第14話 オペレーションベータ 完了

「結構このお酒強めだね。」


「酔いたいからな。」


 橋下の作戦は大成功だった。

 それなのに、憂鬱な気分でしかない。


 橋下は少し赤くなった様子で俺に話しかける。

 俺はうつ伏せのまま聞いていた。


「湊がどういう気持ちでここまでやってきたのかは正直私には分からない。今だに彼女のことをどう思ってるかも私は知らない。だけど、私が放り出した後始末を必死に遂げようとする貴方には感謝しているし、尊敬してる。それ以上に――」


 そこまで言いかけて橋本は言葉を切る。

 数瞬の後、彼女は酔いに任せたのか、決心したように、でもはっきりとした声で俺に向かってこう言った。


「それ以上に私は湊のことが好き。貴方を愛してる人がここに、そばに居る。それだけは忘れないでほしい。」


「・・・・・・」


 俺は寝たふりを続けた。

 彼女が酒に頼って、それでも迷って、そしてそれさえも乗り越えて決心して放った告白を、俺ができなかった告白を真正面から受け止めてやることができなかった。


 橋下は微動だにしない俺をしばらく見つめた後、背中を揺する。


「ほら、起きて。そろそろ行くよ。」


 俺は眠そうな声で返事をして、背伸びの真似をした。

 アイツと違って俺はまだ他人の気持ちを受け止め切れるほど大人になりきれてはいなかった。


「・・・・・・眩しいな。」


 俺は彼女に聞こえないようひとりごちた。



 二階の彼女の寝室に入る。

 そこで橋本が手渡してきたのは一丁の拳銃だった。

 初めて殺意を持って銃を握る。

 彼女に教えられたようにマガジンをセットして、セーフティを解除する。

 彼女の左胸の心臓を目掛けて、狙いを定めた。


 この距離なら外しようがない。初めて、彼女の寝込みを襲った時のことを思い出した。

 あの時も、こんな月明かりの夜だった。


 引き金が重い。

 鉛のように、劣化ウランのようにびくともしない。

 錆び付いてるんじゃないかと思うほどに。


 でも、違う。引き金が重いんじゃない、俺が躊躇しているんだ。

 引き金を引き絞りきれば、その時点で未来は確定する。

 だから、俺はその先を見たくないんだ。だから、引ききれない。


 照準を合わせてからゆうに五分は経過していただろう。

 見かねた橋本は口を開く。


「睡眠薬の持続時間は本来五時間程度だけど、人間離れした彼女にはどれだけ効くかわからない。だから、やるならまだ寝ている今のうちに――」


「分かってる。」


 彼女の言葉を遮るような形で俺は返事をした。

 分かっている。早くしなきゃいけないことなんて、分かってる。分かってる。


「・・・・・・」


 すると、突然橋本は俺の後ろから抱きついてきた。


「大丈夫。貴方だけじゃない。私もいる。貴方だけが引き金を引くんじゃない。私も一緒に、背負うから。」


「・・・・・・ありがとう。」


 ここにきて、二度目の感謝。本当に、こいつには助けられっぱなしだな。


 俺は彼女の方に向き直る。



「酒を飲んだ日のこと覚えてるか。俺はお前が好きだ。ああ、確かに好きだったんだ。だけど、これは恋であって愛じゃない。俺はここにきてそれに気づいたよ。俺のはどちらかといえば憧れで、頼り甲斐があって、勇ましくて綺麗で、でもどこか親しみやすくて脆そうな、そんなお前に夢見ていたんだ。でも、結局のところそのどれもが間違っていた。俺はお前のことを何にも知らなかったんだ。相手のことも何も知らないで、勝手に自分の価値観で相手のことを推し量って分かった気になって、そんなのは愛じゃない。」



 引き金にかける指に力を込める。



「俺もいい加減二十五だ。あー、いや寝てた時間も加算したら八十五かもしれないが、どちらにせよいい加減大人にならなきゃなんない。だから、この生熟れの恋慕は捨てることにするよ。だから、お前もあの時のことは忘れてくれ。」


 君は勝手だな、と彼女に言われた気がした。


「ああ、そうだな。最低だ。」


 数発の銃声が夜の浜辺にこだまする。

 彼女の胸元から血が溢れ出し、敷布団を染めていく。

 硝煙をたなびかせる拳銃が嫌に重かった。

 彼女は声ひとつあげず眠るように死んでいった。


 俺たちは間も無く部屋を出た。


 橋下は部屋に戻ると声を押し殺して自室で一人咽び泣いていた。

 俺は寝床に行くこともなく、呆然と浜辺で月を眺めていた。

 人ってあんなふうに死ぬんだなと、他人事のように考えていた。

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