5話・芙蓉祭と最終期限(デッドライン)
今日、彼は密かに伝説となる。
漸く暑さの和らいで来た、10月中旬。
定期テストも終え、学内はとある行事に向けて盛り上がりつつあった。
「だーかーらっ!斉木先輩の望む規模は、今からじゃ間に合わないんですって!!」
バン、と机を激しく叩く音がする。
それは……『手芸部』とフェルトに刺繍され、余りのスペースに同じくフェルトで出来たクマやウサギの付いた、可愛らしい看板がある教室からだった。
「えー大丈夫だって。あたしも頑張るし、サトちゃんだって居るんだから!」
「ですからっ、私は今年芙蓉祭委員になって…他にもやることいっぱいなんです!!」
もう一度勢い良く机を叩いたのは、手芸部副部長…1年の
ポニーテールに纏めた髪を揺らし、眼鏡の奥の瞳を鋭く目の前の人物に向けている。
それに対し、睨まれている張本人。手芸部部長の3年、
「実質……我が手芸部は!私と斉木先輩以外、幽霊部員も同然!無理ったら無理なんです!!」
「決め付けは良くないよっ!」
今度は、麻鈴が机を勢い良く叩いた。
「何事も、努力する前から諦めちゃいけない!ほら、くまごろーだってそう言ってるよ!」
言いながら、麻鈴は自分の隣に座らせていたくまのぬいぐるみを手に取る。
余談だが…この『くまごろー』は彼女が幼い頃から、とても大事にしているぬいぐるみの1つである。
「いい加減アンタも中3なんですから、痛いこと言わないで下さいっ!ぬいぐるみは喋らないっ!!」
「えー喋るよ。サトちゃんには聞こえないだけ!」
「うわああぁ!何でこの人、こんなに不思議ちゃんなんだろ!!」
部長がこんなんだから…部員は来なくなるし、しっかりしないといけない!
その思いで入部早々副部長を勤めて来た里依は、そろそろストレスによる胃痛が限界だった。
もうすぐ、もうすぐ麻鈴は部活を引退する時期となる。
それまでの辛抱だ…と、自分を奮い立たせた。
「そんなに言うならサトちゃん、あたしには名案があるんだよ!」
じゃじゃーんと、効果音と集中線が付きそうなくらいオーバーに両手を広げて立ち上がった麻鈴は、里依の手を引いて手芸部の教室を飛び出す。
「ちょちょ、斉木先輩、戸締まり!!」
「大丈夫大丈夫!」
もう、彼女は目的を果たすまで誰にも止められないだろう。
そう思った瞬間、また里依の胃が痛んだ。
‐‐――
今、里依は非常に肩身が狭かった。
と言うより、そこは本当に学内かと思うくらいに空気が重い。
そんな中でも、いつもと変わらず呑気で居られる麻鈴が、ある意味羨ましい。
「そう言う訳なの。ね、冴子。良いよね?」
(こ、ここが噂の生徒会室…!!)
歴代の生徒会メンバーの中で、最も厳格と言われる今期の生徒会。
職員室に入るよりも居心地の悪いその場所は、余計里依にストレスが突き刺さる。
まさかあの麻鈴が、副生徒会長と友人関係にあるだなんて…全く想像していなかった。
「全く……アンタはいつも無茶苦茶なんだから」
小さい溜息と共に鋭い視線を向けて来た冴子に、里依は自分が対象で無いと分かりながらも縮こまる。
「居るわよ。ちょうど良いくらいに、芙蓉祭が近付こうと暇な連中がね。ただ、裁縫の腕は保証出来ないわ」
「良いよ!下手な鉄砲、数打ちゃ当たるだよ!」
「まぁ、麻鈴が良いって言うなら……分かった、手配しとく」
「いざとなったら真澄も使うし!」
「あのねぇ、真澄だってイラスト部の部長………でも、麻鈴の頼みなら断らないわね…」
そこで初めて、冴子の口元に笑みが浮かぶ。
含むのは殆どが呆れ。しかし里依の中では、大分空気が解れたように感じた。
‐‐――
「おはよーございますっ!」
いつにも増して、機嫌良さ気な直がLPGの教室へとやって来た。
そこに居たのは2人。神は最早居ないのが当たり前なのでともかく、黒髪の三つ編み少女・李安の姿が見当たらないことに疑問を感じる。
「ああ、李安なら珍しくクラスの方に居るぜ」
直の声に出さぬ問いに答えたのは、朔夜だった。
「そっかぁ!通りで静かだと思いましたよ、怜時先輩が」
そう言って、直は隅の方で心なしか元気無さそうに机に伏している怜時に視線を向ける。
「別に、李安が居なくて寂しいとか無いしー。神ちゃんが居なくて寂しいだけだしー……」
「大河内が居ないのなんて、いつものことだろーが」
体は机に預けたまま、顔だけを横にしてこちらを見て来る怜時に対し、大袈裟なくらいに溜息を零す朔夜。
「騒がしくされんのも困るが、静か過ぎるのも困るもんだな…」
「そうですね!」
そのとき、ガララと教室のドアが開いて…お待ちかねの人物がやって来た。
「李安先輩!」
「ごめんごめん、芙蓉祭の準備に手間取っちゃって…」
「大変です先輩、怜時先輩が元気ありません!」
「怜時が?…………あー、別に良いんじゃない?たまには」
「………うわーうるさいのが来たしー…」
「何だって!?」
結局はいつものやり取りが開始され、安心したように直はニコニコと笑う。
「やっぱり、元気が1番ですね!」
「元気過ぎんのも問題だ……」
室内が見事に荒れ始め、ブチ切れる寸前になった朔夜が文句を言おうと大きく息を吸い込んだ瞬間。
《3年の小野寺くん、至急生徒会室まで来て下さい》
校内放送が入った。
「………だからっ、放送使って呼び出すなつってんだろバカ種田が!!」
標的を変え、校内放送の声の主に当たり散らすものの…聞こえる筈は無い。
「おかげで、俺はしょっちゅう生徒会に呼び出される問題児じゃねーか」
「別にそこ、間違ってないよねー」
「そうね」
「よーし、てめぇら歯を食いしばれ」
今度は3年全員でじゃれ合い始め、嬉しそうに見守る直だった。
‐‐――
「呼び出しには、迅速に対応して貰いたいわね」
今ここ、生徒会室には…副生徒会長に注意を受ける問題児の姿があった。
「うっせーよ、俺がいつでも暇だと思うんじゃねぇ」
「何なら、今すぐにでもLPG解散命令を出すわよ?」
「ああもう、用件は何だ!?」
誤魔化すように本題へと持って行った朔夜に溜息を付きながらも、時間の無駄だと思い直して口を開く。
「依頼よ。私の友人からの」
「またてめーの知り合いかよ、種田。身内贔屓してんじゃね?」
「訳の分からないこと言わないで頂戴。名前は斉木麻鈴、手芸部部長よ。前に渡した資料にあったでしょう?」
「ああ……」
と…思い出したフリをしてみるものの、ちっとも浮かんで来ない。
「依頼内容は、芙蓉祭までぬいぐるみ制作の手伝い。手芸部の展示に必要な分よ」
「ぬいぐるみ…」
「正直、貴方達が加わったところで何も手助けにならないと思うけど……あの子がそれでも良いって言ったから。ま、せいぜい頑張って頂戴」
その、冴子の物言いが朔夜のプライドに火を付けた。
「上等だ。種田、その言葉後悔しやがれ」
鋭く睨みを効かせ、口元に笑みを浮かべて朔夜は生徒会室を出て行く。
そんな彼に対して冴子はまた盛大に溜息を吐き、その場に居ながらも何も言わず2人を見ていた哲は、笑いを堪えていた。
「彼は、自信があるようだな。種田くん」
「………そうですね…」
哲は呆然としている冴子に『とある事実』を伝えようと口を開くも、それは音に出る前に止めた。
このまま冴子に黙って置くのも、面白いと。
哲にしては、少々茶目っ気のある行動に出たのだった。
‐‐――
数日後。
朔夜は1人、手芸部部室の前に居た。
ドアに付けられたファンシーな看板に若干怯みながらも、ノックをして中へと入る。
「はーい。って、あ!確か1年のとき、同じクラスだったよね!?」
顔を合わせて、ほんの数秒。
早速、麻鈴の勢いに圧されて何も言えない朔夜を気にすることは無く、彼女は喋り続ける。
「そうだそうだ、小野寺くん!だよねっ!?」
取り敢えず、自分の名前を呼ばれてそれを肯定するように何とか頷くと、麻鈴はますますヒートアップした。
「いやぁ、相変わらずキレーな金髪だね!自分で染めてるの?大変じゃない?」
「え、その…」
「いい加減にして下さい、斉木先輩!!」
麻鈴の後ろから荒げた声と、バン…と大きな物音が聞こえて驚いた朔夜は、僅かに肩を揺らす。
一方の麻鈴はいつものことだからか、彼女の元々の性格からか、全く気にする様子は無い。
「時間が無いってこと分かってます!?無駄口叩いてる暇があったら、さっさと作って下さい!!」
「まぁまぁサトちゃーん、ほらアレだよ?小野寺くんが、生徒会からの助っ人だよ!」
若干語弊があるがかなり細かいことなので、朔夜からしてみれば殆ど初対面扱いになる相手にわざわざ説明する気にはなれない。
「ホント、どんな人が来るのか心配だったけど小野寺くんなら大丈夫だね!だって1年生のときに…
「えっと、そろそろ本題入って良いか?」
放って置くといつまでも喋り続けそうなので、いい加減釘を刺す。
慣れない相手に気を遣うのも疲れるが、この手芸部部長と言うのはかなり厄介だ。
ペースに呑まれたら、終わる。
「要は、ぬいぐるみを作れば良いんだよな?だったら……毎日わざわざここに来る必要は無いってことだよな?」
「まぁ……誰にも教わらずに、本だけを見て作れる技量があればですけど…」
里依は麻鈴には喋らせまいと、金髪で目付きの悪い如何にも不良と言った風貌の先輩に…胃を痛めながらも立ち向かう。
そもそも、何故あの生徒会からの助っ人がこのような人物なのだろうか。
まぁ確かに…里依の予想では、彼はクラスの芙蓉祭準備などは参加せず、暇そうに屋上で煙草を吸っていそうだが。
途中里依の偏見が混じっているが、とにかく彼がぬいぐるみを作る姿は想像付かなかった。寧ろしたくなかった。
「それなら心配ねぇ。んで、取り敢えず俺が代表でここに来たけど…あと数人手伝ってくれる奴が居るから…」
それを聞いて、里依は納得した。
そうか、不良だから都合の良いパシリが居るんだ。と。
その考えが思い付いて、ますます里依の中で勝手な朔夜話が出来上がって行く。
恐らく、この不良は何かしらの弱みを生徒会に握られている。
それにより…こう言った生徒会からの頼まれ事には応じるしか無い。
しかし不良には、力で押し切れば言うことを聞くようなパシリ達が居る。
そんなパシリ達に任せ、彼は何もしないのだろう。
「うんうん!小野寺くんが居るなら心配要らないよ、サトちゃん!」
麻鈴の心配無いと言う言葉は、パシリの中に裁縫が得意な生徒が居ると知っているからだろう。
正直…彼に裁縫を教える展開になることは避けたかったので、有り難い。
「じゃあ小野寺くん、これ!有りったけ渡すけど、足りないものがあったらあたしに言うか、自分で買ってくれて良いよ。でも買った場合は、レシート見せてね。手伝って貰えるんだもん、材料費くらいちゃんと払うから!」
「ああ。ありがとな………えっと、斉木」
「うん!!」
名前を間違えていないことに安堵した朔夜は、麻鈴から適当に材料と作り方の本を貰って、手芸部部室を後にした。
‐‐――
そして、いよいよ芙蓉祭当日がやって来た。
展示、演劇、ゲーム。それぞれクラスの出し物と、部活動の出し物。
中学校の文化祭なので飲食は扱っておらず、また開催も平日の1日のみのため、生徒以外の来客は保護者くらいなものだ。
それでも、学校の楽しい行事の1つ。
学内の熱気は、かなり高かった。
「李安先輩、クラスの劇に出るらしいですね!」
そんな中、相変わらずいつもの教室に集まり変化は無さそうに見えるLPGの面子だが、何だかんだ……特に、今年が初めての芙蓉祭である直はかなり浮かれていた。
「ちょ……直、それ何処情報よ!?」
「新堂先輩伝いに、園先輩からです!」
「っ、実秋ー!黙っとけっつったのにアイツー!!」
悔しそうに地団駄を踏んでいる李安のところに、何やらニヤニヤと笑みを浮かべて近付く怜時。
「わー李安が赤っ恥掻くところ、見に行かないとー」
「あーもう!コイツ、絶対言うと思った!!」
恥ずかしさのあまり、怜時の胸倉を掴み殴りかかろうとする李安を、直が一生懸命止めている。
そんな光景を醒めた目で見つめている神が、自分の隣にも無駄にニヤニヤしている人物が居ることに気付いた。
「気持ちわりーんだけど」
「おお、居たのか大河内。珍しいな」
「………兄貴が、大学休んで見に来るんだとよ。私は特に何もしてねーって言ったのによ…」
「へぇ、大河内って兄貴居たんだ」
「……まぁな」
結局…朔夜の怪しい笑みについては尋ねる気にならず、開始時間前から校門で待ち続けているであろう真沙都が、大声で自分の名前を叫び始めない内に顔を出そうと…のっそりと神は動き出した。
流石に、身内が不審者として警察に通報でもされたら困る。
「大河内、手芸部見に行けよ」
「は?行かねーよ」
その言葉に…朔夜に呼ばれて登校した際、唐突に裁縫をさせられたことを思い出す。
しかしあまりの不器用さに、戦力外と見なされてそれ以上のことはしなかったのだが。
どうやら手芸部は、依頼が絡んでいるのだと神は気付いた。
「……気が向いたらな」
「おう!」
やけに上機嫌な朔夜に…ニヤニヤの原因はこれか、と思った。
‐‐――
「新堂先輩!」
3年5組の前で、何やら不安そうに視線を動かしている文子を見付け、直は嬉しそうに近付く。
「本日はお誘い頂き、ありがとうございます!」
「良いんだよ。実秋も、沢山の人に見に来て欲しいって言ってたからね」
朗らかな笑顔を浮かべ、文子は直を連れて5組の教室へと入る。
そこには、手作り感溢れるカラフルな衣装を着た実秋の姿があった。
「文子!」
「凄いね実秋、似合ってるよ」
「もー褒めたって何も出ないんだから!ま、ジュースの1本くらい奢っても良いけどね」
「あはは、ありがとう」
実秋が、文子の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
文子も普段の何処か固い笑顔では無く、心の底から笑っているように感じて。
正に…親友の呼び名が相応しい2人のやり取りに、直からも笑顔が零れる。
「あ、もしかしてこの子が…」
「はい!1年2組、宝条直です!いつも、新堂先輩と李安先輩にはお世話になってます!」
「そうだ、李安とも知り合いなんだっけ!待ってて、無理矢理連れて来るから!」
実秋は先程文子にしたように直の頭を撫でてから、教室の隅の方へと歩いて行く。
段ボールで出来た簡単な衝立の向こうから、李安の滑舌の良くない声が聞こえたかと思えば。
真っ黒な衣装を纏い、髪を下ろした李安が不機嫌そうに現れた。
「わぁ…!」
「ちょっ、あんまジロジロ見ないでよね直っ!」
ふわふわと柔らかい天然パーマの黒髪と、真っ赤なルージュがいつもより大人びた印象を醸し出す。
実秋の衣装よりややぴっちりとしていて、胸元には宝石を模したプラスチックの飾りが付いていた。
「どうよ?直。我がクラスの衣装係の仕事ぶりは」
「素敵だと思います!」
「これなら李安の好きな人とやらも、イチコロね!」
「え、李安先輩好きな人居るんですか!?……ああ、怜…
「うわああぁ!実秋、本気で恨む!!」
李安が半分涙目で繰り広げる攻撃を…実秋はダメージ最小限に受け止め、直はちょこまかと交わし、文子はとばっちりを喰らう。
そうこうしている内に開演時間となり、5組の2人はステージ裏へと消えて行った。
「実秋が主人公の妖精役で…孫さんが最後の方に出て来る最大の敵、悪の妖精役なんだって」
「へぇ!李安先輩、悪役似合いそうですもんね」
「それ、何気に失礼じゃないかなぁ……で、最終的には悪の妖精とは和解して、仲良くなるみたいだよ」
「何だか、本当にあの2人みたいな話ですね」
李安の荒んだ心を癒した、実秋の行動。
ぶっきらぼうながら、妖精に歩み寄る悪の妖精の姿が…話でしか聞いたことが無い2人の過去を、彷彿させる。
今、こうしてクラスの出し物に参加し笑顔で居る李安と。
教室の隅の方。真剣に、そして穏やかな笑みを浮かべながら劇を見ている怜時の未来を思って、直は少しだけ羨ましさを感じた。
‐‐――
手芸部部室。
いよいよ待ちに望んだ芙蓉祭を向かえ、この場所も普段では考えられない程の盛り上がりを見せていた。
「わぁー!これ、すっごいー!!」
まだ少し制服姿が馴染んでいない、1年生と思われる女子グループが展示されたぬいぐるみを見て感嘆の声を上げる。
まるで既製品を思わせる、しかし手作業による丁寧な縫い目で仕上げられたその出来映えに…足を運んだ人々は皆、魅了される。
「このぬいぐるみ、部長さんが作ったんですか?」
「そーだよっ!」
えっへん、とロングヘアを揺らして麻鈴が胸を張る。
首から下げられた名札はフェルトで出来ていて、平仮名で『しゅげいぶぶちょう さいきまりん』と書かれていた。
そんな…麻鈴がちやほやされている姿を、教室に一角に自分の作品を展示している里依が恨めしそうに睨んでいる。
「確かに……芙蓉祭委員の仕事の方が忙しくて、ぬいぐるみ制作の手を抜いちゃったけど…けど、ここまで差が出る必要は無い筈っ…!!」
里依の作品に足を止める者は未だ居らず、横目でチラリと見られるだけ。
しかし、今回は麻鈴だけが里依の胃を痛める原因では無かった。
「真ん中のこれも、部長さんの作品ですか?」
「ううん、違うよ!」
教室のど真ん中を、長方形に大きく陣取る複数……いや、見方を変えれば1つの作品。
校舎は勿論、校庭や小さな花壇すらも『浜中中学校』が詳細にフェルトや刺繍で再現されている。
しかし…所々に立つ制服を着た生徒は、二頭身の動物達で表現された。
これは、作者が手芸部部長が動物のぬいぐるみが好きであろうと推測したからであることは、余談だ。
「これを作った人は、誰なんですか?」
「ふっふーん、それはね……匿名希望だから教えられないんだよね!」
いちいちリアクションがオーバーな麻鈴に圧倒されつつ、質問をした女子は残念そうに眉を下げる。
そんな表情に、つい口を滑らせたくなってしまう麻鈴だが……これは作品を展示する上で、作者の朔夜に強く言い聞かせられたことだった。
――‐‐
『え、ちょ……何ですかこれっ!?』
朔夜が初めて、手芸部部室を尋ねた翌日のことだった。
早速小さいけど作品を作って来た…と言う朔夜の言葉に、大した期待も無しにそれを受け取った里依が声を上げる。
手の平サイズの、フェルトで出来た犬のぬいぐるみ。
その綺麗な仕上がりと、愛らしい顔に里依の心が癒される。
『さっすが小野寺くん!やっぱり上手だね!』
『普段縫い物するけど、こう言うもん作ったのは初めてなんだ…』
頬を染め、少し照れくさそうに言う朔夜に…麻鈴はニコリと笑顔を向ける。
『いやいや、あたしはね……小野寺くんが1年生のときに縫った物を見て、コイツは出来る!って思ったよ。』
朔夜が、1年の頃。
入学した時点で金髪ではあったが、まだ1学期の段階では殆どの授業に参加していた。
そんな中の、家庭科の裁縫の時間。
配られた布の切れ端に、ひたすら教わった手縫いを施す地味な作業。
それを5分で終わらせ…尚且つ完璧に仕上げた瞬間を、麻鈴は隣の班で目撃していた。
『あの後、一生懸命手芸部に勧誘したけど…部活に入ってる暇無いって断られたんだよね…』
『あーお前、あんときの奴か』
朔夜の中で、漸く1年生の麻鈴が印象付く。
基本的にクラスメイトとの関わりは殆ど無く、こうして思い出すことが出来たのは…それだけそのときの麻鈴のインパクトが強かったからだろう。
『うん、でも!今回偶然にも、小野寺くんの作品を拝める機会を持てて光栄だよ!!』
『んー…まぁ、そんな期待されても困るんだけどな…』
裁縫は…数年母子家庭で育ち、仕事に追われる母親の代わりにと始めた家事で身に付けたスキルの1つ。
朔夜の中では、出来るのが当たり前になり…こんな風に、誰かに褒められ喜ばれるものでは無かった。
『ううん、小野寺くんなら大丈夫!楽しみにしてるね!』
『斉木…』
期待に応えたい。
そんな感情が芽生えたのは、恐らく2年前のLPG結成の頃以来だろう。
茶髪のツインテールを靡かせ、この浜中中学校の学内で初めて目を見て話してくれた人。
美芳野ミナモ。
彼女が居たから、今こうやって…LPGの活動を通して新しい経験が出来た。
‐‐――
「で、ちょっと張り切り過ぎたんだよな…」
朔夜は手芸部部室を見に行かず、寧ろ芙蓉祭を楽しむこと無く、いつもの教室で1日を過ごしていた。
去年はミナモに連れられ、朝から晩まで引きずり回されたことを思い出す。
「……もうすぐ、終わりなんだな」
朔夜は3年。
あと半年もしたら、此処から居なくなる。
最初は大嫌いだった、学校。
ミナモや他のLPGのメンバーのおかげで、少しだけ好きになれた。
「後を引き継ぐのが大河内ってのが若干心配だけど、まぁ宝条が居るから大丈夫だろ」
そんなことを口にしながらも、朔夜が本当に心配しているのは自分のこと。
この、心地好い空間を出て…果たしてやっていけるのかと。
「ま、考えてもしゃーねーか」
ふと、暗幕のようなカーテンを少しだけ空けて外を見つめる。
そこには楽しそうに騒ぐ神と兄の真沙都、直と文子、実秋、李安、怜時の姿があった。
‐‐――
「お疲れ様、種田くん」
「ありがとうございます、会長」
グラスの代わりにアルミ缶同士をぶつけて、乾杯をする。
辺りはすっかり暗くなり、校内に生徒の姿はこの2人以外無くなっていた。
「余談ですが会長、小野寺くんにはびっくりしましたわ…」
冴子も友人である麻鈴に誘われ、手芸部を見に行った。
そのときコッソリと、『真ん中のは、小野寺くんが作ったんだよ』と耳打ちされたときには心底驚いた。
凄い作品だと言うのは一目で分かったし、何より展示を見に来ている誰もがそれに釘付けになり…制作者が気になると囁いているからだ。
「あの見かけで、裁縫が得意だなんて思いもしないわよ……もしかして会長は、知っていたんですか?」
「ああ。彼とは、1年のときに同じクラスでね。何度か彼の家庭科実習の姿を、目撃していたんだ」
哲は思い返す。
人を寄せ付けないようなオーラを纏い、何をしていてもつまらなそうな仏頂面。
そんな態度なのに、手先の動きは繊細で。
まるでそれが当たり前だと言うように、器用に。
「さて…残った書類を片付けら帰ろう、種田くん。済まなかったね、こんな時間まで」
「いえ」
手を動かしながら、哲は思う。
この学校では2月に生徒会選挙が行われ、3月から卒業までに引き継ぎをして、新メンバーには4月から本格的に動いてもらうことになる。
それ故に、自分の後の生徒会の様子を実質見ることは出来ない。
(新しい生徒会と、新しいLPG。上手く相容れると良いんだが…)
自分が考えても、仕方ないと。
そんな気持ちは、書類と共に引き出しにしまい込んで…鍵を掛けた。
5話終わり。
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