第49話 のどかな戦

 数日後、投石機カタパルト衝車しょうしゃ(屋根つきの破城槌)などの攻城兵器を組み立て終えたダルモン軍が本格的に攻撃を開始した。

 これまでも散発的な小競り合いはあったが、今回は全軍をあげて総掛かりの様相である。


(こりゃスゲえな、地面が震えとるようだわ)


 眼下のダルモン軍があげる武者押しの声か、それとも踏み鳴らす大地が揺れているのか。ガストンは肌に振動を感じ背中にヒヤリと冷たい汗が流れるのを知覚した。


「ほうれ、敵の気勢に押されるな! 味方を声で励ませえっ!! オッ! オッ! ウオォォーッ!!」


 ガストンは周囲の兵を鼓舞して声を張り上げる。

 すると周囲の味方が『オッ! オッ! オッ!』と呼応して鬨の声をあげた。味方の士気も高い。


「ええい、口惜しい。これほどの大敵を前にして後詰めとは」


 主君であるレオン・バルビエがガストンの横でしきりに体を揺する。

 バルビエ勢は最前線ではなく、外郭の武者だまり(広場)で待機だ。これは予備戦力として敵の新手や城内の変事に備える役目だが、若いレオンにとって騎士とは剣槍を振るって敵を倒す戦士である。

 後詰めはいかにも不本意らしく『当主が若輩だから頼りないと侮られたか』と歯噛みをして悔しがっているようだ。


「レオンさま、おたいらに。後詰めの仕事も上手下手があるもんです。あれを見てくだされ」


 ガストンは城外から飛んできた石を示す。地面にドスンと落ちた石から土煙がムワッと立ち上った。

 敵が投石機を使って人の頭ほどの石を放り込んできているのだ。


 ちなみに、今回の戦で使われている投石機は後年に登場する平衡錘投石機トレビュシェットのように防壁や石造りの建屋を破壊する威力はない。

 とはいえ、人馬に当たれば大変なケガをすることになる。

 城内にも流れ矢や飛石はあるので、あまり油断して良いものではないだろう。


「石ですね、当たらぬように気をつけるのはどうするのですか?」

「そらまあ、物陰に隠れるくらいで……運が悪けりゃ当たりますが、それはまだマシなほうですわ」


 ガストンは戦の喧騒の中、わざとのんびりとした雰囲気で会話をする。

 いらだつレオンを鎮めるためだ。


 今までガストンが部下を教育するときは師であるペルラン譲りのスパルタ式だった。

 ガストン自身も冷静な気質ではないし気が長いとも言い難く、部下のミスは怒鳴りつけ、文字通り殴って技術を叩き込んだ。


 だが、レオンという『目上の年下』にはそうはいかない。遠慮や工夫を自分なりに行うことでガストン自身も変化を始めているようだ。

 これも立場が人をつくる一例なのかもしれない。


 そして一方のレオンもまた、ガストンの苦心は想像もつかず『よく練れた人柄』などと好ましく感じているのだから世話もない。

 つまるところ、この2人の相性は決して悪いものではなかったのだろう。


「石に当たるよりもマズいことが?」

「へい、中には真っ赤に焼けた石や、燃える藁束を投げ込まれることもありますし、弓勢からは火矢を射込まれることもあります」

「む、火事に気をつけよと?」

「いや、うーむ……なんと申しますかのう。火事ばかりでなく、たとえばケガ人を安全な場所へ運んでやったり、お味方危うしとなれば助太刀に駆けつけたり……後は柵や防壁が破られれば資材を運ぶこともありますのう。後詰めの上手は様々な気配りをするものですわ」

「なるほど、気配りですか」

「へい、ちょいと辺りを見てみましょうか」


 周囲をわざとらしくキョロキョロと眺め回したガストンは「助太刀するなら――あの辺りですかのう」とやや離れた位置の出丸を指し示す。


 出丸とは城の弱点になりそうな場所を守るために増設された簡易的な砦と思えばよい。

 自然と敵の攻勢が強まりやすく、激しい戦闘が予測される。ガストンでなくとも予備戦力が投入される予想はつくだろう。


「レオンさまのような殿さまの仕事は周りを良く見て兵士を励ますことですわ。槍を振り回すのは俺でもできます」

「……しかし、騎士たる私が先頭に立てばこそ家臣も励まされ、ついてくるのではないでしょうか?」

「まあまあ、今回は大きな戦になりそうですわ。焦らずとも槍働きはできますわい」


 ガストンが「ずんと腹に気を入れてお待ちくだされい」と告げるや、若きレオンは自らの顔にピシャリと手を当てはにかん・・・・だ。焦る気持ちを指摘されたようで気恥ずかしくなったのだろう。

 その様子は頼りになる庶兄に教えを受ける嫡弟が近いかもしれない。


(おや、潮目が変わったわ)


 敵味方の死闘を見守りながら待つことしばし、レオンの望む『その機』はやってきた。

 押し寄せるダルモン軍を寄せつけないヌシャテル城の守りにじれたのか、後陣を押しあげたのだ。

 それ自体はよくあることである。城内に圧力を加える腹だろう。


「レオンさま。手ごろですし、前に出ますかい?」

「む、しかし、下知がなくともよろしいので?」

「まあまあ、位置を変えて弓で狙うくらいなら構わんでしょう」


 見れば敵勢が前に来たために大手門や出丸の前で渋滞し、横にだらしなく広がっている。

 油断しているのか、防壁の内側からでも十分に矢石が届きそうな距離だ。


「よし、やりましょう。矢戦はバルビエの得意とするところです。私の弓をもて!」


 従者から弓を受け取るや、レオンは「我に続け!」と陣を動かした。突然のことであり、戸惑う兵士たちの動きは鈍い。


 バルビエ勢は待機中だが、そこは戦場の機微がある。勝手に出撃したり、出丸や門に押しかけて混乱を起こせば罰を受けるだろうが、このくらいならば黙認されるだろう。

 レオンが敵に矢を放ち『防壁に迫った敵に備えた』と言えばそれまでである(さすがに矢も放たず、不審な動きをすれば内通や敵前逃亡を疑われる可能性もないとは言えない)。


(こりゃ驚いた、バルビエ家中は射手が多いのう)


 もたもたと防壁に張りついたバルビエ勢を見たガストンは小さく「ほう」と息をついた。

 彼らは従者や雑兵なども含め40人に満たない小勢だが、射手が当主レオンを含め10人ほどもいるのだ。

 兵士や雑兵の中には投石紐や投石棒を持つ者も少なくない。


 バルビエ家の領地は山間部だ。領民は猟師にかぎらず村落や農地に近づく獣を追い払うために弓や投石などの飛び道具に親しんでいる。

 ガストンは知らなかったが、山の兵士は弓が上手いとされるものなのだ。


「遠間だが射ち下げだ! 十分に矢は届くぞ!」


 レオンが射手を励ましながらキリリと弓を引き絞った。

 削り出した木材に、なにやら別の素材を張り合わせた弓だ。長弓と呼ぶには短いが、よく使い込まれ手垢で黒光りしている。

 立派な弓だとガストンは感じた。


「――手前の騎士、羽根がついた兜を射るぞ」


 言うが早いか、レオンがヒョウと放った矢は狙いをたがわず羽根兜の騎士が乗る馬の尻に命中した。

 痛みで怒り狂った馬は騎士を振り落とし、周囲の兵を蹴倒して小さな混乱を引き起こす。


 これには味方から「お見事っ」「殿は名手じゃ」とやんやの喝采がどよめき起きた。

 どうやらレオンはなかなか弓の達者らしい。


「騎手を狙ったが外した」


 レオンは不機嫌そうに吐き捨て、次の矢をつがえる。

 しかし、敵勢もかかし・・・ではない。弓と盾を並べて狙撃への対応をはじめた。


 こうなれば思うように敵は倒せない。レオンに続いてバルビエ勢の射手も矢石を放つが、敵勢の応射もあり目立つ成果はない。おそらく双方ともこの矢戦で死者はいないだろう。


(……こう言ってはなんじゃが、まるで男童の石投げ遊びのようなぬるさ・・・だのう)


 今までガストンが所属していた剣鋒団は、ビゼー伯爵子飼いの精鋭部隊である。戦では勝負どころで投入され激戦を重ねてきた。

 そのガストンの目から見れば、バルビエ勢の戦はあくびが出そうなのどか・・・さである。


 これは伯爵の私兵である剣鋒団と領主軍の違いだ。

 領主は封建契約に従い主君の命で兵をだすが、領主にとって兵とは領民であり財産である。主君の手伝い戦で兵を損なっては領地が痩せる。

 この事情があるために、伯爵も親派の領主軍は激戦区に投入しづらい。ムチャをすれば自らの権力基盤でもある親派の力を減じてしまうからだ。

 ガストンのあずかり知らぬことではあるが、バルビエ家が予備戦力として温存されたのは政治的にも理由があったのである。


 一方の剣鋒団は伯爵が個人的に雇う職業兵だ。土地を耕さず、なにも生産せず、伯爵の手足となって暴力を振るうことが仕事である。

 領主軍と剣鋒団、ガストンから見ても両者の運用はまるで別物だったのだ。


 話がそれた。話題をガストンに戻そう。


 この矢戦もほどほど・・・・のところで敵勢が引き上げ終わりを迎えた。ダルモン軍は大手門の前で衝車が破壊されたことで諦めたようだ。


「お見事、お味方の勝ちですわ」

「勝ちましたか、はは」


 この戦局にバルビエ勢は無関係であったが、勝鬨の中でレオンは年相応に顔をほころばせた。

 焦る気持ちも敵と矢を合わせたことで落ち着いたらしい。


「レオンさまは立派な弓士ですのう」

「お恥ずかしい、騎士たるもの飛び道具では誇れません。ガストンどのは弓を使いますか?」

「いやいや、いやいや……引き方は朋輩より習っとりますが、それだけですわ」


 ガストンも戦場往来の戦士である。弓の扱いくらいは心得ているが、お世辞にも上手とは呼べない腕前だ。今回のような遠間の狙撃などは思いもよらない。


「しかし困りましたのう。当家が矢戦ばかりになると、俺やドニはまるで働くことができませぬわい」


 これはガストンの本音ではあったが、レオンは冗談だと思ったらしく「ははは」と快活に笑った。周囲が釣られてしまうような嫌味のない笑いだ。


(こりゃ参ったのう、当家で兵士頭でも任されたら弓も使えねば話にならぬわ)


 職場が変われば必要とされるスキルも変わる。

 当たり前のことではあるが、ガストンは内心で頭を抱えるような気持ちであった。

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