3話・僕の魔女(ウィッチ)




輝く、銀色の髪。

くすんだ、灰色の髪。


彼と彼女は、似ている。

理由は違えど。

目的は違えど。


   女性

強い(だれか)を、求めて。

   誰か




灰色の髪の少女は背中に箒をくくり付け、颯爽と歩く。


彼女の名は、大河内神。

独特の風貌と滲み出す拒絶のオーラ。

それに感化されるのか…彼女に好意的に近付く者はそうそう居ない。


と、神は誰かとすれ違う。同じ毛色の少年。

しかしそれは、彼女と違いくすんだ灰色と言うよりも、輝く銀色と言う表現が似合う。そんな少年だった。

特に他人に興味を持たない神は、もちろんそのまま何事も無く、彼の姿形を何1つ気にすること無く、その場を去ろうとした。


「ウィッチ…」


しかし、ふいに耳に入った彼の呟きに、何故か背筋が凍り付く。

英語が最も不得手な神には、ウィッチ……『Witch』が魔女を示していることは理解出来なかったのだが。

それでも、その言葉が自分に向けられているだろう……それは分かってしまったのだった。




‐‐――


日陰に埋もれた、無名の教室のドアが大きく音を立てて開けられる。

中に居たお馴染みの面子が、一斉に音のした方に目を向けると、いつもの無表情に僅かに怒りを含んだ神が立っていた。


「よ、珍しいな大河内。呼んでもいないのにここに来るなんて」


だからと言って、誰も臆することは無かった。

彼女が短気なことは皆理解しているので、正直いつ怒っていても不思議に思わない。


「そもそも、大河内先輩が何も無いのに学校に居るのが珍しいですね」

「そうね、明日は箒が降るわね。神だけに」

「何ー?神ちゃん来たのぉー?」


小学生にしか見えない中学生・直と、元不良・李安の会話に反応し、先程まで机に伏せて寝ていた見た目は知的、中身は子どもな怜時が一気に起き上がる。

間の抜けた声の割に、俊敏な動きで神に抱き着こうとして来た怜時を、彼女はいつも以上の力で吹き飛ばした。


「ぎぎゃう!!」


毎度のことながら奇声を発し、地面に伏す怜時を見下す神の目は、獣のそれに近かった。


「おーおー、荒れてんな大河内…」


最早、怜時の体の心配をする人物はここには居ない。

まるで最初から存在していないかのように振る舞う4人の傍らで、怜時は力尽きた。


「うぜー奴見た」


少しは気が紛れたのか、それとも誰かに言わないと気が済まないのか、手近な椅子にどっかり座り込んだ神は、珍しく会話をしようとする。

普段は、話し掛けても殆ど会話は続かないのだが。


「何、そんでぶちのめして来たの?」


乱暴な言葉を、何の躊躇らいも無くサラリと口にする李安には、やはり《毒蛇の姫君》の名残があるようだ。

勿論誰もそんなことは気にせず、話は続く。


「ケンカ売られた訳じゃねーから。つーか、アイツ気味悪い。天音堂みてぇ」


そこで皆、彼の存在を思い出して床に倒れてる怜時を一斉に見た。

未だ動かぬ怜時だが、やはり4人は直ぐに興味を失って話を戻した。


「つまり、視界に入れるのさえ嫌だから…ケンカなんてもっての他ってことね」

「ああ」



「心外だな、ウィッチ。まぁでも、興味を持ってもらえないよりはマシかな」



突然のことで、誰もが理解が遅れた。

初めて聞く声。

少なくとも、この閉鎖された空間の中では確実に。


中性的だが、女性寄り。

しかし男らしい低さもしっかり含んだ、聞くものを惹き付ける……不思議な魅力を持つ、音。


「初めまして、LPGの皆様。僕は社誠里やしろせいりと言います」


肩より少し上で切り揃えられた銀髪を僅かに揺らし、決して笑顔を崩さず優しい声色で名を告げる。

彼の右目は、神とは別の手段で隠されていた。

あまりにも不自然に、右側だけ伸ばされた前髪。

それは透けそうで、しかし隠した目を透かすことは無い。


「お、前……いつの間に…」


朔夜が、呆けた顔のまま、しかし何とか言葉を紡いだ。

まるで、今まで空気に熔けていたかのように音も無く現れた誠里に。

未だ他の者は、言葉を発すると言う行為を、思い出せていない。


「さぁ?いつでしょうね?」


全く揺るがぬその表情。

それが段々と、微笑んでいるのか、それとも只…口許を吊り上げ、目を細めているだけなのか分からなくなる。

分からなくなる、その前に。

神が箒を構えて、誠里に向かって、駆けた。


息を呑む、音。

それ以外は全て、無い。

世界が、漸く音を思い出した頃には。

神の箒を持った右手が、ダラリと垂れ下がっていた。

否、『箒を持っていた右手』が。


「そう言う好戦的なところ、とても魅力的だな」


微笑ったまま、誠里は掴んでいた神の箒を『はい』と、わざわざ彼女の右手を持ち上げて握らせる。

すっかり放心してしまった神は、必要以上の誠里の接触にも、無反応だった。


「今はまだ、戦うときじゃない」


漸く、震えた。寒気が来た。口が動いた。


「触るな!!」


神が振り払い、素直にそれを離した誠里は…悲しそうな瞳で、彼女を見た。


「酷いなぁ」


言動、表情。彼は、全てが作り物のようだった。

人形みたいな美しさと、人形みたいな空っぽさで。

また、神に向かって、微笑う。


「やはり君は、僕の求める強い女性だよ。ウィッチ」


また、だ。

ゾクリ……緩く体を撫でられるような、不快感。

誠里の発する『ウィッチ』の単語は、神を酷く怯えさせる。

絶対的な、支配力を持って。


「明日の夜」


神の目の前に出される、白く細い誠里の人差し指。


「君に闘いを申し込む。学校の校庭に来て欲しい」

「勝手に決めんな」


辛うじて声は出たものの、神は未だに誠里を恐怖を感じていた。認めたくはないが。


「僕が勝ったら、君を嫁に貰う」

「嫁ぇ!?」


『嫁』と言う言葉に反応して、今まで押し黙っていた他の人間が各々間抜けな声を上げた。

神も、誠里の突拍子の無い発言に多少は緊張が解れたのか、口を半開きにして驚いている。


「僕は君が好きだ。だけど、君が本当に僕に見合う程の女性か……確かめたい。だから勝負をしたいんだ」

「訳分かんねぇ」

「それが一応、掟だからね」


ニコニコと…貼り付けたような笑みを浮かべる誠里に一瞥してから、盛大に溜息を吐き捨てた。


「バカらしい…」


興味が失せた…と言うように、神は誠里から視線を外す。

相棒と称する箒を背中に括り付け、その場から立ち去ろうと、彼の横を過ぎる。


「僕に負けるのが、怖いの?」


敢えて表現するなら、金縛り。

更に感情の起伏を失った声が、又もや神の恐怖を煽る。


「勝てば良いんだよ、君が。僕の伴侶になるのが嫌ならね」


正直、それが簡単だと神は思えなかった。

自分の攻撃をいとも容易く受け止めた彼が、口で言うだけの強さを持っていることは一目瞭然。

はっきり言って、負ける可能性の方が高かった。


「……上等だ。良いぜぇ、ぶちのめしてやる」


それが、逆に神に火を点けた。

誠里の挑発にも上手く乗り、只純粋に、強い者との闘いを求める。


「てめーのその自信満々の顔、どんな風に歪むか楽しみだぜ」

「決まりだね。じゃあ、明日夜7時に待ってるよ」


そう言い残し、教室を去って行く誠里と、自信を取り戻した神。

そして、そんな彼女の様子を見た朔夜は。

フ…と、笑った。




‐‐――


浜中中学校から、徒歩20分程の距離にある5階建ての薄茶色のマンション。

そこの3階……エレベーターの左側、1番奥に『大河内』と書かれた木製の表札の掛かる扉がある。

神は今、それの目の前に立っていた。

ズボンのポケットから鈍く銀色に光る鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ瞬間。

独りでに、ドアが開いた。


「はぶっ!?」


予想外の出来事に、防御する間も無くドアに顔をぶつける神。

それに気付かず、中から一人の青年が顔を出した。


「おっかえりぃ~じ・ん♪今日は学校に行ったんだな、偉いぞぉ!兄ちゃんが頭を撫でてやろう!!………どうした、神?顔を手で押さえて?そんなに兄ちゃんに出迎えられて嬉しいか?泣きそうか?」

「………………ふざけんじゃねぇ、バカ兄貴ー!!!!」




ソファーの上に胡座をかいて座り、ぼんやりとテレビを見ている神の耳に、台所でトントン…と包丁がまな板を軽快に叩く音が聞こえる。

神の兄・真沙都まさとが料理をする音だ。

髪を緑色に染め、派手な色の服を着てピアスやネックレスなどの装飾品を散りばめた外見に、真っ白なエプロンを纏って台所に立つ姿はかなり浮いて見えるだろう。

しかしそれは、まだ真沙都が幼く、見た目も大人しいときからの日課であるため、家族は全く違和感など無かった。


大河内家に、母親は居ない。

元々体の弱かった母親は、神を産むと同時にこの世を去った。

そして…その命と引き替えに誕生した子どももまた、大きな物を背負っていた。

灰色の髪、既に光を失った同じく灰色の右目。

そして、見えてはいるものの酷い乱視である左目。

特殊な状態で産まれた彼女だが、父親や兄に惜しみ無く愛され…少々ひねくれながらも立派に育っている。


「ご飯出来たぞ、神」


その声で、神はソファーからテーブルに移動する。

4人掛けのテーブルに2人で向かい合い、真沙都の『いただきます』の合図で食べ始める。

父親は仕事で帰りが遅いため、大河内家の平日の夕飯時はいつもこんな感じだ。


「今日兄ちゃんバイトだから、親父帰って来るまでにちゃんと風呂入っとくんだぞ?まーたかったるいからって、そのまま寝るんじゃないぞ?」

「うるせーな」


真沙都に頭をふわりと撫でられて、真っ白な頬を僅かに赤く染める神。

そんな神に小さく笑みを零し、真沙都は食べ終わった皿を片付け始めた。




‐‐――


漆黒の空に、漆黒の髪を揺らし……舞う女。

己よりも体格の良い男共を容易く地に寝かすその動きに、無駄も隙も一切存在しない。

白と黒ばかりで装う彼女だが…唯一、長い髪を緩く束ねているリボンだけが紅かった。


「誠里」


発せられた声は、酷く静かなものだった。

凛と響くそれは、静寂の中だからこそ余計に際立つ。


「はい、総支配」


次に、中性的な声が聞こえると同時……暗闇に銀が浮かび上がる。

口元に弧を描きながらも、髪に覆われていない左目は全く笑っていない。


「そちらは?」

「勿論全員仕留めましたよ」


そう言って、少年は紅に濡れた小刀を手元で揺らした。

本来は彼の髪のように輝く銀色であっただろうそれは……とっくの昔に艶を失っている。


「それでは帰りますよ」

「分かりました」


その声を最後に、一切の物音を立てず男女はこの場から姿を消した。




‐‐――


「お帰りなさい、桐鞍きりくらさん。誠里くん」


月明りに照らされた、金が揺れる。

両目を布で覆った…肩より少し長い金髪の青年は、突然現れた2人に動揺する素振りも無く淡々と声を掛ける。

それに、桐鞍と呼ばれた女性は反応を見せず。

誠里と呼ばれた少年は小さく微笑んだ。


「お風呂沸いてますよ、桐鞍さん」

「……そうですか」

「姉さん、先にどうぞ」


髪に隠れた両の目は、元々無表情な桐鞍の感情を余計に窺わせない。

姉とは対称的に笑顔の得意な……しかし冷たい笑いを浮かべる弟の労いに対して。


「分かりました。久雲くも

「はい」


意外にも素直に受け取り、金髪の青年の名を呼んだ。




誠里は自室へと消え、桐鞍は久雲と共に浴室へと向かう。

しかし脱衣所へと辿り着き、鏡に姿を現わしたのは……桐鞍によく似た幼い少女と久雲の姿であった。


「久雲」

「はい」


両目は漆黒の髪で覆われ、真紅のリボンを頭に巻き付けた桜色の着物を纏いし少女は、幼くも凛とした声で合図をする。

それに応えるように、久雲は少女の着物を剥ぎ出した。


余すとこ無く露わとなった、未発達の肢体が鏡に映し出される。

所々に付着した紅に、久雲は大袈裟に眉を下げた。


「ああ……桐鞍さん、貴女の美しい体に下衆の血がこんなにも。直ぐに流しましょう」


最後に頭のリボンを解き、久雲はシャワーを捻る。

水が程良くお湯へと変わってから、最初に久雲は桐鞍の髪を濡らした。


社桐鞍。

先程の大人の姿は幻術によるまやかしであり、実体はこの幼い姿である。

しかし実年齢はまやかしの姿と同じで、成人の女性。

これには特殊暗殺組織である社家の事情があり、彼女は女で第一子として生まれて来たばかりに……代々続く掟によって、身体の成長を止められたのだった。


「久雲。今日は留守番、ご苦労様」

「そのお言葉、大変光栄です。どうでしたか?誠里くんは…」

「……まだまだ、と言ったところですね」


社家の人間は、不思議な能力を持って生まれる。

例えば、桐鞍のように人に幻を見せる能力。

昔は忍の者と呼ばれていたこともあった。

そんな古くから伝わる能力は、例外無く第一子に強く濃く受け継がれる。

それ故に第一子は必然的に社家の長となり、心身共に強き女性を嫁に迎え入れ、子を授かり自分の後釜とする。

但しそれは、第一子が男児だったときのみ。


もし、第一子が女児だった場合。

女性として生きる権利を剥奪されるのと、同等であろう。

長い社の歴史の中…女は大人に近付くにつれ、能力が衰えて行くことに気付いたとある時代の長は、こんな薬の開発に挑んだ。

『身体の成長を止める薬』

いや、最初は『能力の衰えのみを抑止する薬』の開発を試みたのだが、最終的にどれだけのものを費やしても…そこまでの力を持つ薬は出来なかったのだった。


「そう言えば、桐鞍さん。誠里くんが花嫁候補を見付けたと」

「……それで?」

「明日、選定を行うと」

「分かりました」


髪も身体も清められ、今はバスタオルで水気を拭き取られている桐鞍は、鏡に映す己の姿を睨み付けて、一瞬。


「誠里は、まだまだ未熟者ではありますが……人を見ることには長けていると思います」

「はい」

「楽しみに、しておきます」


そう言って桐鞍は、外見にそぐわぬ無表情の中に……ほんの僅かだけ、笑みを浮かべた。




‐‐――


「……はよっス」

「大河内先輩、もう放課後ですよ」


いつもの教室で各々の時間を過ごしている4人は、神が入って来た瞬間何となく空気を緊張させる。

……いや、訂正しよう。3人は。


「おっはよー神ちゃん!今日も可愛いねー………っでああぁ!!!」


怜時だけは相変わらず、空気を読まず己の本能のままに突き進んで行く。

勿論、いつもと同じで神に箒で叩かれるだけだが。


「ふん……肩慣らし程度にはなったか」


神は空いている適当な椅子に座り、箒をじっと見つめ始める。

本人曰く、それは『相棒のメンテナンス』。

金具の緩みや汚れ、毛に埃が付いていないか等。

本来の使用目的とは、少々ズレた部分の整備をしているようだ。


「なぁ……大河内。大丈夫か?」

「ああ?」

「今日だよ、今日」


LPGのリーダーとして。

重い空気の中、口を開いた朔夜の瞳には……不安。


「アンタ、私を誰だと思ってやがる」


その、妙なくらい自信満々な神の姿に、朔夜は小さく笑みを零す。

破滅の魔女・大河内神は、そんな柔では無い。


「ま、怪我はすんなよ」

「な…!?」


幼い子どもを宥めるかの如く、緩く頭を撫でて来た朔夜に対し……尋常で無い程顔を赤らめる神。

何故なら、兄や父以外にこんなことをする人は今まで居なかったから。


「触んな!!」

「あ、わり。つい……」

「今私は忙しいんだ!近付くな!!」

「はいはい」


朔夜が離れたと同時、訳の分からない心の乱れを整えようと…神は箒の手入れに集中した。




‐‐――


時刻は7時、3分前。

神は校庭の真ん中に立っていた。

特に場所を指定されてはいなかったが、ここなら門を見渡せること。

そして、いくら暴れても問題無いスペースを確保出来ることから、自然と足を運んでいた。


「やぁ、思っていたより時間には正確なんだね。ウィッチ」


揺れる銀色。響く音。

雲に隠れた月がゆっくりと顔を出すかのように、闇から姿を現す誠里。

その口元には、いつもの凍った笑み。


「来やがったな…!」


獣の瞳で箒を構える神を片目で見据え、静かな声で唱える。


「壊すしか能の無いウィッチ。今宵は僕が、魔法を掛けよう」

「あ…!?」


神の唸りが途中で切れる。

それは一瞬のことだった。

誠里の広げた両手から、次々と新緑が溢れて空へと舞って行く。

それは高く高く上昇し、誠里と神を包み込み。

辺りの景色を、変えた。


それは、灰色であり、銀色の世界。

初夏を匂わすこの季節に不釣り合いな、雪の姿を現す。

まやかしでありながら、それは誠里の瞳と同じく凍えるような冷たさだった。


「さぁ、始めようかウィッチ。僕に、これ以上の魔法を魅せてくれ」

「うっせぇ」


先に踏み出したのは、神。

箒を真横に広げて風を受けながら誠里の元へと、走る。

そのまま前に突き出すように振られた箒は、誠里の脇腹を掠める程度だった。


「動きは悪くない。けど」


軽く地面を跳ねて、半回転。


「甘いよ」


誠里は勢い良く足を地面に戻し、神の箒を蹴り落とした。


「っ!?」


強い力で握りしめていたなら、そのままこの木の棒は折れていただろう。

地面に逃げた相棒を拾おうと、少ししゃがんだ神を誠里が更に攻撃。

神の頭は、地に叩き付けられた。


「がぁっ!」


雪で霜焼け、顔を真っ赤にした神は右目で誠里を睨み付ける。

しかし、この少年は狼に怯む程弱い精神では無かった。

冷ややかな瞳に浮かぶのは、愉悦。


「今はまだまだ未熟だ。けれど、君には素質がある。君はこの先、もっともっと強くなる。社の宿命に負けない、強さを持てる」

「宿命…?」


何かに陶酔し切っている誠里に、純粋な疑問を無意識に問い掛ける。




――‐‐


『誠里、貴方は……強い女性と婚姻しなさい。そして強い子を産ませ、社家を絶すことの無いよう…頼みましたよ』


自分の家が普通では無いことは、幼いときから感じていた。

瞳に寂しさを含んだ厳格な父親、存在しない母親、歳を取らない姉、途中から我が家に住み着いた姉の付き人。

ある日突然父が死に、付き人がやって来て、姉は『総支配』と呼ばれるようになった。

血の匂いと言うものは、それを血だと知る前に慣れてしまった。

他の子が遊んでいる時間に、僕は付き人と一緒に体術を極める。

心がどんどん孤立して行く代わりに、愛想笑いを身に付けた。


歳を取るにつれ、姉に複雑なことを教わる。

社家の歴史、掟、宿命。

そして……僕達の両親の、末路。

父は任務中に殺され、母は掟の通り成長を止められた姉を見て発狂し、自殺。

そんな母に対して、姉はこう言った。


『母上は、弱かった』と。




‐‐――


「君なら、母のように壊れることは無い。僕はそう思う。君は心身共に強い。だから、君を愛している!!」

「意味分かんねーよ」


誠里の懇願にも近い叫びを、神は軽く振り払った。


「私は私、てめーのもんじゃねぇ。勝手に決め付けんな!!」


神の振り抜いた箒が、誠里の頬を掠める。

慌てて避けたせいか体勢を整えることが出来ず、ちょうど雪が溶けてぬかるんだ辺りに足を付いてしまった。


「っ!?」


足が滑る、目の前に箒が迫る。

神は、誠里に向かって容赦無い攻撃を浴びせた。


「がはっ!?」


勢い良く腹を突かれ、誠里は唾液を垂らしながらその場に倒れ込む。

その瞬間……白の世界は新緑へと還り、元の闇へと戻った。


「フ……魔女は、天運すらも魅力し惑わす…か」


負けたと言うのに。

望みが叶わなかったと言うのに。

総支配――姉の期待に、そぐわなかったと言うのに。

何故か心が、いやに清々しかった。


「ますます君が欲しくなったよ、ウィッチ」

「黙れ」


神の言葉と共に、風の囁きが強くなる。

普段は何よりも物静かであろう人物は、わざと音を立てて2人の元へと足を進めた。


「貴方は、こんなものを私に見せたかったのですか」


いつも感情の無い声が、今は怒りを含んでいるかのようだった。

誠里は直ぐに体を起こし、桐鞍の前に跪く。


「見苦しいところをお見せして、申し訳ございません」


神は勿論、桐鞍を知る訳が無く。

誠里よりも圧倒的な冷たさを持った女性に対して、ただそこに居るだけだと言うのに恐怖心が芽生えていた。


「取り敢えず、今日は帰りますよ」

「はい…」


痛みを堪えているような顔で立ち上がる誠里と、早々に背を向けて歩き出す桐鞍。

と、ふいに桐鞍が振り返る。


「貴女」

「………私かよ…?」


何とか絞り出した声も、震えた。


「誠里はまだまだ未熟です。勝ったからと言って、思い上がらないように」

「うっせぇな」

「………ですが、筋は良いと思います。貴女は恐らく、我が社家に適する強さを持てるでしょう」


神が心底嫌そうな顔をしたのを見て、桐鞍は小さく微笑んだ。


「貴女が、社家に嫁ぐかどうかは別ですが……貴女の成長を心より楽しみにしています」


その言葉に、誠里は片目を大きく見開く。

桐鞍はそれに気付かないフリをして、また夜道を歩き始めた。




「そ、総支配!」

「………」

「姉さん!」

「何ですか」


誠里は、外で桐鞍が『姉の呼称』で反応したことに驚いた。

まぁ、今は任務中では無いのだから『総支配』と呼ばせることに意味を持たないからなのだろうが。


「………私としたことが、取り乱してしまいましたね」


本当は、桐鞍も『女性』に憧れていた。

いや、『人間』に憧れていると言っても過言じゃない。

宿命に縛られず、任務に囚われず。

学校に通い、勉強をして、友達と遊んで、恋愛をする。

いつしか……そんな普通への夢を、抱いてしまっていた。


彼女は、神を通して理想の自分を見た。

自由奔放、純粋な強さを求めて、何にも屈しない。

神に勝手に希望を押し付けて、桐鞍は初めて願いを持った。




‐‐――


「お、神おかえり!遅かったなぁ~……って、制服汚れてんぞ?まぁーたケンカかぁ?良いか、神は可愛い可愛い女の子なんだから、あんま無茶すんじゃないぞ?」


帰れば無人であろうと予想していたが、そこにはいつものように家事をする真沙都が居た。

普段ならこの時間はアルバイトに出ている筈と、神の頭は混乱する。


「何で居んだよ」

「今日は自己判断休日だ!」

「素直にサボりって言えよバカ兄貴!!」


着替えようと自室に向かう途中で、ふとテーブルが目に入る。

そこには湯気は立っていないが、美味しそうな真沙都の手料理が2人分並んでいた。


「………おい、私夕飯要らねぇって言っただろうが。つーか、食ってねぇのかよ」

「神に1人で飯を食わせるつもりは無いからな」


平然と。

素直な発言をする真沙都は、神とは正反対。

天の邪鬼な神は「うるせぇ」とだけ零して、夕飯を食べるために汚れた制服を着替えに行った。




3話終わり。

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