第2話 事務所屋上にて
事務所に吸血鬼を招き入れてしまえば、師匠に殺されると思った結果、ウェンディは別の場所でアレンと話すことにした。それは屋上だった。ウェンディが手掛けている家庭菜園と洗濯物がある。
「相談者に壁を上ってこいっていうのってどうなんだ?」
屋上の柵に腰かけたアレンをウェンディは睨みつけた。襲い掛かってきてもいつでも建物の中に逃げられるようにウェンディは後ろ手で屋上の扉のノブを掴んでいた。
黒いマントに黒いフードを被っているものの、その特徴的な姿を隠すことはできなかった。アレンは灰色の髪を前髪ごと後ろへと撫でつけたようなオールバックに、少し伸びた後ろ髪を赤い紐でまとめていた。ウェンディが師匠と一緒に見るアレンは青年のような黒髪のアレンの時が多いのだが、今は青年とは言えない風貌をしていた。節くれた指や目元の皺などが目立つ。
しかし、その切れ長な目と高い鼻先はまるで映画に出てくる男優のように整っている。いつもの青年のような姿よりも今の少し歳を重ねたような姿の方が多く映画に出演することができるかもしれない。
その口元には吸血鬼の特徴である鋭い犬歯は見られなかった。
「奪われたのは吸血能力だけのようですね。戦闘能力が残っていなければ、壁を上ってくることはできませんから」
「そういうお嬢さんは戦闘能力をごっそり奪われたみたいだな」
さっきの転倒は面白かったと笑うアレンにウェンディはかぁっと顔を赤くした。師匠に見られるのも嫌だが、敵である吸血鬼に自分の失態を見られたことでなけなしのプライドが崩れ落ちて行くような感覚がしながらもウェンディは首を横に振った。
「何故、依頼を?」
「化け物退治ならお手の物だろう? ばばぁがいないのは予想外だったんだが」
「師匠の前でばばぁなんて言ったら、殺されるぞ」
「殺せないから俺はまだ生きてるんだろう?」
ウェンディは大きくため息を吐いた。この吸血鬼はわざと自分のことをいらつかせようとしているのではないのかとさえ考える。
「でも、今の状態のあんたなら師匠も苦労せずに殺せると思う」
「それは勘弁してほしいな。だが、俺はばばぁが帰ってくる前に雲隠れをすればいい話だ。お嬢さんはどうだ?」
「……間違いなく殺される」
思っていた以上に自分がとんでもない状況にいることに気づいて、ウェンディは心の中で頭を抱えた。
「よし、見習いハンター。俺と手を組まないか?」
「誰が吸血鬼と」
「血を吸えない吸血鬼は吸血鬼って呼べるのか? 俺は今最大の能力を奪われているんだぜ? 脅威はないと思うがな」
「それを言うなら戦闘能力が皆無になった私なんて、それこそ脅威でもなんでもないと思うけど……」
アレンは柵から跳び下りるとブーツの踵を鳴らしながら、一歩一歩近づいてきた。ウェンディはノブを握る手に力を籠める。
「どうだ? ばばぁが帰ってくるまでの間だけ、俺と協力しないか? お互い、大切なものを奪われちまったみたいだしなぁ」
ウェンディは考えた。
もし、この吸血鬼の申し出を断って、師匠が帰ってくるのを待っていた場合。間違いなく、アップルパイだけで事を納めることはできない。戦闘能力もない状態で原因を排除してこい。自分のケツは自分で拭けと事務所から蹴りだされる可能性もある。
ウェンディは目の前で不敵な笑みを浮かべる吸血鬼を見た。
師匠が帰ってくるまでにこの吸血鬼と手を組んで、原因を排除して戦闘能力が元通りになったら、なにもかもなかったことにできる。依頼もなかったことにして、勝手にハンターの仕事をしようとしたこともなかったことにして、吸血鬼と手を組んだこともなかったことにして、元通りにできる。
「よし、手を組もう」
師匠の逆鱗に触れることを考えれば、化け物と手を組むことなどウェンディには大した恐怖ではなかった。
「肝の据わったお嬢さんだな。気に入ったぜ」
ウェンディがまっすぐとアレンの青い瞳を見て、手を差し出すとアレンは肩を竦めて、その手を握った。
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