに遠慮しておきます」


 今はショッピングなどをしている暇もないから受け取るわけにもいかない。しかし、それよりも、そのお小遣いは生きてさえいれば、本当のマスターの子供がもらうべきものだったと思うとウェンディの心に罪悪感が生まれるのだ。

 マスターも善意の押し付けはせずに、ただ悲しそうに「そうか」と分かりやすく肩を落とした。


「もし、なにか分かったら、電話するよ。今日はずっと事務所にいるかい?」

「たぶん、いると思います。あ、いえ、出かけるかも……」

「それなら、電話に出なかったら、メモとかポストに入れておくことにするよ」

「ありがとうございます」


 ウェンディが注がれたミルクを飲んでいるとサービスのジャムクッキーがカウンターに置かれて、ウェンディはそれを断ることもなく、平らげた。


「お、ウェンディ。マクニーさんがいないのに酒場に来るなんてどうしたんだ? マクニーさんがいないからって酒を飲もうとしてるんじゃないだろうなぁ?」


 酒場に入っていた二人組の青年の背が高い方がカウンターのウェンディを見つけて、声をかける。マクニーハンター事務所が近いため、ウェンディは酒場の常連になっている。

 常連と言っても酒は飲まないし、酒を飲みすぎて、酔ってしまう師匠を事務所に運ぶために来ていることもあり、酒場によく来るハンターは全員ウェンディの顔を覚えている。それ以上にウェンディの師匠であるマクニーの顔は知れ渡っている。


「まったくもう、マスターも師匠も皆さんも……私、もうお酒飲める歳なんですけど?」

「なに言ってんだ。俺達、お前がこんな小さな蟻んこだった時から見守ってきてたんだぜ?」


 背の高い青年が親指と人差し指で蟻の大きさを表現するとウェンディは口を尖らせて「そんなに小さかった事はないです」と猛抗議をした。マスターと二人組のハンターはウェンディの反応がお気に召したようで声をあげて笑う。

 二人組のハンターはカウンターに近い丸テーブルにつくと酒を要求した。午前中から酒を飲むということは、闇に紛れた化け物を退治して、その後の祝杯をあげるつもりなんだろうとウェンディは目星をつけた。

 ああやって、自分もいつかハンターとして一人前になったら酒で祝杯をあげる時が来るのだろうかと考えるが想像することはできなかった。


「そういえば、ウェンディ、知ってるか? また研究所の方が大騒ぎしているみたいだぞ。近づかない方がいいからな」

「研究所?」

「アンシーリー研究所だ」

「私は行ったことがないですけど……化け物の研究をしているって師匠からは聞いてます。その研究所がどうしたんですか?」


 師匠のマクニーはウェンディに研究所についてはあまり教えなかった。というのもマクニー自体が研究所の方針を嫌っているからだ。研究所にいる人間は、研究第一、成果が第二、犠牲は第三というような基準を持っている頭のイカれた奴らだと、ウェンディは師匠に聞いている。


「実験していた化け物が逃げ出したんだってよ。だから、捕まえてほしいってハンターに依頼をしてるんだが、みんな断ってるんだ」

「断ってるって、そんなに強い化け物が逃げ出したんですか?」


 まだウェンディと二人組の客以外、誰もいない店内で、背の高い男は声を潜めて、内緒話をするようにウェンディの方に身を乗り出した。


「なにも分からないのさ」


 思わずウェンディも身を乗り出して、男の話に聞き入る。


「どんな形をしているのか、どんな性格をしているのか、どんな能力を持っているのか、さっぱり分からないらしいんだ」

「え? でも、研究してたんですよね?」

「なにを研究していたのか、研究者自身が忘れてしまったらしい。だから、依頼されても誰も受けないのさ。なにを捕まえればいいのか分からないからな」


 背の高い男性は言いたいことを言い終えたらしく、身を乗り出すのをやめて、マスターが持ってきた酒の瓶を持ち上げて、二人で乾杯をし始めた。


「忘れてる……。記憶を奪われた」


 ウェンディは残っていたミルクを一気に飲み干し、ミルク代をカウンターに置くとカウンター席から、ひょいと跳び下りた。


「ありがとうございました。マスター。お二人もまた今度」

「おう、ウェンディ! マクニーさんがいない間においたをするなよ!」


 もうした後だとは言えず、ウェンディは「はい!」と元気に嘘の返事をして、酒場を後にした。

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