第96話「自己抑制?……知らない子ですね」




 第九十六話『自己抑制?……知らない子ですね』





「だ、旦那様は、ょくやった…… 胸を、張って」

「……あぁ、有り難う」


「じゃぁ、また明日…… チュ」

「カスガに宜しくな、気を付けて帰れ」



 少しだけ頷いたトモエは一瞬だけ俺と目を合わせると、すぐにきびすを返して送迎係の妖蟻兵達が待つプラットホームへ飛び去った。


 彼女は本来侍るべき者が居る場所へ帰った。自分の役目をわきまえた迅速な行動だ。彼女からは見習うべきところが多い。



 トモエは砦に入ってすぐ、姉の許へ帰ると告げた。


 俺とお茶を飲む時間など作らない、彼女のガンダーラ防衛任務は俺が帰還した時点で完了、本来の仕事に戻るのみ。


 単純な事だが、その単純で基本的な事を女王の妹である彼女は迷い無く実行する。


 プライベート以外での自己抑制が完璧だ。


 彼女は姉の許へ帰る直前、地下通路の入り口で数十秒仕事から離れて俺を励ました。


 相変わらず俺と視線を合わせてくれなかったが、恥ずかしさを必死に堪えて俺を気遣ってくれたその姿は、沈みがちな気分を十分過ぎるほど軽くしてくれた。


 その光景を横で見ていたラヴは面白くなさそうにしていたが、眷属である彼女から俺に流れてくる感情は、砦前での一悶着があった時から常に俺を心配したものだった。


 彼女とトモエは普段と変わらない態度を俺に示し、「大丈夫」だと暗に教えてくれていたのだ。他の眷属達も彼女達と同じ、いつも通りの態度で接しながら俺を気遣っていた。


 それは戦に参加した千人の眷属達も変わらない。

 戦場を離れてからずっと、俺の中に流れて来る彼らの感情は心配と労りだった。


 トモエを見送って砦の食堂へ戻ると、皆が俺に駆け寄りトモエの事をあれこれ尋ねて来た。普段通りにおちゃらけた態度で、俺を気遣いながら。


 恐らく、俺の表情に陰りがあるのだろう。


 ヴェーダとアートマン様のお陰でシタカラ達の事は心にケジメを付けたが、他にも考えるべき事が多過ぎて、正直余裕が無かった。


 だが、トモエとラヴが『普段通り』を見せてくれたお陰で、こうして眷属達の気遣いをしっかり受け止める余裕が出来た。


 いつまでも彼らに気を遣わせていては、彼らが五人の英雄を偲ぶ時間を奪ってしまう事になる。まったく、不甲斐無い主だ。



「みんな疲れただろう、地下帝国からガンダーラの避難民が帰って来るまで休んでいろ。それから…… まぁ、ありがとう、俺は大丈夫だ、心配掛けてスマン」



 皆から笑みがこぼれた。

 これで彼らを安心させてやれただろうか……



『どうやら、安心出来たようですね』

「……そうだな、フフッ」



 バタバタとその場に座り込み、そのまま眠りに就く眷属達。

 肉体の疲れよりも、俺を気遣った気疲れの方がキツかったようだ。悪い事をしたな、ゆっくり寝てくれ。


 レインやミギカラ、アイニィー達も同じように眠った。


 ジャキは…… まるでボロ雑巾のようだ。

 ハイエルフ達に回復魔法を掛けられている、彼に何があったのだろうか? 何となく、トモエには舌打ちを控えて貰いたいと思った。


 俺にお姫様抱っこをせがんできたラヴを寝室まで運んでベッドに降ろし、ついでにメチャもラヴと同じベッドに寝かせ、ラヴにお休みチュウをしてから砦の外に出る。


 砦の前で寝そべるスコルとハティ、二匹の尻尾で遊ぶピクシー達、彼らを伴って神木まで歩き、神像の前に腰を降ろして座禅を組み、瞑想して静かな時間を過ごした。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 マナ=ルナメルの女衆が次々に俺の体に飛び付いて来る。

 お帰りなさいませ、お怪我は御座いませんか、見事な戦で御座いました……


 俺は言葉が出なかった。ただ彼女達を強く抱き締めただけだ。


 ガンダーラへ戻って来たウエカラが俺に放った第一声は、「御無事で何よりでした」だった。これはさすがにゴリラの胸も締め付けられた。


 俺は彼女の息子と四人の孫を死なせた張本人だと言うのに、彼女は心から俺の身を案じてくれていた、その感情のみ俺に伝わって来る。


 彼女を含めたマナ=ルナメルの女衆からは恨みや怒りなど微塵も感じない。


 五人の死について彼女達は、ヴェーダが言ったように「誇らしい」と、胸を張ってそう俺に告げた。本当にここの女衆はハートが強い、脱帽だ。



 昼食後、妖蟻と妖蜂から弔問の使節が続々とガンダーラに到着した。


 妖蜂からは二人の王子と近衛の二将。妖蟻は三内親王の一人であるタイホウ内親王殿下と、中狼令ちゅうろうれいという皇帝専属の護衛官が五名。


 両族がそれぞれ高位の文官を大勢伴っての弔問ちょうもんだった。


 万の軍を寡兵で討ち破った戦い、その戦場で散った五英雄の葬儀とあって、妖蟻も妖蜂も力の入れ方が本格的だ。


 遺族であるマナ=ルナメル氏族に次々と弔慰ちょういの品が贈られた。


 五人に対して勲章も授与されるようだ、カスガとアカギはこういった事に対するトップの在り方をよく理解している。これは本来俺が真っ先にやるべき事だ、弔問客のあとじゃ話にならない。


 俺はカスガとアカギから多くを学ぶ必要がある、このままでは眷属達が恥をかく。まったくもって不甲斐無い。




 弔問が終わり、皆で神像の前に移動した。

 これから葬儀を始める。


 アイニィの影沼から五人の遺体を取り出し神像の前に並べると、さすがに数名が涙を浮かべたが、悲しみの涙ではなく寂しさ故の涙だ。


 ウエカラが五人の頬を撫でる姿は、ミギカラが見せたあの後ろ姿と重なる。


 彼女もまた、「よくやった」と彼らを褒めて別れを告げているのだろう。


 シタカラの妻キツクも、旦那の亡骸を前に涙を流したが、冷たくなった旦那の頬にキスを落とすと、数度うなずき、戦士を見送る笑顔を見せた。


 五人の魔核は戦場で砕け散っていたが、あの場でアートマン様が全ての魔核を綺麗に修復してくれたお陰で、ウエカラに彼らの形見として渡す事が出来た。


 彼女は魔核を受け取ると、俺に深く頭を下げ、神像の前に跪いてアートマン様に謝意を述べた。マナ=ルナメルの女衆がウエカラに続く。



 ガンダーラの民が五人の遺体に小さな花を捧げ、巫女衆であるディック=スキの女性達と宮掌衆が祈りの言葉を天に捧げる。


 最後に俺が献花し、五人に別れを告げてアートマン様にあとを託した。


 布で巻かれた五人の体が神像の胸のあたりまで浮かび上がり、天から伸びた淡い光がマハーカダンバの枝葉を縫って五人に降り注いだ。


 五人の体に降り注がれた淡い光が輝きを増し、その光が彼らの体を覆い尽くすと、次第に遺体が薄れていき、やがて光の中に消えた。


 彼らが消えた光の中から五つの巻き物が出現し、それはフワフワと宙を舞いながらウエカラの胸元で停止した。


 ウエカラが恐る恐る五つの巻き物を両手で受け取ると、空中に在った光は消え、巻き物もその浮遊する力を失った。


 ウエカラが俺の顔を見る。

 俺にも何が何だか分からんぞ?



『それは神界でシタカラ達がしたためた遺言状です。アートマンが少しお節介を焼いたようですね、あちらの時間も操作したようです』


「ははは、そう言う事か。粋なことをして下さる」

「ぬ、主様、それではこの巻き物は……」


「ああ、シタカラ達の直筆だ、家族みんなで読め」


「あぁぁ、アートマン様っ!! 何と言う、何と言う…… うぅぅ」



 ウエカラは神像の前でうずくまって泣いた。

 シタカラの姉妹、娘、そして妻キツクが彼女に駆け寄り、その背を撫でる。


 ミギカラの目にも涙が溢れていた。

 決して涙を見せなかった男が涙を見せた。


 彼らから伝わって来る感情は、やはり悲しみではなく、非常に深い感謝と穢れ無き信仰心だった。



 果たして、彼らが嘆き悲しむのは、いったいどのような事に対してだろうか。


 俺は多分、その答えを知っている。



『正解です』

「そりゃどうも」




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