第7話 謎解き、解決編
俺は驚きのあまり聞き返した。橋本はスピードを一段と落として、道端に停車する。
「六十年ってどう言うことだ、いつからの六十年だ?」
「おおよそ、私たちがコールドスリープしてから。」
「あいつからは二十年後って言われたし、時計にもそう書いてあったぞ。」
「スマホ、それとも時計?」
「デジタル時計だけど。」
「たぶん西暦をいじったんだと思う。簡単に設定変えられるし。」
「何のためだよ。」
不安のあまり語気が強くなってしまった。それでも橋本は堂々と真正面から返答した。
「それは分かんないけど、湊くんを心配させないためじゃないかな。起きたそばから日本が滅んで、しかも、知ってる人はほとんど生きてないことを知らせるのはあまりに酷だと思ったのかも。それに目の前の光景や今までここを通ってきて、二十年は少し短すぎると思わない?」
正直なところ、図星をつかれて俺はさらに機嫌を悪くした。
「なんか確証あるの?」
そういうと橋本はポケットから携帯を取り出し、俺の目の前で電源を入れた。表示された年月は経過したという六十年を残酷に俺に突き付けた、いや、突き放された。
「これが証拠。」
いや、でも、と何度も反論を始めようとしたが、二句目にはその中身のなさに気がついて言葉を取り下げる。
スマホの正確さは自分自身がよく知ってる。
画面が割れることもなく、正常に動作しながら、日付の機能だけが壊れる可能性はゼロに等しい。
スマホはデジタル時計とは違って年月が変更できないようになっている。
俺はヒントを探し続けた。神経質にそこらを歩き回る俺の姿は側から見てひどく痛々しく見えたことだろう。
しばらくの静寂の後、彼女は突然俺に謝ってきた――そこが地雷元だとも知らずに。
「……ごめんなさい。湊くんにとってどれだけ辛いことをしているか分かってる。でも、こういうのは早くしないとって、遅くなればなるほど、それだけ湊くんが傷つくことになるから――」
「それが分かってるならどうして黙っててくれなかったんだ!」
認めたくない現実をどうしようもなく突きつけられて余裕がなくなっていた。
そのせいで橋本は予想外の場面で俺の地雷を踏み抜いた。
次第に咽び声へと変わっていく。
「どうして俺ばっかり、必死に抑えていたのに!どうして君は!」
俺は胸の内にたまるあらゆる不安と怒りを地面に吐き出し続けた。
それでも、俺の心は満たされることなく。
ただただ体を疲弊させ、徐々に俺の心から潤いを奪っていった。
ある程度静かになった俺にまたも橋本は声をかける。
「それは貴方が彼女と一緒にいるから。」
彼女の声が微かに潤んでいるのを感じて、俺はちらりと顔を見上げた。
「……どういう意味だよ。」
「湊くんは彼女の年齢とか聞いた?」
「名前も聞いてないよ……」
俺は愚痴をこぼすように嫌味ったらしくそう言った。
「あの人はね、私たちがコールドスリープにつく前から生きてるの。信じられないかもしれないけど、あの人は八十歳なの。」
彼女の言葉に眉を顰めざるおえない。
「八十歳の年齢に見えるのか。」
当然の疑問。不貞腐れた声で返事する。
「見えないわ。でも、彼女が自分からそう言ったの。六十年間、二十歳の頃から一向に歳を取る気配がないって。私も最初は信じなかったけど、一度だけ彼女の部屋に無断で入って物色したことがあって、その時に彼女が防衛大か何かに合格した時の記念写真を見たの。看板にあった西暦は確かに六十年以上前のものだったの。」
「ちょっと待ってくれ。」
あまりに飛躍した話に俺はついていけなかった。額に手をついて、しばらく考える。
「いきなり彼女の部屋を物色してるけど、どういうこと、何でそんなことをしたの?」
橋本はしばらくすると決心したように、罪を告白するかの如く下を俯いて、怯えながら答えた。
「もともと、彼女を殺す役目は私にあったの。」
「……は?どういうことだよ、何でそうなる。」
そう言うと今度は俺が地雷を踏み抜いた。
「だから、湊くんは本当はこんなことしなくてよかったの!でも、でも、できなかった。手を汚すのが怖かった。人が動かなくなるのが怖かった。あの人が体をいじられて自分じゃ死ねないことはわかってたけど、それでも出来なかった。」
「待ってくれ待ってくれ。」
俺の理解をよそに突然言葉を叩きつけるかのように叫び、声を震わせヒートアップする彼女をどうにか静止する。
「体をいじられたってどういうことだ、もう少し詳しく説明してくれないか?」
泣きそうな顔を見て、口調を優しくする。女性の涙にはどうにも弱かった。
「……五十年前、戦争中に彼女は人体実験の素体になったの。その時にあまりの苦しみに自殺未遂を起こして、再犯を防ぐために脳に機械みたいなのを埋め込まれて、自分に危険が及ぶような行動ができなくない体になってしまったって言ってた。」
「人体実験なんて日本が人道的にしていいのか?」
あまりにもとっぴな話である。俺の疑問は至極当たり前なものであった。
「戦争中だったのと、彼女が元々志願したことだったから。両親を亡くして自暴自棄になってたと言ってた。それでも、聞かされていた契約内容とだいぶ違ったらしい。」
「それで不老不死になったのか?」
「不死ではないし、歳をとる気配がないだけで不老かどうか分からない。なんで歳を取らなくなったかも知らない。」
「だからといって、何で死にたいになるんだよ。伸びた自分の人生をなぜ謳歌しようとは思わないんだ。」
彼女は困ったように押し黙った。そんなの橋本に聞いても仕方がない。
「意味がわかんねえよ……」
俺はガードレールに寄りかかって、無気力に腰を据える。
「ある時、研究所で火災があってその時に彼女は逃げた。そこでようやく自分では死ねないことに気づいたらしいの。だから、当時中国軍が占領していた東京に行って戦死するつもりだった、けど、結局死ぬことはできずに東京には中国軍数万の墓標だけが残って、だから、彼女は私を起こしたの。真っ向から戦っても死ねないのなら、日常生活の中で身近な人に殺してもらおうとしたって。」
ここで、橋本は口元を歪める。
「でも、私は失敗した。あと一歩のところで後片付けも全部放ってここに逃げてきたの。そして、彼女は次の後継として湊くんを選んだ。東京から出るなと言ったのも、恐らく彼女が殲滅した中国軍の残党に出くわさないため。彼女は何も悪くないの。ごめんなさい、本当にごめんなさい。」
静かに涙をこぼして謝罪する橋本を見て、もうどうしていいか分からなかった。
この感情をどこに向けるべきかも、橋本にどうしてやりたいかも一切見当つかなかった。
「もう、何なんだよ。」
あまりの理不尽さに、俺はまた感情を吐露した。
そんな俺を見て、橋本は涙で顔を晴らしながらぎこちない仕草で俺の背中をさする。
その手を振り払うことはできなかった。
慰めてほしいのは橋本も同じだろうに。
俺はむしろ、一緒に抱き合ってわんわんと泣きたかった。
夕暮れまで、俺たちはぼうっと目の前の廃墟となった首都だったものを、彼女の戦果を眺めていた。
橋下は泣き止んでいたが、俺は依然として子供のようにべそをかいていた。
「旅に出るなんてどう?」
橋下は突拍子もなく、そんな話をし始めた。俺は返事をしない。
それでもお構いなしに橋本は続ける。
「ヨーロッパを目指して旅に出るの。フランスとかイギリスは日本みたいに壊滅してないらしいし、観光だってできる。行きがけに可愛い女の子なんか捕まえて二人で旅したらラブコメじゃない、素敵でしょ。」
どこがラブコメだというレスポンスを物欲しそうに見つめる彼女の顔に嫌気がさした。
そして、そんな自分の性格を醜く思う。
「それは彼女を殺した後か?人殺しをした後、俺に恋だの愛だので浮かれる資格があるのか?」
「人は本来、自分のために生きるものよ。ボランティアだって自分が気分良くなるためにやるもの。大局を忘れて、私がコールドスリープに入る前、人のために動こうとする人も大勢いたけど、そんな生き方はひどく歪。どこかで自分を優先せざるおえない本能に出くわして、理想と現実のすり合わせができなくなってしまうから。」
そういうと橋本はこちらの方に振り向いて、俺と目を合わせて続ける。
「今は彼女に縛られているから前が見えないし、見なくても構わない。だけど、彼女を殺すにしろ殺さないにしろ、いつかは自分の望みを探さなくてはいけないわ。人は本来自分の夢を叶える生き物だから。」
俺は彼女に見透かされているようで、すぐに目線を逸らした。
さっきまで俺と一緒に泣いていたくせによくそれらしいことが言えたものだと思った。
結局、その日も彼女のいるアパートに帰ることなく橋下の家に泊まった。
「湊くん、彼女に恋してるんでしょ。」
暇なのか、食後にまたも突拍子もないことを言ってきた。女子特有の雰囲気だ、正直この時の俺には鬱陶しい以外の何者でもなかった。
それでも、彼女のことを考える。自分が彼女に対してどう思っているか。
初対面でいきなり命令してきて、行動を制限してくる変な奴だったけど、俺の命を救ってくれた恩人で、それ以上に彼女に少なからず好意は抱いていた。
しかし、嘘をつかれていた。
例え俺を守るためだとしても、俺のことを騙して、本当のことを何も伝えずにいた。
裏切られたようで自分でも彼女のことをどう思ってるか分からなくなってきていた。
「別に好きじゃないよ。」
彼女から目線を逸らす。
「ただ恋しいだけだ。」
チラリと彼女の方を一瞥すると、橋下は何かを諦めたような顔をしていた。
俺は深夜になっても結局眠れなかった。
夜から始まった雨がひどく煩わしかった。
おもむろに橋下のいる寝室に行き、ドアを開ける。
男が女性の部屋に無断で侵入するのも如何なものかと思ったが、その時の自分にはどうでもいいことであった。
熱帯夜、橋本もキャミソール一枚で寝ていたが、特段気にすることもなくベッドの横に背を向けて座った。
人肌が恋しかったのだ。数十分もすると安心して眠気が襲ってきたので俺は元の部屋へと帰った。
「……意気地なし。」
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