第93話「慈悲で穢す事なかれ」
第九十三話『慈悲で穢す事なかれ』
スコルの背に揺られながら、朝日に照らされる大森林をハイジ山脈から望む。
シタカラ達の遺体を見て気を失ったメチャは、今も目を覚まさず俺の膝の上で寝ている。
キンポー平原での戦後処理は迅速に、黙々と行われた。
涙を流す者は一人も居なかった。メチャが気を失わなかったら、恐らく声を上げて大泣きしただろう。
マナ=ルナメルの男衆は皆優しい奴らばかりだ、男嫌いのメチャもミギカラやシタカラ達とよく稽古に励んでいた。
彼女にとってシタカラ達は俺が教える武道の同門、兄妹弟子だ。
ディック=スキ氏族とマナ=ルナメル氏族は互いに争った歴史も無く、俺が岩から出てすぐ眷属として共にガンダーラの基礎を築いてきた古参の同志だった。
両氏族は同種の古参眷属として仲が良く、高齢のシタカラと若いメチャ達はゴブリンの世界で曾祖父と曾孫ほど世代が離れているが、そこに世代の壁を感じた事は一度も無い。
彼らは古参眷属としての誇りを共感し合える同志として、他の眷属達とは少し違った絆と親愛の情を抱いていた。
マナ=ルナメルの男衆が怒り狂い騎士を殺して回ったのは当然の結果だったが、もし、あの場所にディック=スキの女衆が居たら、同じような結果になっていただろう。
ヴェーダは戦闘中に五人の死をメチャに知らせなかった、ヴェーダはメチャの怒りと恨みが融合しないようにカットした。戦闘終了後の結果を見れば、それは正しい判断だったと思う。
戦闘時のメチャは興奮で冷静さを欠いていたし、騎士を殺害している最中に兄妹弟子の死を知らせていたら、優しいメチャの心が歪んだ物に変わる恐れがあった。
眼前の敵に怒りと怨恨の情をぶつけながらの虐殺、そんな事を彼女にさせるわけにはいかない。
第三騎士団と第二騎士団を鏖殺したメチャ以外の眷属は、その瞳に怨念の炎を燃え上がらせていた。特にマナ=ルナメルの男衆はそれが顕著に表れている。騎士を殺害する時の残虐性が尋常ではなかった。
ジャキやレインも最初に第三騎士団へ突撃したし、ラヴは過剰攻撃を繰り返していた。第二騎士団を東側から襲ったスコルやハティ、メーガナーダや空挺団も大暴れした。
例外は息子を失ったミギカラだけだろう。
長年協力して氏族を支え合ってきた息子を失ったミギカラは、第二騎士団の包囲殲滅に移行する頃には普段通りに淡々と戦闘をこなしていた。
ミギカラは多くの子供を失っている、シタカラはその生き残りだ。
失う事に慣れてしまったのではない、ミギカラは息子の死を誇りに思っていた。
亡き骸を抱き締めていたミギカラは、息子に『よくやった』と語りかけていたらしい。それがミギカラの息子に対する別れの挨拶だった。
戦後処理が終わると、俺はミギカラ達に土下座して赦しを請うた。
ミギカラや他の眷属達が慌てて俺を立たせようとしたが、眷属に無駄な死を与えてしまった俺は申し訳なさと悔しさで顔を上げる事すら出来なかった。
五人の死を聞いた直後、俺の魂は完全な人外の物へと変貌し、人間が抱くモノとは大きく異なる精神を手に入れた。
人類殲滅の意思は強固になり、失った眷属の事を思うと悲しみよりも後悔の念が強い。ミギカラが息子の死に悲嘆せず『誇りに思う』と言った心情を深く理解出来る。
土下座する俺の顔を上げさせたのは、ミギカラのそんな一言だった。
俺を主とする魔族の大帝国を築く。
その為の戦いでシタカラ達は俺と共に出陣し、そこで討ち死に。その死は他の眷属達を奮い立たせ、敵軍を瞬く間に殲滅した。彼らの死は決して無駄ではなかったのだとミギカラは言った。
仲間の死は戦場の常、この戦いで自分達が学ぶ事も多かっただろう、ミギカラはそう言って冷たくなった息子の頭をひと撫でして、俺の右腕を掴み立たせてくれた。
俺はミギカラ達に一度だけ頭を下げ、そしてシタカラ達の亡き骸に感謝と大帝国建国を誓い、FPで真新しい木綿の布を購入して彼らの遺体を一人ずつ丁寧に包んでいった。
ラヴの影沼に収納しておいた小さな石造りの神像を取り出し、五つ並んだ遺体の傍に神像を置いて彼らを弔い、爆散した彼らの肉片をアートマン様にお願いして集めてもらった。
消し飛んだ肉片は戻らなかったが、アートマン様は出来る限りの修復をしてくれた。皆で感謝の祈りを捧げ、神像を影沼に戻した。
死んだ五人は皆マハトミンCを左手に持っていた。蓋を開け、竹筒を咥えたまま逝った者も居た。
それを見た俺は叫んだ。
泣きたかったが涙が出ない。
彼らは死の直前まで、ヴェーダが言った事を実践しようとしていた。
あの変則的な攻撃を受けながら、頭に響いたであろうヴェーダの注意に対し、即座に行動で応えた。
練度が足りない、まだ未熟、そんな事を言っていた俺は驚きで何も出来なかったと言うのに。
彼らは優秀な戦士だった。
こんな所で失っていい者達ではない。
そこで、俺は思った。
彼らをアムリタで復活させる事は出来ないだろうか、と。
修復前はそんな事考えもしなかったが、腹や胸に穴が空いた程度ならば…… そう考えてヴェーダに聞いてみた。
答えは『可能』だった。だが、現状では『不可能』が正しい答えだ。
贈答用アムリタは100万FPだが、全ての効能を供えた本物のアムリタは未だリストに載っておらず、その価格は32億というとんでもない額だった。
アムリタの下位互換である神酒ソーマですらリストに載っていない現状を考えると、いったいどれだけの信者を集めればいいのか見当もつかない。
ヴェーダが言うには、アムリタを購入出来るのは俺の【ジョブ】が【大教皇】になってかららしい。今の俺は【司教】の下の【大司祭】に過ぎん、再び悔しさが押し寄せて来た。不甲斐無い。
そんな時、またミギカラの言葉に救われた。
ヴェーダはミギカラにシタカラの復活を伝えたようで、それに対する反対意見をミギカラは伝えに来たのだ。
「これから先、さらに多くの眷属が戦場に散るでしょう。主様はその眷属達を全て生き返らせるのですか?」
無理だ。
それが可能だとは言えない。
これから先の死者数と信者数の予測など出来ない。
「アートマン様の御力は眷属全ての幸福にお使い下され、戦士一人を生き返らせる御力で、数万の民草が幸福を得られるでしょう。どうか、戦士達の死に花をその慈悲で穢しませぬよう、心よりお願い申し上げます」
ミギカラの言葉は重い。
慈悲で穢す…… それは独善的な偽善。
解ってはいたが、痛烈な一言だった。
眷属はFPの事を知らない、無論ミギカラも知らない。
彼は『死者復活』という神の御業を『数万の民草』が幸福を得られるように使ってくれと願った。
だが、実際は数万どころではなく数百万の民草が幸福を得られるほどアムリタは高価だ。
32億FP有れば、彼らが大好きな干し芋や乾パンをどれだけ購入出来るだろうか、戦の前に何本のマハトミンCを眷属達に持たせる事が出来るだろか、いったいどれだけの赤子を綺麗な木綿の布で包んであげられるだろうか……
自分の未熟さと愚かさに溜息しか出ない。
しかし、あの五人をこのまま失うのは辛すぎた。
俺が葛藤してアホな頭を悩ませ、ミギカラが俺を慰めていると、ヴェーダがこんな事を言った――
『以前、チョーの遺体を何者かに奪われました、たとえ簡易結界でガンダーラを護っているとしても、次が無いとは限りません』
そうだ、彼らをガンダーラに埋めるにしても、そう言った危険が常に伴う。それがこの世界だ。ならば余計に復活を考慮すべきだと思ったが、ヴェーダの話はまだ続いた。
『アートマンの御子たる帝王の、その眷属五人の亡き骸を奪われ、アンデットとしてどこぞの下郎に使役されるなど言語道断。
輪廻の船、俺はそれに乗せられて岩から生まれたのだろうか。
ヴェーダの言葉を聞いて、俺はあの時の白い空間とアートマン様の声を思い出した。
そうか、シタカラ達があの場所へ向かうのなら……
五人が俺の母を、皆が崇める神を見たらどんな顔をするだろうか?
そう考えると、つい小さな笑みが漏れて、気持ちが楽になった。
そして、久しぶりに優しい風が俺の頬を撫でた。
アートマン様が彼らを然るべき場所へ送って下さる。
優しい風はこの場に居る皆の頬を撫でた。
ミギカラは何度も天に謝意を伝え、とても喜んだ。
すると、ヴェーダが俺の中からユラリと現れ、天を指差し言った。
『……そして、
皆がゴクリと唾を飲む。
アートマン様はキッチリとケジメを着けて下さるようだ。
あの光を地上へ注いだゴミカスを、俺達の手の届かない所で遊んでいやがる腐れ外道を、どうか、最低五回ほど滅ぼして頂きたく存じます。
鼻先をツンと優しい風が突く。お願い致します。
俺の腹は決まった。
ヴェーダとアートマン様のお陰で気持ちに整理がついた。
ガンダーラに戻って彼らの故郷から天に送る。彼らが寂しくないように、明るく盛大な葬儀を上げよう。
俺はアイニィを呼んで五人の遺体を影沼に安置させた。
ラヴが是非五人の亡き骸を運ばせてくれと俺に願い出たが、彼女は軍馬九百頭を輸送するので影沼内が少し騒がしい。今回は申し出をやんわりと断った。
五人は少しの間、静かな場所で眠っていて欲しい。
そう願った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます