三話
「ねえ亜美はさ、お盆休み用事ある?」
「え?」
ちょうどパートで昼食をとっていた時だった。楓が突然、亜美にこう言ってきたのだ。そう、明日からは二日間のお盆休み。だが、亜美には何の用事もなかった。するといえば、夏休みの課題だろうか。やっていない課題の量を思い出すだけで、反吐が出そうになった。とりあえず、その衝動を抑える。
「特に予定はないよ。楓はあるの?」
「いやいや実はですねえ」
楓は華子と未来に目配せすると、こちらにその大きな瞳を向けた。
「実は明後日、プールに一緒に行こうかなって思ってたんす!」
「さっき亜美さ、係でいなかったでしょ?だから今誘ってるわけ」
楓の言葉に、華子が付け足す。そう、先ほどまで係として、活動していた。みんな何か役割は持っているが、細かすぎてあまり機能していないものもある。それはともかく、プールと反芻してみた。確かに、今はとんでもなく暑い。こんな時期に行ってみるのはいいかもしれない。
「いいよ、でも宿題が不安で……」
「じゃあみんな明日で全部終わらせちゃおう!」
突如現れた第三者の声に、亜美達は一斉に顔を上げた。そこにいたのは小春先輩だった。彼女は亜美と未来の頭に手を置くと、浅くため息をついた。
「合宿明けたらすぐ始業式なんだよ?今のうちに終わらせないと、最終泣くハメになるよー?」
ひええ、と楓が頭を抱えているが、実質亜美も胸中で悲鳴を上げていた。肉団子を少しかじると、華子が首を傾げた。
「どこで勉強するの?みんなまとめてやるならだけど」
そうして、何故か三人は亜美の方を見たのだった。
翌日、本当に三人は来た。友達を家に上げることは滅多にないので、今まで以上に亜美は緊張していた。彼女たちは夏服を着用しており、亜美だけが私服だった。最近新調した、深いブルーのワンピース。この服は、亜美にはいささか大人っぽいような気がした。すると、楓が家に向かって瞳を輝かせた。
「うわあ、亜美の家って広いね!綺麗!」
「そんなことないよ、一応中古物件だし」
「でもレトロな感じがいいんだよ。あ、そういえば親いる?」
「うん、昨日ちょうど帰ってきたところなんだけど―—」
「あっ!亜美のお友達来たの?よく来たねえ」
背後から廊下をトタトタと駆ける音とともに、陽気な声が聞こえてくる。まずい、と思った頃にはすでに時は遅しだった。
「よくきてくれましたね。あ、未来ちゃんは久しぶり。二人は、楓ちゃんと華子ちゃんだったかしら?よく亜美から電話で聞いてるの。ああ、どうしよう亜美にたくさんお友達が。お父さん!亜美のお友達におみやげ持たせてあげてー!」
「うっ、亜美がこんなに、恵まれているとは……。父さん泣いてしまう」
こちらに来るや否や、父が泣き始めた。そう、この二人が、亜美の両親である。なかなか亜美に過保護なところがあり、友達を連れてくるといつもこうなる。よほど嬉しかったのだろう。ちらりと三人を一瞥すると、少し苦笑いをしていた。まあ、そうなるよね。
「もうお父さん、お母さん。感動するのはいいけど、みんな家に上がれなくて困ってるから。ほら、みんなもお構いなしに上がっていいよ」
無理やり父と母をリビングに押し入れ、三人を自室に案内した。階段を上がっていると、ひょっこりとしろまるがこちらの様子を伺っている。興味津々そうにしてはいたが、三人が近づいてきた瞬間に、足の間をすり抜けて一階へと姿を消してしまった。どうやら人見知りを発動したらしい。
「はい、到着」
そういって、扉をガチャリと開ける。一応昨日、即行で部屋を掃除した。さすがに、汚すぎたからだ。クーラーを稼働させているので、部屋はかなり涼しかった。
「おおー!部屋綺麗だね!さすが亜美!」
「えへへ……」
まあ、昨日掃除をしたからなのだが。すると、なぜかしろまるが再び部屋の中に入ってきて、亜美の足元でちょこんと座った。その愛くるしさに、三人がしろまるを撫で始めた。されるがままのしろまるを横目に、ざぶとんを四つ出した。いつもは床に直接座るが、さすがに友達にそんなことをさせるわけにはいかない。ようやく解放されたのか、しろまるがこちらに避難してきた。その様子に、華子は少しだけふてくされていた。
「亜美ん家って、猫飼ってたんだね。名前なんて言うの?」
「最近飼い始めたんだけどね。この子はしろまるって呼んでる。マンクスっていう種類で、ぴょんぴょん走るから、爪切りとか大変」
「あー、逃げ足速そうだもんね」
座布団の上に座り、宿題を広げる。亜美に残っている課題は、あと数学だけだ。とはいえページ数が多く、とても今日中に終わりそうにはなかった。ただ、楓と華子を見ていると、彼女たちのほうがよっぽど課題が残っているようだ。
「えっと……頑張って今日で終わらせよ?」
未来が強引に微笑んでいる。未来の手元を見る限り、彼女はもうほとんどの課題を終えているようだ。さすが優等生だ。なんだか、良いこと悪い子を絵に見ているようで、少しだけ気まずい。問題集を開くと、一問目は正の数、負の数の問題だった。ここら辺は、別に不得意なところではない。空きスペースを駆使して、徐々に解答欄を埋めていく。文字式に移っていた時、部屋をノックされたので何?と答える。ドアを開けたのは母だった。片手にはお盆が乗っており、グラスには並々と麦茶が注がれていた。
「そろそろ喉が渇いた時だと思って。おかわり欲しかったら言ってね」
「はい」
三人がそろって返事をし、グラスを受け取っていく。我が家の麦茶はやや薄いが、お口に合うだろうか。母が出て行ったのを確認してから、グラスの麦茶を一気飲みした楓が、息を吐き出すとともにグラスを置く。
「そろそろ休憩にしない?頭パンクしそう」
そういえば、もう二時間ほどたっただろうか、確かにそろそろ休憩の頃合いかもしれない。すると、華子が部屋の中であるものを発見してしまった。
「あっ、小さい頃の亜美の写真がある。ん?未来も写ってるよぉ」
「お、どれどれ」
彼女たちは額縁の中の写真をまじまじと見ている。あまりの恥ずかしさに、勢いでその写真を取り上げてしまった。
「ダメ。ダメダメダメ!見ないで!」
「えー。可愛いじゃん!癒しが隣り合ってるの良すぎなのに」
「とにかくダメです!」
「えー」
楓と華子が面白そうに目を細めながら顔を見合わせていた。本当に、この二人は油断ならない。ちなみに、この写真は、亜美が幼稚園に通っていた時の写真だ。甚平を着て二人でくっついてピースをしている。その背後では大きな花火が打ち上がり、この時ばかりの夏を詰め込んだ一枚だ。未来のほうを見ると、彼女も恥ずかしそうに顔を赤らめていた。普通に、可愛い。楓は片頬を膨らませると、足を組んだまま後ろに倒れた。知ってる?という声は、案外無機質な響きをしていた。
「そういえば島先輩って、定期テスト全部学年一位しかとったことないらしいよ。あと川本先輩も二位の座を保守してるらしいし」
その話は何回か、風の噂となって亜美の耳に届いていた。まあ、雰囲気からして彼らが優秀なことは見て取れていた。
「久保島先輩も文系は凄いよ。かなちゃん先輩は理数が得意っぽい」
「え?そうなの?未来誰から聞いたの?」
そう問うと、彼女は思い出しているのか、天井を見ながら少しづつ話し出した。
「前、二年棟に行ったんだけどね。その時ちょうど、期末の上位十名の張り出しがされててさ。そこの上位四位に久保島先輩とかなちゃん先輩がいたの」
「ひえー。エリート四人組じゃん。でも、三人はわかるけど、久保島先輩が信じられない」
華子がそう言って顔をしかめた。失礼ではあるが、確かにそうだなと思う。久保島先輩は、いたって奔放だ。そして、カミングアウト魔でもある。ただコミュ力は高く、友人がとにかく多い。なんせ、あの島田先輩とも普通に話しているのだから。もちろん、悪口ではない。
「なんかね、授業を聞いてたら絶対に忘れないんだって」
「うわ、天才じゃん。そういえば前、六歌仙についてうんたらかんたら喋ってたなぁ」
「ああ、あれかな。島先輩に話続けてたやつ。なんか島先輩やつれてたよね」
そう言うと、彼女たちはうんうんとうなずいた。そういえば、彼らは宿題は終わっているのだろうか。まだまだ枚数のあるページを指で挟みながら、そんなことを考えるのだった。
「え?」
「はあ」
翌日、亜美達は衝撃的なものを目にした。松本駅から島内駅の電車に乗り、ホームへ降りたときにそれは起こった。そこにいた人物は、そう、どう見ても―—。
「島先輩じゃないですかぁ!」
楓がそう言って親指を突き立てる。島田先輩は面倒くさそうに「そうだけど」とだけつぶやく。その左手には、小さな男の子の手が握られていた。そして、その傍らに瑠花さんの姿も見られる。どうやら、兄弟とともに来たらしい。まさか短期間で島田先輩の兄弟二人に出会うとは。なんだか不思議な気分だった。その弟と思わしき男の子が、じっとこちらの様子を伺っている。その大きな瞳は、きらきらと煌めいていた。
「もしかして、はるにいがいってた『こうはい4にん』ってこのひとたち?」
「そう、だけど?」
「おぉぉ!」
感嘆の声を上げると、その男の子は興奮したかのようにぴょんぴょんと飛び跳ねた。なんだか、妙に元気な子だ。
「はるにいとがっきふいてるんだ!すごい!いいなぁ!——って、あれ?」
男の子は急に一点を見つめた。そこにいたのは未来だった。あ、そっか。この子からしたら、未来は従姉にあたるのだろう。未来はあはは、と笑ったが、その男の子は未来へと飛び込んでいった。
「わあ!!みくねえだ!ひさしぶり!あいたかったよお!うれしいぃ!!」
「ひ、久しぶり……」
その状況に、楓と華子が固まる。そして次の瞬間、狭いホーム内で二人分の叫び声が響いたのであった。
「もー!本当にびっくりしたよ!まさか島先輩が従兄だったなんて!」
「ごめん、言いづらくて」
屋内プールについた今でも、楓と華子は驚いているようだった。まあ、気持ちはよくわかる。それを聞いた時、亜美もかなり驚いたから。にしても、営業時間と同時に入ったのに、もうすでにたくさんの人が遊泳していた。ラーラ松本は、地元民に愛されている県内最大級の屋内プール施設だ。ビッグウェーブが自慢の造波プール、流水プール、ウォータースライダー、ジャグジーなどの趣向の異なるプールが完備されており、全く飽きない。そして、実は松本クリーンセンターの焼却施設から発生する熱、電気エネルギーを活用した国内最大級の余熱利用施設でもあり、なにかと自然に優しい施設である。夏でも温水エリアがあり、体が冷えたときに入ると気持ちいい。ちなみに、冬は全て温水になる。
「よーし!じゃあ波にちょっくら乗ってくるね!」
「ちょっと、浮き輪忘れてるよー」
そういって、楓と華子は人ごみの中へと消えていった。本当に元気がいい人たちだ。亜美と未来はもともと泳ぐつもりはなかったので、亜美は黒、未来は白とおそろいのワンピース水着を着て、休憩台のところでのんびりと過ごしていた。振り向くと、子供用の噴水プールのところで、島田先輩とその弟が仲良さげに遊んでいた。何だか、水着姿の島田先輩はレアな感じがする。グリーンのサーフパンツには幾何学模様がプリントされていて、その上半身は真っ黒なシャツで覆われていた。海を歌うと英語でプリントされているが、残念ながらここはプールである。それと、襟元が開いているデザインなのか、肩が片方だけ見えかけていた。何だか艶かしいな、と思っているとあることに気づいた。そういえば、弟と接する時ばかりは、いつもの氷の面は完全に溶けている。やはり、こう思うと彼は面倒見がいいのだろう。
「あ、ちょっとトイレ行ってくるね」
そういって、未来が立ち上がる。了解、と言って、亜美は彼女に手を振った。造波プールの方を見ると、結構手前の方で華子と楓が浮き輪に腰を掛けていた。こちらの視線に気づくと手を振ってきたので、とりあえず振り返しておく。
「仲、良いんですね」
「ひゃいっ!」
突然後ろから声をかけられ、思わず変な声を出してしまった。振り向くと、そこには美少女こと瑠花さんがいた。肩だしされた真っ白なワンピースの下から、クロスビキニが透けている。小学生とは思えないほど、スタイルがいい。同級生にいてもおかしくないくらい。彼女は隣に座ると、艶めかしく息を吐き出した。
「すみません、突然おかけしてしまって」
「いや、全然いいんだけど……」
「そうですか?よかったです」
瑠花さんはそういって、にこりと微笑んだ。天使を思わせるその風貌に、亜美は思わずドキッとした。勝手に集まった熱を追い払うように、慌てて頬を両手で挟んだ。正気に戻れ、自分。
「あ、私に何か用事あるかな」
「はい、ひとつだけ確認したいことがあるんです」
「確認したいこと?」
「ええ」
はて、と首をかしげると、彼女は島田先輩のほうを見た。
「亜美さんは、コンクールメンバーなんですよね?」
「そうだよ」
「ではぶっちゃけ、兄は自分勝手な奴だと思っていますか?」
「へ?」
突拍子な質問に思わず間抜けな声が出てしまった。島田先輩が、勝手な奴とは、どういうことだろう。一度もそんなこと思ったことないが。だが、これは否定したらいいのか、肯定したらいいのかわからない。一人でぐるぐる悩んでいると、瑠花さんがすみません、と頭を下げた。
「意地悪な質問をしましたね。答えなくていいです」
「え?でも……」
言葉を重ねようとしたら、未来が奥の方で見えた。瑠花さんはそれに気づいたのか、すくりと立ち上がる。そして、彼女はこちらを向かずに呟いた。
「ただ、ひとつだけ言わせてください」
「えっ」
「兄のこと、詮索すると辛くなるでしょうから、あまり深堀しない方がいいですよ。では」
「あ、うん。またね」
美しい後ろ姿に手を振っていると、未来が不思議そうな面持ちでこちらを見下ろしていた。
「どうしたの?顔色悪いけど」
「いや、大丈夫」
間違いなく、口に出したことは嘘であった。
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