第9話 彼女の話、阿瀬の決意

 その後、出血も止まり、感染症の心配はあったものの、俺の怪我は順調に回復していった。


 幸運なことに神経は断裂していなかったので、完治するまで二ヶ月ほどかかったものの、左腕も元通り動くようになると言われた。


 とはいえ、最初の三週間は身動き一つ取れず寝たきりで彼女に世話をしてもらった。

 暇だったので、こんなことを質問したのを覚えている。


「何で戦争なんかになったんだ。」


「分からない。」


「おいおい、その時代を走り抜けた生き証人じゃないのかよ。」


「確かにそうだが。」


 彼女は一瞬驚いた様子を見せ、苦笑いを浮かべる。


「……あの子から色々と聞いたようだね。」


「ああ。」


「じゃあつまり、あの時の私の独り言も理解していたというわけだ。これは一生の恥だね。」


 そう言って、彼女は自身の皮肉に自嘲する。

 俺は肯定も否定もせず、ただ彼女を見つめていた。

 そんな俺を見て、彼女は本論に戻る。


「一概に戦争の理由は決められないんだよ。それこそ、この世に蔓延る愚劣の塊、地獄の具現そのものだからね。ひどい災難や不幸が重ならない限りよっぽど起きるもんじゃない。」


「でも、意図的に起こされたりするよな。」


「確かにね。でも、そこに善悪なんて存在しないんだよ。全人類共通の善行や正義なんてものは存在しないからね。政治家たちはトロッコ問題を解き続けているに過ぎないんだ。ここを実際に占領した中国の方だって全員仕方なくやってた。だけど、一つだけ言えることがある。日本を含め、民主主義の国が戦争に参加するときは、いつだって最初はみんな賛同していたよ。」

 

 俺は深くベッドに横になった。


「そういえば、中国で思い出したんだが、東京の中国軍に特攻する時、もし武器を持たなければ流石のお前でも死んでたんじゃないのか?」


「残念ながら不可能だ。私は自分を傷つけられないだけでなく、身の危険を感じたこと全ての遂行とその意思を制限されてしまう。介錯を頼むのだって相手が手練れならわたしは声をあげることもできない。」


「つまり俺はお前の命を脅かせない一般人だと舐められていたわけだ。」


 彼女はニヤリとした目線で肯定した。


 話が終わり、向こうの部屋に行こうとする彼女の背中に声をかける。


「どうして、死にたいんだ。」


 最後にそう聞いた。彼女は二度目の驚愕を顔に浮かべて振り向いた。

 俺がその線を超えて踏み込んでくるとは思ってもいなかったのだろう。


「言っただろ、私はただ死にたいんだ。君たちとは違う。美味しいものが食べたいように、私は死んでみたいんだ。むしろ、私にはそれしかないからね。」


「他に何もないのか、楽しいことは。」


「あったら、この八十年の人生でとっくに見つけているよ。」


 俺は一言、そうかと返した。


 包帯をすれば歩ける頃合いになって、俺は橋下の家を訪ねた。

 扉をノックすると、ドタバタと音を立てながら橋下は玄関に出た。


「大丈夫!?」


「おかげさまで。」


 橋下は良かったと、脱力したように胸を撫で下ろした。


「それで、どうしたの?」


 俺はすぐに本題に入った。


「あいつを殺そうと思う。」

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