明日のムースーロー

暗井 明之晋

明日のムースーロー

 夕方に吹く風が少し寒くなってきた10月終わり。

 そんな寒い外を、定時上がりの僕は1人歩いて帰路についていた。

 今日は週の始めで月曜日。だからか少し、町の雰囲気は静かな気がする。

 飲んだくれた人は買い物帰りの主婦に、徒党を組んだ若者はフラフラと散歩をしている老人へと変わり道を歩いている。

 普段僕が帰宅時に目にする人々では無いからだろう。余計静かだ。

 落ち着かないが、悪くないなと思う。なんというか今のこの人の流れがとても暖かく感じられる。

 とてもゆっくりした、喧騒とは対極の時間。いわゆる家族の時間なのだろう。

 僕はそういったことを考えながら家路を急ぐ。

 帰宅を急ぎながらも僕は夕飯を決めようとしていた。幸いなことに僕の帰宅ルートにはさまざまな店が建ち並んでいるため、夕飯を決めるのにはけっこう事欠かない。

 今日は何にしようかと歩くと、すぐ右に煮物屋が出てきた。醤油と酒、味醂のあの甘しょっぱい味を想像させる匂いが僕の鼻をくすぐる。

 しかし、昨日は浦安で魚の煮付けを食べてしまったからパスだ。

 また少し歩くと、こんどは揚げ物屋だ。食材の揚がる香りとパチパチという音が聞こえて来る。そしてなんといっても安い。コロッケやらメンチやらがスーパーよりも断然安い。

 揚げ物にしようかと迷ったが、今日は昼回りでトンカツをご馳走になった。だから申し訳ないが今日はパスだ。

 その後も

"焼き鳥はパス。魚、気分じゃないし昨日も食べた。ケーキ屋…道中決まってないのに最後だけ決めても…うん、パス"

と普段ならあっという間に決まるはずの夕飯が決まらず、家に着いてしまった。

 僕はどうしようか、スーパーとかに戻るかと考えたが、週の始めで疲れてたのと、家に着いた脱力感で家に入ってしまった。

 家に着き、風呂から出た僕は何を作って食べようかと冷蔵庫やら棚を漁る。

"米は幸いなことに炊いてある。なら米を食べれるものが良いよな。"

一人でそんなことを考えながら、テレビをつけに隣の部屋に行く。するとテーブルの上に

"ムースーロー"

とだけ書かれた紙が置いてある。恐らく昨日か一昨日の休みの時に何かを見て書いたのだろうが、一体なんのことだかわからない。

 気になった僕はスマートフォンで検索をしてみる。するとそこには鮮やかな黄色と、光沢のある黒が混ざり合った料理が表示されていた。

 レシピを見て、コレだと思った僕はいそいそと台所に向かい食材やら調味料を出していった。

 豚肉、乾燥のキクラゲ、忘れてはいけない卵。ウェイパーや紹興酒なんかの中華調味料を出し、調理に取り掛かることにした。

 特に変わったことはなく調理を進めていく。豚肉に塩胡椒をして片栗粉をまぶし、少し多めの油で揚げ炒め皿に取る。卵も割りほぐしてふんわりと炒めて肉と同じ皿に取っておく。

 ここで僕はあることに気づく。なんというか彩りが少ない気がする。そう思うと急に気になってしまう。

 僕は彩り、彩りと冷蔵庫を確認する。あったのは小松菜。

 僕は小松菜が苦手だ。少しえぐみがあって、小松菜は独特の味がするのだ。きっと彼女が置いていったのだろう。

 小松菜を入れるか迷っていると、

「…で、小松菜には疲労回復なんかを助けるカロテンや…」

とついていたテレビから声が聞こえる。

 昨今のストレス社会。疲労回復と言われれば少しでもそれにあやかりたい。そう思い僕は小松菜を入れることにした。

 疲労回復とてもいい。そんな効果のある小松菜が入るムースーロー。さしづめ

"明日のムースーロー"

だろうかと心のうちで思いながら小松菜の用意をすすめる。

 小松菜を洗い、ある程度芯と葉を切り分け、先に卵を炒り取り出す。次に芯とキクラゲを炒めて、あらかた火が通り始めた頃に葉の部分と豚肉、調味料を混ぜた液と取り出していた卵を入れフライパンをあおる

 あっという間に"ムースーロー"は完成した。

"中華料理は早いのが良いよな"

と、心の中でまたぼやきながら口を烏龍茶で潤す。

「いただきます」

 ムースーローだけをまずは口に入れる。

 一口頬張ると、口の中にガツンとした旨味が押し寄せてくる。

 豚肉の脂の甘みに、本来の豚肉が持つうまみ。

 キクラゲは歯切れのいい食感と共に、キクラゲ特有のキノコの香りがいい。

 そして小松菜。ごま油で炒めたからか、えぐみは一切なく、みずみずしい歯ごたえがおいしい。

 そんな食材をふんわりとした卵が間に入り、卵表面のヒダにスープを吸い絡ませて食材をまとめ上げる。これにより飽きることのない食事体験を生み出している。

 たったこれだけの食材で、何層にもわたるおいしさを出してるのかと思うと食べ終わるのが惜しく、次の一口、一口と忙しなく伸ばす手を静止したいぐらいだ。

 ただこんなにも手が動く理由は、味だけでは無いようだ。

 香り、見た目、食べやすさや食感など料理にはいろんな要素がある。そのなかでも食感の強さに一際惹かれる。

 キクラゲのシャキシャキといった食感。それと、こんがり香ばしく炒められた豚肉表面のザクザクとした旨味を含んだ歯触り。小松菜のみずみずしい青菜特有の繊維の食感。

 全ての食感がさらに食欲を掻き立てる。

 食感を強く感じ次の一口と手が伸びると、やはり人間が脳で動いていると改めて感じる。

 僕はご飯を2膳もおかわりし、皿の上のムースーローを平らげた。

 かなりのペースで食べてしまったが、お腹にはしっかりとした満腹感があった。それに、どこか心にも満足感のようなものもあった。

 僕は今週末に行く中華料理屋を探しながらいつしか眠りについてしまっていた。

 翌朝はムースーローのおかげか、小松菜のおかげか、いくらか疲れが取れていた。

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