第6話 彼の知らない真実
◆◆◆
翌日、二人とも昼過ぎまで爆睡した。
朝ご飯の時に飲料水に睡眠薬を混ぜていたことを忘れて、食事を済ませた後二人とも死んだように眠ってしまったのだ。
起きた時には日はもう傾いていて、すでに彼女も起きていた。
絶好の機会を逃したことを意識し、テーブルに突っ伏す。
昨日のこともあって彼女とは目を合わせづらかったが、当の本人は嘲笑うかのようにわざわざ俺の前まできて笑みを浮かべていた。
相変わらず笑った顔は皮肉めいていても悪戯っ子のように可愛らしい。
「アホだね君は。」
返す言葉がなかった。
「別に私は構わないけど、おかげで今日の調達に行けなかったじゃないか。罰として、少しお使いに行ってもらおう。」
そう言ってバツ印の描いた地図を渡してきた。
目的地に向かって畑の中を進んでしばらく経った後、あることにようやく気づく。
作物が実っている。
お使いというのが何となくわかった気がした。
地図の印のある場所に立つと近くに農家があった。
玄関の扉を叩くと奥から女性の声がする。
中から出てきたのは作業着を着た二十台後半、俺より少し年上ぐらいの女の人だった。
「すいません、お使いを頼まれたんですけど。」
恐る恐る尋ねた。
ほとんど人のいないであろうこの世界で一体何をしているのかと自分でも思う。
お使いという単語の幼稚さは異常だ。
その女性は俺の言ったことを繰り返す。
女性に彼女のことを説明しようとしたが名前が出てこない。
こんなことならやっぱり聞いておくべきだった。
「自衛隊……あー、国防軍の女性って言えば大丈夫ですか、知り合いですかね?」
「ああ、野菜ですね。わかりました。」
合点が言ったようだ。
奥の方から大きなビニール袋を持ってくる。
中には新鮮な野菜がこれでもかと入っていた。
用を終えて帰ろうとすると後ろから声をかけられた。
「もう日が傾いてますけど大丈夫ですか、ここから歩きだと夜遅くなりますよ?」
見上げた空は既にぼんやりと赤みがかっていた。
そうですねと、返答しながらここから家までのルートを思い浮かべ、脳内でシミュレートする。
最終的に申し出をありがたく受け入れた。
農家はかなり古く彼女の住む東京のアパートと比べると劣化が激しかった。
彼女は手慣れた手つきで料理をしながら明るい口調で話題を振る。
話すうちに敬語も取れていった。
「私も湊くんと同じくらいにコールドスリープに入って、あの人に起こされたんだ。」
それを聞いた時、俺は仲間を見つけたようで嬉しかった。
「そういえば、私は橋本沙里。人と滅多に会わないから名乗るのも忘れてた。」
そうだよな、名乗るのが普通だよなと俺は心の中で安堵した。
どうやら俺の中の常識はかつての社会通念からは逸脱していなかったようである。安心だ。
食事中、橋本は色々と聞いてきたので、俺はこれまでの事の顛末を話した。
「それで、デスゲームを持ちかけてきてさ。といっても、あいつは俺に一切危害を加えなくて一方的に俺から殺されのを待ってるんだ。東京から外には出るななんて条件はつけてきたけど、正直自殺願望見え見えだよ。どうにかならないもんかね。」
呆れたようにそう言った。橋本は俺から視線を外して、何か納得いったような、それでいて歯切れの悪い声をあげた。彼女はこんなこと言われてないんだろうなと、浅はかにもこの時の俺は思った。
「まあ、家族が生きている可能性があるだけで生きてく価値があるよ。たとえ会えたとしても二十年経ってるから両親は七十歳のジジババだけどな。」
俺は気を使って多少明るく振る舞った。
橋本は俺の話を聞くと狐に頬をつままれたように驚いていたが、何かいうことはなく話は流れ、会話を続けるうちにお互いが同じアイドルのファンだということが判明して、短針が十時を過ぎるまで話し込んだ。
いい加減瞬きもおぼつかなくなっていたが橋本は話し足りないらしく、俺もやぶさかではなかったのでしばらく付き合った。
橋本はここでずっと一人暮らしていたのだろう。
人肌が恋しくなるのもわかる気がした。
結局、日を跨いだ頃にお開きとなったが、それでも物足りなさそうな顔をしていた。
流石にこれ以上は付き合いきれなかったが、そんな顔をされてはこちらとしてもばつが悪い。
俺は"ごめんね、付き合ってあげたいけど夜も遅いし、橋本さんの体にも障るだろうから"と言っておいた。
彼女の表情はどこか満足げだった。
翌日起きたのは午前十時ほどだった。
洗面所に向かうと鏡の前で橋下が自分を見つめていた。
何をするわけでもなくそこに立ちすくす橋下の姿に不安を覚え、声をかけたが何か考え事をしているのか上の空だった。
朝食もご馳走になって、いい加減帰ろうとした時橋本に声をかけられた。
「少し寄り道しない?」
そう言う顔は昨日のように楽しげなものではなかった。
流石に彼女を待たせすぎかとも思ったので、一度野菜を家に届けさせてくれと頼むと、橋本は渋り顔で承諾した。
野菜を置いてくるとき、橋本は少し離れたところで待っていた。
アパートの目の前に止めてもらおうとしたが、わざわざ少し離れたところを見るにとても頼める雰囲気ではなかった。
家に彼女はいなかったので書き置きを残して玄関を閉じる。
「段差とかあるから気をつけてね。道路が荒れてるせいで結構お尻痛いから。」
橋本は後方に乗る俺に叫んだ。確かに、アスファルトには多くの地割れがあって、そこまで長距離を走っているわけではなかったが着く頃には臀部がジンジンとした。
走行中は暇だったのでいろいろ疑問を投げかけた。
「よくバイクなんて見つけたね。」
「修理したの。私、元々は機械系の修理の仕事してたから。」
「ガソリンは?」
「あの人がガソリンスタンドの機械を分解してタンクから直接。」
あの人とは、つまり彼女のことだろう。
「それ、相当危なくないか?」
「止めたんだけど、大丈夫だって。全然大丈夫じゃないのに。」
橋本は呆れたようにそう言った。俺があいつと会う前から自殺願望は本物らしい。
いや、今は自分で死ぬのも嫌だと訴えてるからむしろ悪化している。
「そろそろ着くよ。右を見て。」
橋下の言う通り振り向いた。小高い丘の上の道路から、東京の全貌を眺める。俺が想像していたより随分と滅亡の二文字が似合う光景だった。
二十年でここまで荒廃するのが信じられない。
「これが六十年後の姿。」
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