第7話
進路を決めた仁哉の姿を目の当たりにして、僕は自分が進むべき道を改めて考えた。そこで浮かんだのは、幼い頃にヤヨイ様が言った言葉だった。
『あんたが私の声を聞くことができるのは、あんたの聴力と引き換えに神様がくれた力なのかもしれないね』
ヤヨイ様と言葉を交わせる、この不思議な力を授かったのは偶然だろうか? いや、きっと何か意味があるに違いない。だからこそ神様は僕に力を与えたのだ。僕は神様から何らかの使命を与えられたのかもしれない。僕はそう思った。その時点で、僕はまだ自分に課せられた使命をはっきりと自覚した訳ではなかった。ただ漠然と「桜の声を聞くことができる」という能力が何かの役に立つかもしれない。そう思っていただけだった。
僕はそれから来る日も来る日も悩んだ。この能力を活かすためにはどうしたらいいのだろう?桜関係の書籍を沢山購入したり、図書館で借りて読みふけった。時には専門家に手紙を出したり話を聞きに行ったりもした。それでも、何も答えは出なかった。僕はある日、ヤヨイ様に尋ねた。
『ヤヨイ様。僕は今、自分の進むべき道が分からず悩んでいるんです』
『……どういうことだい?』
僕はヤヨイ様に悩みを打ち明けた。自分の能力を何かに活かしたい。本を読んだり、話を聞いたりもした。でもどうしたらいいのか分からない、と。すると、ヤヨイ様が言った。
『そりゃあ、簡単じゃないか。全国の桜の声を聞いて回るんだよ』
『……えっ⁈』
思わぬ提案に驚き、僕は咄嗟に顔を上げた。
『せっかく桜の声が聞こえるのに、私と会話するだけなんてもったいないよ。おそらくあんたは私だけじゃなくて、どこの桜とも話ができる。あんたの力は私だけじゃなくて、全国の桜のために授けられたんだよ、きっと。だったら彼らの為に使うしかないじゃないか』
ヤヨイ様の言葉を聞いて僕は目から鱗が落ちそうになった。他の桜と会話をするなんて考えたこともなかった。彼女の言う通りだ。
『ヤヨイ様、ありがとうございます!僕、他の桜と会話できるか試してみます!』
『ああ、行っといで!』
ヤヨイ様はそう言うと、優しく送り出してくれた。僕は山を下りて、そのまま村中の思い当たる桜の木を尋ねて回った。
『あの……僕の声、聞こえますか?』
『……君、もしかして私の言葉が分かるのかい?』
これは村役場の近くにある若い桜だ。人間で言えば青年ぐらいの年だろう。
『えっ⁈お兄さん、私の声が聞こえるの⁈』
これは僕が昔よく遊んだ公園にある、幼い桜だ。幹も枝もまだ細く、成長が楽しみな桜だ。
『坊主、お前が話し掛けてくれるのを待っておったぞ』
これは小学校にある中年の巨木だ。その大きな幹で子供達のことをいつも見守っている。
『お待たせしてしまってすみません……!』
僕は彼らに丁寧に挨拶をし、言葉を交わした。彼らはすぐに悩みを打ち明けてくれた。
(そうだ。僕は桜の木と人間の「架け橋」になろう)
彼らの声を聞いている内に、僕は自分の使命を自覚したのだった。
(本当か⁈咲人、お前凄いじゃん!)
ヤヨイ様以外の桜と話ができることに、一番驚いたのは仁哉だった。村長と村人達もとても驚いていた。
(僕は日本全国の桜と人々を繋ぐ「架け橋」になりたいんです)
(素晴らしいね!)
(まさか野樹くんがヤヨイ様以外の桜とも話せるとは……)
(咲人くん、凄いじゃない!)
みんな絶賛し、僕の夢を応援してくれた。そして、僕のことを口コミで周りの人達にアピールしてくれた。僕は隣町に出て、耳が聞こえなくても雇ってくれるバイト先を探した。昔通っていた学校の近くにある小さな定食屋で、厨房で簡単な料理や皿洗いをするバイトを募集していた。訪ねてみると店主も奥さんも障害に理解のあるとても良い人で即採用が決まった。僕はそこでしばらくの間バイトをしながら、活動資金を貯めることにした。
最初の内はバイトとの両立で大変だったが、村の人々のアピールのおかげで僕の噂は少しづつ全国に広がった。当然中にはインチキとか胡散臭いとかいう人もいた。けれど、僕と対話し、悩みを解消して元気になった自分の街の桜を見た人々が次々に僕の活動を認めてくれるようになった。ヤヨイ様は僕の活躍を心から喜んでくれた。
『良かったねえ、咲人』
『はい、ヤヨイ様のおかげです。本当にありがとうございます』
ヤヨイ様は嬉しそうにそう言ってくれたのだった。
* * * * *
「桜まつり」は毎年行われていたが、ヤヨイ様の容態が悪化した時から開催することがなくなってしまった。村人達は基本的に気遣いのできる人達ばかりだが、それでも中には心無い人間もいる。
特に隣の町や遠方からやってきた観光客や都会の人々のマナーは最悪だった。彼らはまつりにやってきては食べ物を飲み散らかし、ゴミをその辺に放置したまま去って行った。ヤヨイ様のすぐ下で宴会を開き、酒やたばこを煽って大騒ぎをした。村が不便なところにあること、まつりの存在自体があまり知られていないことでこのまつりは他の花見会場に比べると訪れる客は少なく、いわゆる穴場だった。彼らはそれをいいことにやってくるのだ。
昔はこういう人達が少なかったが、年々増えるようになっていった。ヤヨイ様の容態があまり思わしくないのも彼らがヤヨイ様の環境を汚していったからだろうとも言われている。村長と村人達は頭を悩ませた。できることなら「桜まつり」を続けたい。しかし、これ以上続ければヤヨイ様の命に関わるだろう、と。そして、彼らは苦渋の決断をした。「桜まつり」の開催をやめることにしたのだ。
僕はこの時、既に「桜の旅人」の仕事をしていたので、村の意向をヤヨイ様に伝えた。彼女はとても悲しんでいた。それと同時に、村長と村人達がどれだけヤヨイ様のことを案じているか、想っているのかということを実感して涙を流していたのだった。そんな「桜まつり」が今年復活する。開催日は4月下旬。今から約1か月後だ。かなりの急ピッチで進める必要がありそうだ。
(村長、まつりのPRはどうしますか?全国に発信する為にいつもポスターとか作ってますけど……)
村人の1人が村長に尋ねた。
(やらんでいい。また厄介な輩が紛れ込むと困るからの。今回は村だけで行う)
一同は大きく頷いた。言わずもがな、ヤヨイ様を守るためである。
(じゃあさ、屋台とかも用意しないといけないな!)
仁哉が腕まくりをしながら言った。はりきっている様子だ。
(うむ。そうじゃな)
(俺は屋台の担当やります!他にも宣伝の担当者とか決めた方がいいっすよね?)
(そうじゃな。時間があまりなくて申し訳ないが、皆で手分けしてやってもらえるかの?野樹くん、今決まったことをヤヨイ様に伝えてもらえるかね?)
(分かりました)
村長の言葉に僕は頷いた。再びヤヨイ様の元を訪れた時には既に辺りは薄暗くなっていた。
『ヤヨイ様、嬉しいお知らせですよ。桜まつりが復活することが決まりました』
『なんとまぁ……!』
ヤヨイ様は感嘆の声を上げた。僕は開催日時など詳細を伝えた。
『今回は村だけで行います。他の地域からは来ないので安心してくださいね』
『おお、そうかい。沢山の人が来てくれるのは嬉しいんだけどねぇ。やっぱり環境を汚されるのは嫌だからねぇ』
ヤヨイ様は少し困ったようにそう言ったのだった。
桜まつりの準備は順調に進んでいた。環境保全(ヤヨイ様をお世話する)チーム、屋台や縁日の手配をするチーム、宣伝や村人達の対応をするチーム、の3つに分かれていた。僕は当然、環境保全のチームだ。屋台や縁日は村人達が担当することになり、必要な道具や材料の発注なども行われていた。民宿を営む仁哉もこのメンバーの1人。彼は焼きそばの担当をするとのことだった。
(美味い焼きそば沢山食わしてやるから、楽しみにしてろよ!)
彼はそう言って満面の笑みを浮かべていた。桜まつりの開催案内も回覧板や掲示板などを活用して無事に村人達全員に知れ渡ったようだった。僕達、環境保全のチームもヤヨイ様のお世話の他、まつり会場の整備をするなど順調だった。
その翌日、僕は作業の合間にヤヨイ様の下で仁哉とお昼ご飯を食べていた。メニューは彼が作ってくれたおにぎりだ。
「まつりが復活することになって良かったよな」
(そうだね!)
「お前がいてくれるおかげでヤヨイ様と俺達はいつも繋がっていられるんだ。咲人、本当にありがとな。親父や母さんもいつもそうやって言ってる」
鮭おにぎりを頬張りながら、仁哉が言った。ヤヨイ様の近くにいる時、彼は僕とヤヨイ様の両方に分かるよう口語と手話を同時に行ってくれるのだ。
「ヤヨイ様のことは本当のばあちゃんだと思ってるのさ。直接話せなくても、咲人がそのまま通訳してくれるからさ。すっげー親近感湧くんだよな!」
(そっか。ありがとう!)
仁哉の言葉にヤヨイ様はこう答えた。
『まぁ、嬉しいこと言ってくれるね。私にとってもあんた達は孫みたいなもんさ』
ヤヨイ様にとっては僕達だけではなく村の子供達が皆、孫のような存在なのかもしれない。
「咲人。絶対、桜まつり成功させような!」
仁哉はそう言うと拳を作って決意に満ちた笑顔を浮かべた。僕は大きく頷いたのだった。
村はもうすぐ4月を迎えようとしていた。気温も徐々に上がっていき、残雪も道端に僅かばかりとなった。春の暖かな日差しの元、ヤヨイ様の木の芽が少しづつ膨らみ始めてきた。僕は毎日ヤヨイ様に会いに行っていたが、花が咲くのを僕もヤヨイ様自身も楽しみに待ちわびていた。
しかし、桜まつりを目前にした僕達にある試練が訪れようとしていた。前の晩からテレビなどではしきりに大雪警戒を呼び掛けていた。村中に不安が広がった。
(ヤヨイ様は何とかこの冬を乗り越えたんじゃ。それなのに……)
(その上から大雪なんて降ったら大変なことになっちまうぞ)
村長と仁哉の言葉に村人達は俯いてしまった。二人の言葉に、悪いことを想像してしまった僕は思わず身震いをした。その日は皆、不安に苛まれながら眠りについたのだった。
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