閑話其の二「夜に啼く豚(悲鳴)」




 閑話其の二『夜に啼く豚(悲鳴)』





「ホァ~、チャオッ、チャオッ!!」



 ドサリ。

 そんな音を立てて、大型イノシシは地に倒れ、息絶えた。

 お前の命は、我が一族の血肉となる。礼を言う。


 俺はイノシシに黙祷し、その巨体を持ち上げる。


 あの狂ったゴブリンが現れなくなって幾日か……

 今のうちに食料を貯めておかねばならん。


 俺の名はレイン。

 レイン・ユーブラド=ナニイロダ。

 西浅部の小エリアボス。そして、族長を務めている。


 俺には氏族を護る責務がある、何としても、現状を打破する方法を考え出さねばならん。


 しかし、あのゴブリンは狡猾、俺が到着する前に逃亡する。

 逃亡先は南浅だ……、あのアカカブトゥが支配する暴虐の地。


 如何いかんともしがたい。



「……ふぅ、もうすぐ秋、か」


「大変よレインっ!!」



 獲物を担ぎ帰路に就こうとした時、集落の方向から女衆のマミアが血相を変えて走って来た。


 鹿革の貫頭衣を着た彼女の、その細腕や波打つ尻尾を覆う妖艶な青いうろこと揺れる乳房が、未熟な俺の股間を刺激する。ヤレヤレだ。


 俺の妹アイリンは狂ったゴブリンを目撃した最初の被害者だ。そのイカレ具合を見たアイリンは世界を見る事に恐怖を抱き、視力を失ってしまった。


 そんなアイリンの世話をしてくれているのが彼女、マミアだ。


 マミアが血相を変えて走って来た、と言う事は……



「……アイリンに何かあったか」

「違うのっ、南浅が大変なのっ!!」


「……南浅がどうした?」

「ななな南浅にっ、新しいボスが現れたって!!」



 南浅部に新たなボス……

 そう言えば豚野郎が南へ行くと言っていたが、まさかな。



「……そいつは猪人か?」

「違うわ、今ね、コボルト族の使者が来て――」



 アイリンの話では、猿人と言う種族の強者が現れ、アカカブトゥと狂ったゴブリンを立て続けに葬ったらしい。


 さらに、その猿人は妖蜂と妖蟻の二大勢力を傘下に収め、南と東を完全に掌握したようだ。



「……化け物かそいつは」

「分かんないけど、コボルトの使者達は『ベタ褒めベタ惚れ』って感じだったよ?」


「……怪しいスキルでも使われたか?」

「いや、そう言うんじゃなくて、何でも『大神アートマン』って神様の御子様なんだって……」



 馬鹿な、何を根拠にそんな……、いや、あのアカギ帝とカスガ女王が虚偽を見抜けぬとは思えん……



「……どうなっている」

「あ、加護もくれるらしいよ?」


「……魔族の加護は消えていく運命だ、我々のようにな」

「いやいや、コボルトの使者達も加護もらっててさ、進化してた。毛色も黒っぽい茶色?な感じ」


「……進化をもたらす加護、だと?」

「そうそう、あ、眷属化だったかな? ゴブリンのおじさんも来てたけど、その人も進化してた。こっちは灰色の肌だったよ」



 信じられん話だが、使者に会わんわけにはいかん。

 加護ではなく眷属進化なら……いや、これも聞かんな。


 そもそも何しに来た?



「……使者は何の用だ?」

「えっとね、これからは争いをやめるって事と、南浅の新ボスに挨拶しに行く事、ついでに貴方へ降伏のお勧めを伝えに来たらしい。」


「……何だと」

にらまないで。私じゃなくて使者さんが言ったの。それから、南浅のボスが深部の地竜をぶっ殺すって言ってて、喧嘩を始めるみたいね。詳しくは貴方が聞いてね」


「……地竜を?」

「うん、地竜」



 不味いな、狂ったゴブリンより狂っている。

 女帝と女王が認めているのが救いだが……ふぅ、参った。


 降伏は是非も無い、しかし、一族の矜持とケジメは着けねばならんか……


 一族を預けるに足る大器であれば良いが。

 これは、迅速に動く必要があるな。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「ブヒッヒ、なるほどなぁ。それで、どうだった? 兄貴の背中に大器が見えたか?」


「……フッ、俺はこうしてお前と風呂に浸かっている。語る必要はあるまい」


「へへっ、シブいこと言うじゃぁねぇの」



 俺は今、弟分となったアホ豚と共に稽古後の風呂に浸かり、ちょっと前の思い出話をしていた。


 ジャキの昔話も聞いたが、正直言えば末弟のケンジロウに同情する。



「ところでよぉ、妹さんの具合はどうだい?」

「……どう感謝すれば良いか、分からん」

「ほほぅ、元気百倍アンマンサーンっ!! って感じか」


「……あぁ、そうだな」



 視力を失っていたアイリンは、兄者の眷属化とアートマン様の加護で以前の――いや、視力を失う前よりもずっと元気になった。


 元気に、なった……のだ。



「……元気百倍では足らんな、アレは」

「ブッヒッヒ、俺はまだ見てねぇが、ヴェーダ姐さんとホンマーニのBBAが太鼓判を押すほど、薬学や医学?とかに才能が有るらしいな」


「……それだけなら良かったが」

「あ? 他になにかあんのかよ」


「……メチャに、対抗意識を持った」

「ブ、ブヒ?」


「……どうやら、兄者に惚れたらしい。俺には何も言わんが、マミアが、な。険悪ではないのが救いか」



「フムフム、何故、兄貴はモテるのか」

「……何を言っているんだお前は」



 コイツは真面目な話が出来んのか?

 何故そんなに真剣な顔を向ける?



「ブゥ~、お前もモテるよな? 妖蜂とか妖蟻の下士官と仲良いよな?」

「……何も問題あるまい。我らは武人ぞ、仲の良し悪しは軍事に影響を及ぼす」


「違う違う違うっ、そうじゃっ……そうじゃなーいっ!!」

「……大声を出すな、やかましい」


「最近気付いたんだ」

「……そうか、正解だ」

「ちゃんと聞いてクレメンス」

「……チッ」



 こいつは兄者の真似が多い。「~クレメンス」は兄者がよく使うが、意味は分からない。間違いなくジャキも分かっていない。


 しかしこの野豚は使ってくる。

 さも「前から使ってた」と言うが如き自然さで、だ。イラッとする。


 兄者の【好い男の条件】を改悪してゴブリンやコボルト達に【好いおとこの条件】なる妄言を語る豚の滑稽こっけいな事。


 南都四兄弟の次兄として注意はするが、豚の耳にアートマン様の説教状態、まるで聞いてくれない。言っても意味が無いと気付いたのは最近だ。


 ハァ、しょうがない。面倒だが聞いてやるか。

 聞かねばしつこく粘着してくる。ハァ……



「……それで、何を気付いた」

「へへへっ、コイツさっ!!」



 ジャキは勢いよく立ち上がり、水しぶきを撒き散らした。チッ。

 そして御自慢のイチモツを俺の眼前に晒す。殺すぞ。



「ブッヒッヒ、兄貴のポコティンはデカい、アレは異常だ。そして、お前のポコティンはリザードマン特有の二本仕立てポコティンっっっ!!!!」


「…………」


「そして俺様の御立派様は……猪人族特有の【ドリル型】、だっ」


「…………」


「へへへっ、つまり、そういう事さ」


「…………??」


「困ったもんだぜ、凶悪な御立派様を持った好い漢に生まれちまってよぉ……コレじゃぁハクいスケもビビっちまうよな……、あっ、だからメチャは俺の事を……っっ!! へへへっ、これが所謂いわゆるツンデレってヤツかぁ~、よせよったくぅ~、ペニスがゴキゲン斜め90度になってしまうぜ!!」



 俺は開いた口が塞がらなかった。

 こんなに幸せな奴、生まれてこの方見た覚えが無い。

 そして90度は斜めじゃない。


 さてどうやって弟分の悲恋を回避させようか、思案しようとした時――


 姐者の声が俺の脳内に響いた。

 非眷属の俺に念話で……緊急事態か?。



『帝王の侍女に勃起をきたす豚め……不敬。し折れ』


「……御意」



 ドリルを圧し折れと仰せか……、ゴクリ……

 さすがは兄者の恋女房、即断即決は帝王の伴侶として当然か。あふん。

 なるほど、これが噂に聞く【大神の一撫で】か……


 たぎる、滾るなコレは。



「……ジャキよ」

「あ? ンだよ」


「……姐者から沙汰が下った」

「ひぃっ、なっ、何の?何で何で?」


「……侍女勃起不敬罪、だ」

「…………ぼ、僕、死んでしまうなの?」


「……殺しはせん。弟の不始末は兄が拭う、涙を拭けジャキ」

「刺突は痛いなの、斬撃も痛いなの」


「……ドリル圧し折りの刑、だ」

「い、嫌なの!! もっと痛いなのっ!!」



『干し柿、干し芋、オヤツ抜き三ヵ月』



 しんと静まり返る浴場に姐者の声が木霊す。


 こ、これはジャキにとって死刑に等しい……

 もはや選択の余地は無い。


 ジャキは涙を零し、湯から上がって大の字になって寝た。

 メチャを想う故か、ドリルは怒張し夜空をくようだ。虚しい……



「おなしゃす、なの」

「……俺を恨め、ジャキ」



 俺は右手で手刀を作り、哀れな弟を憂う。


 皮を被った暴れん棒の中ほどに狙いを定め、一瞬だけジャキの顔を拝み、特に戸惑う必要は無いと思い直し、ならば手加減無用と手刀を叩き込んだ。


 手刀が当たる直前、ジャキが『え、本気?』と言ったような気がした。



 夜の大森林に哀れな豚の悲鳴が響く。



 圧し折れたドリルに慟哭どうこくするジャキ。

 今は泣け、大森林の夜空がお前を包んでくれるだろう……



 俺は風呂から上がり、ホンマーニに右手を清めてもらった。

 ホンマーニはとても嫌そうに清めてくれた。すまんな。




 翌朝、この話を聞いた兄者が笑って「頑張んな、俺は応援するぜ」と、ジャキの肩を叩いた。



 フッ、やはり俺が見込んだ大器だった。





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